和泉そぞろ・坪井町まち歩き・不食供養塔
和泉そぞろ。坪井町まち歩き。
和泉でもトップクラスに古い名族が仏並町の池辺一族。
池辺氏の祖先である池辺直氷田は蘇我馬子から仏像二体を贈られ、それが仏並寺(仏並町にいまもある)のはじまりという。ほんまかいな?と半信半疑であったが池辺直氷田は『日本書紀』にもちゃんと名前やエピソードが記載されているという仏教者で、どうも本当の話のようで、ひっくり返った。PDFマップは以下からダウンロードできます。
■和泉そぞろ:和泉市でも最古級の歴史を有する仏並を歩く!
https://satomachi-izumi.com/wp-content/uploads/4f17a75fb6c6edaa5d1e42ad3f220909-1.pdf
仏並町の事を調べているうちに気になったのが隣町の坪井町。ここはここで彦五瀬命・神武天皇の兄弟が立ち寄ったとか、これまたほんまかいな?の伝説、伝承があり、まあ、いま和泉そぞろのマップを作成中だから楽しみにしといてください。
坪井町を歩いていて気になるのが、まちのあちらこちらで見られるお地蔵さんやら石仏やら石神さま。家の囲い(塀)のあいまにお地蔵さんがあって、なんやこれは?と確認したら「奉不食供養」と書かれてあった。※文字が風化して消えかかっているが、おそらく不食供養であろうと推測する。
じつはこの辺りは不食信仰という地域独自、独特の風習があった。和泉・父鬼街道沿いの集落に多いそうですが、月に1回、「不食」の日があって、その日は文字通り何も食べない。断食をする。女性の信仰であるらしい。何も食べずに女性たちが集まって、お堂などで夜更かしして喋りあったという。
今も昔も人間の悩みというのはそれほど変わらない。女性だけの会だから夫への不満やら舅姑への愚痴とか、そういったことを話しあうのだろうと思われる。食事をしないから腹が減って、いつもよりもイライラするだろうが、腹が減りすぎては怒りのボルテージも続かなくなる。徹夜の長丁場だから尚更しんどい。そうやって怒りを吐き出して、やがて諦観の境地に至るのかも知れない。
おそらく徹夜明けには不食の行も終えて、お粥か何かカラダにやさしいものを食べて気分を落ち着かせる。朝になれば空腹感が満たされ、幸福感になり、なにもかも不食さまのおかげですありがたやありがたや…という心境になるのではないだろうか。よくできている。知らんけど。