ホーム > 雑感 > 『ドリー・ベルを覚えているかい?』。エミール・クストリッツァ監督の幻のデビュー作。

『ドリー・ベルを覚えているかい?』。エミール・クストリッツァ監督の幻のデビュー作。

2024 年 1 月 5 日

『ドリー・ベルを覚えているかい?』。エミール・クストリッツァ監督の幻のデビュー作。40年前の作品らしいが、日本では初公開ということで、これも興味深くて観に行きました。

クストリッツァは、このデビュー作でいきなりヴェネチア国際映画祭新人賞を受賞している。天才すぎるやろ…。まあ、その前にテレビ業界にいてテレビ作品の監督、演出などをしていたようですが。

クストリッツァはユーゴスラビア(現在のボスニア・ヘルチェゴビア)の首都サラエヴォ出身(かなりええとこのボンで特権階級出身らしい)だが、ユーゴスラビアは複雑怪奇すぎる歴史を持つ。なんせキャッチコピー(?)が「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」であった。

第二次世界大戦のあとユーゴスラビアはソ連の後押し(のちにソ連からも距離を置くが)を受けて社会主義連邦共和国となる。第二次世界大戦の反ファシストの英雄チトー元帥(最高指導者、終身大統領、首相)による独裁体制が長く続いたが、1980年にチトーが死ぬと民族主義が台頭し、国家体制は混沌、混迷を極めていく。

十日間戦争、スロベニア独立戦争、クロアチア独立戦争、ボスニア紛争、コソボ紛争、プレシェヴォ渓谷危機、マネドニア紛争と1991年から2001年までユーゴスラビア紛争の時代に突入した。民族浄化、大量虐殺、ジェノサイドが相次ぎ、NATOの空爆まであって、もう何が何やらの阿鼻叫喚地獄。僕が物心ついた時からユーゴスラビアは内戦しかしていない恐ろしい国というイメージであった。

結局、ユーゴスラビアは6つの構成共和国スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニアがそれぞれ独立して地上から消滅してしまった。そしていまだに現在進行形で各国の紛争、小競り合いは続いている。

クストリッツァは自分の故郷は「ユーゴスラビア」(ボスニア・ヘルチェゴビアではなく)と明言する人間であるし、ロシア・ウクライナ戦争でもロシア支持、プーチン支持を表明している。そのことでクストリッツァ・ファンの中には「幻滅した」というようなことを宣う方もいるようだがクストリッツァの半生を鑑みれば非情かつ峻烈なる政治的リアリズムに立脚した発言だともいえる。極東アジアの島国の日本と世界の火薬庫・バルカン半島の旧ユーゴスラビアでは地政学的状況があまりにも違いすぎる。迂闊なことはいえない。

映画は1981年の作品。チトー体制が終了(1980)し、ユーゴスラビアは西側の自由市場経済を取り入れようと模索していた時代。映画でも共産主義思想のオッサンが「これからは各村にひとつのロックバンドを」と熱弁して、それが村人たちに支持され、主人公の少年ディーノたちがバンドの練習を始めるという頓珍漢ぶりに笑ってしまう。ユーゴスラビアが変わりつつあろうとした時代状況がなんとなく窺える。歴史的には、この流れの果てに1984年のサラエヴォ冬季オリンピック(東側諸国、社会主義国家のオリンピック開催はモスクワに次いで二回目の偉業であった)があった。

なにはともあれ、民族浄化の暗黒時代(傑作『アンダーグラウンド』はまさしくその真っ最中に作られた映画であるが)の前に、こんな青春物語の映画が描かれていたのだなあとクストリッツァ(ユーゴスラビア人)の激動の人生を俯瞰し、感慨深しいものがあった。名作。みるべし!


カテゴリー: 雑感 タグ: