ホーム > 雑感 > まわしよみ新聞創刊10周年記念イベント

まわしよみ新聞創刊10周年記念イベント

2022 年 9 月 30 日

【まわしよみ新聞創刊10周年記念イベント】昨日、應典院で実施しました。秋田光軌さん、釋大智さん、中平了悟さん、陸奥賢の4人で10周年のふりかえりトーク。

「お坊さん、お坊さん、お坊さん、僕」という随分と偏った(?)布陣に思えますが、まわしよみ新聞が生まれた背景を探ろうと考えたら結果として、こういう形になりました。

まわしよみ新聞は浄土宗寺院・應典院コモンズフェスタから派生したもので、僕自身の出自(在家法華教団・霊友会3世の成れの果てw)も重なって、じつは宗教的な場作り、対話作りのメソッド、テクニック、技法のようなものが随所にみられる。

「ファシリテーションしない」「場に任せる」「他者に委ねる」という、かなりリスキーなコミュニケーション・デザイン、怖い構造をしていて、それでいて自然と治まるところに治まる。とくにお寺でやるといいカタチに治まるw

こういう「場」「偶然性」「直観」「遊び」「他者」「声」といった要素が複雑に絡まりあっていて知性、身体性というよりも「霊性のワークショップ」である…というのがまわしよみ新聞の核ではないか?というのがトークの骨子でした。

普段のまわしよみ新聞のサミットなどでは「まわしよみ新聞は新聞の魅力再発見につながる」「雑談力=営業力に使える」「アクティブ・ラーニングのツールにいい」「アイスブレイクにもってこい」といった「活用法」「実用法」について話が展開していくのですが、まわしよみ新聞の「背景」「思想」「哲学」などを探るトークはあまりやってないのでw 個人的には、いい時間になったように思います。

そして、ここまで話を深堀りできたのは、やはりご登壇いただいた「イキのいい」(秋田光彦住職のお言葉よりw)お坊さん、御三名のおかげです。深い言葉をいろいろと頂きましたし、いくつかのキーワードに「なるほど…!」とうなりました。またじっくりと考えていこうと思います。

10周年は長いようで短いようで、コロナの空白の3年間もあり、ほんまに10年もやってるのか?と自分自身で時間間隔がよくわからないのですが、ただ単なるお寺の文化祭のための一企画が、まさかここまで世間に広まり、浸透し、展開し、物語になるとは思わなかった。いろんな方の人生に影響を与えている。まわしよみ新聞をキッカケに結婚した人までいる。なによりも僕の人生を劇的に変えました。感謝しかありません。幸せなことです。ありがとうございます。

トークは應典院の生みの親・秋田光彦住職にもご参加頂きました。ご感想をシェアします。秋田住職からはお祝いのビールとw 今回の素晴らしい場と時間をご提供頂きました。重ねて感謝の意を。本当にありがとうございます。

———————————-

まわしよみ新聞は、2012年應典院で誕生した。東日本大震災の翌年である。日本人が無常とか刹那を察し、コミュニティへの危機や関心を高めた頃だ。営々と築いてきた共同体がいとも容易く崩壊し、どう再建していくのかも重大な課題であったが、一番心を向けたのが眼前から喪われた無数の死者との関係をどう取り結ぶのか、であった。その一つの回路として、まわしよみ新聞が生まれた意味は大きい。

 今日、まわしよみ新聞10周年の集いで、創始者の陸奥賢さんが、全国いろんな会場で実施するが、「お寺との相性が一番いい」といったのは腑に落ちる。というか、それがまわしよみ新聞が「霊性のワークショップ」(陸奥さん)である所以であろう。新聞教育の手法にだけ陥ってはならないとも思う。

 もう一つまわしよみ新聞が10年続いたわけは、拠点を持たず、定着しないことを貫いたからだ。経験的に私は知っているが、場は長く続くほど硬直していく。お馴染みさんという妙なヌシが現れて自由度が損なわれる。私は25年間、幾度となく場をつくっては壊してきたが、それは場を守る唯一の法則だからだ。

 まわしよみ新聞は特定の拠点を持たない。絶えず落ち着かない。陸奥さんが全国各地を流離うように、この新聞はあり方自体がノマド(漂泊者)なのだ。無頼のメディアというにふさわしい。

 対話者のイキのいい僧侶が陸奥さんと3名並んだ。何で10周年でお坊さんなのか、まわしよみ新聞がそもそも宗教性のメディアなのだということが語らいからよくわかった。

 また本当に久しぶりにこういう場に再会した。声が空気に響き、気づきや発見や納得が腹に落ちるという感覚は、私にとって本当に愉悦であった。延々4時間を並走した参加者の知力・体力にも感心する。

オンラインからそろそろ卒業しよう。ゆっくりでいいから、本当の場の再生に向けて歩き出そう。そう願う。


カテゴリー: 雑感 タグ: