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2020 年 9 月 8 日 のアーカイブ

幻の大阪十二薬師霊場を巡る

2020 年 9 月 8 日 Comments off

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『摂陽群談』における大阪十二薬師霊場は、そのほとんどを修験者が守っていた。天台宗系修験の本山末派が5つ(①②④⑦⑪)。当山末派(真言宗系修験)と真言宗寺院(これも要するに修験者だろう)で4つ(⑥⑧⑨⑫)。民家が3つ(③⑤⑩)。

民家に祀られているお薬師さんが3つもあるのも面白いが、これも普段の管理は民間人(庄屋など)がやっていて、薬師のご縁日8日12日に修験者がやってきて祭祀をする…といったようなパターンかも知れない。

いずれにせよ、江戸時代初期の大坂で、薬師信仰を広めたのは、修験者たちであるのは間違いない。

修験は諸国を行脚していた。戦国時代には大名に雇われて諜報的な活動も行っていた。そもそも忍者のルーツは修験だったりする。江戸時代の幕藩体制の時代には相応しくない。不穏な存在となる。そこで江戸幕府の政策で、修験はすべて天台宗系(本山派)か真言宗系(当山派)の管理下に置かれた。

山から山を移動していた修験たちが、町で生活するように命令される。こうして江戸時代に「町修験」が誕生する。彼らは修験の信仰スタイルをなんとか町中に広めようとする。修験者は山(聖地)から山(聖地)を巡ることで、修行し、精神を修養する。そこで町中に聖地を「見立て」ることで、都市の中にダウンサイズして巡礼を再現した。それが「都市巡礼」となる。

大阪十二薬師霊場巡礼が、いつ頃できたのか?は謎だが、元禄以前からあった。その頃に確認できる大阪の都市巡礼は「大阪三十三か所観音霊場巡礼」と「大阪十二薬師霊場巡礼」、そして「大阪七墓巡り」ぐらい。

その後、爆発的に都市巡礼ブームがやってきて、大阪の都市巡礼は最盛期には35コースを超えた。これは江戸の25コース、京都の16コース、名古屋の9コースを超えて、日本最多。「日本最大の巡礼都市」が大阪だった。

修験はしかし、いまいち、よう、わからんですな。僕は都市仏教の人間なのでw とりあえず、「役行者霊蹟札所会」を巡るか…。

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①池田町薬師(慶長年間)→堀江新地御池通(元禄年間)
本山末派安樂院浄慶坊

②亀山町薬師
本山末派大鏡院法印

③北谷町薬師
民家(岑女)

④南瓦屋町薬師
本山末派玉寶院

⑤車町薬師(難波薬師)
民家(河内屋庄兵衛)

⑥白髪町薬師
真言僧大福院

⑦立売堀帯屋町薬師
本山末派年行事大學院法印

⑧御霊宮薬師
真言僧新坊

⑨四軒町薬師
当山末派一樂院

⑩堂島永楽町薬師
民家(鹽屋庄次郎)

⑪常安町薬師(懐妊薬師)
本山末派験者権大僧都理寶院法印圓海

⑫小右衛門町薬師
当山末派福壽院


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