NO SHOUYOU、NO LIFE
2022 年 8 月 2 日
まちを歩いていて音楽が流れてきて「うわあ、ええ曲やな」と思いつつ、曲名やミュージシャンがわからない。タワレコの試聴CDで聴いたりして調べるが、わからない。
そんな曲のこともすっかり忘れてしまい、日常を送っていたら、しかし、ひょんなことで曲名やミュージシャンのことが判明したりする。時には数年越しの再会だったりする。こういう時の喜びったらない。感動で打ち震える。
遠回りするから楽しい、遠回りしたから嬉しいというのがある。「能率よく出会う」「効率よく知る」では見えてこない、わからない世界。
また「あのレコードかな?」「このミュージシャンかな?」と思いつつの音楽探し、レコード追求の時間が、その右往左往、紆余曲折、試行錯誤が、新しい音楽や曲、ミュージシャンとの出逢いとなり、豊かさに繋がったりもする。
今みたいに「音楽検索アプリ」などもない時代の話。タワレコとかもういかんもんなあ。試聴CDというのも聴かなくなった。
こういうフラフラすることを「逍遥」という。逍遥がない時代。逍遥の価値がわからない時代。若者よ、フラフラせよ。フラフラせなあきません。フラフラすることに関していえば自信がある。我が人生、フラフラしまくってますからなw
カテゴリー: 雑感