ホーム > 雑感 > 「知らんけど」という言葉が広まっているらしいが、これは誤解を生みやすい。大阪人の使う「知らんけど」は大阪の商い文化が背景にある。

「知らんけど」という言葉が広まっているらしいが、これは誤解を生みやすい。大阪人の使う「知らんけど」は大阪の商い文化が背景にある。

2022 年 10 月 14 日

「知らんけど」という言葉が広まっているらしいが、これは誤解を生みやすい。大阪人の使う「知らんけど」は大阪の商い文化が背景にある。

江戸時代、大阪は日本最大の商都であった。時代によって多少の変動はあるが、都市人口は江戸100万都市、京30万都市、大坂30万都市といわれる。ただ人口の構成者の比率が違う。

江戸100万都市のうち半数が武士であったという。京は武士は少ないがお公家さんがようさんいる。大坂は武士も公家もいなかった。大坂30万都市のうち武士は(これまた時代によって変動するが。幕末は多い。薩摩・長州が不穏な動きをするようになり、どんどんと幕府の武士が増えていった。家茂、慶喜も大坂城に入城した)最も少ない時期では1500名ほどしかいなかったという。

人口30万都市で武士は1500名ということは比率でいえば0.5%。大坂人が100人集まっても武士は1人もいない。200人集まればようやく武士が1人いる…というぐらい武士という存在が稀な状況。

これは非常に特殊な状況で、江戸時代は日本全国に300藩あったといわれるが、大体、どこの地方にも藩があり、藩主がいて、藩士がいる。武士がいる。

しかし大阪は天領(幕府直轄地)で藩がない。藩主がいない。藩士もいない。大坂の都市運営、地方政治は武士ではなくて町衆の自治に任せていた。

そんな人口構成で出来ていた都市は日本の中で大坂以外にない。大坂は町人だらけ、商人だらけ、市井人だらけの都市であった。最も猥雑で、けったいな奴が多くて、意味不明な輩が多いまちw

そういう存在(他者)に慣れているし、受け止める優しさ、度量のようなものが大阪にはある。いまだにそうした都市の性格、気風、文化は根強い。一一、例は挙げないが、あちらこちらに見受けられる。

武士の権力、公家の権威がなかった稀有な町衆の都市。しかし商人は商人で、世の中を渡っていくための思想や哲学が必要であるし、独特の世界観、美学が涵養されていく。それが「粋」の文化、「粋」のマインドとなる。

「粋」は江戸では「イキ」と読むが、大坂では「スイ」と読む。江戸のイキの文化は、わかりやすくいえば「意気」であり、「己を貫く」というマインド(これはやはり武士由来のものだろう)が強いが、大坂の「スイ」は「推し量る」の意味で、これは「推理」に繋がる。

他人がいま何を考えて、どう行動し、何を必要としているか?を常に推理し、推し量り、それを先回りすることが大阪人には必須の能力となる。

これは、結局、商売人というのがそういうもんなんですな。いま必要なもの(ニーズ)を提供し、その要望にお答えするのは当然として、その次その次を考えていかないと商売は成立しない。生き残れない。

なんせ町人、市井の人というのは常に胡乱な存在ですから、流行とか、雰囲気とか、時代精神とか、風潮とか、移り気で、ブームで、コロコロとニーズが変わっていく。権力や権威のようなわかりやすい筋道がない。

目の前の人を見て、その人がいま何を欲していて、次に何が必要か?まで勝手に、いつのまにか、考える訓練が染みついている。推理して行動する能力が求められているし、大阪人は、そういう部分が、地方の人からみたら怖いぐらいに、恐ろしいぐらいに発達している。長けている。

さらに大阪人が凄いのは、その他者の行動心理を推理して、その欲しているところを、押しつけがましくなく提供するという高度すぎる技をもっているところ。要するに相手の行動を読むとはサトリ、サトラレではないですが、そんな妖怪、策謀家、権謀家みたいな人間と一緒にいては怖いのでw

だから大阪人は、相手のことを推理し、ニーズを推察するけれど、そんなことを毎回していると怖がられるので、それを中和するテクニックも最後に付け足しのように発動させる。それが「知らんけど」です。

相手と話をしているうちに、聞いている側は勝手に相手の状況を推察し、推理し、こういうことやろ、こうしたらええねんと先回りして、おせっかいを述べてしまい、そのおせっかいさの気持ち悪さのようなものも知っているので、結局、最終的に、どう行動するかはキミの自由なんやけど、でも、とりあえずワイはこう考えるけど、まぁ、あんたの好きなようにしーや…という非常に複雑な心理の動き、メビウスの輪のような言葉の綾が「知らんけど」になります。

超超高度な商売人テクニックが発露したのが「知らんけど」です。これをですね。そういう文化的な背景がない関東の人や地方の方が聞くと「単なる無責任発言」で一蹴されかねない。「武士に二言はない」みたいな人が使うとえらいことになります。

「知らんけど」が全国で使われるようになってるそうですが、また「大阪人の悪しき言語文化」として断罪されるんやないか?と、正直、危惧しております。知らんけど。


カテゴリー: 雑感 タグ: