隠れ念仏
鹿児島市内を歩いていたら、やたらとでかい寺院があったので、「あ、これは本願寺さんやな」と思ったらビンゴ。鹿児島別院でした。
江戸幕府は切支丹を弾圧しましたが薩摩藩は切支丹に付け加えて浄土真宗も徹底的に弾圧していた。
薩摩は島津公が長く君臨し、日本で最も封建君主が強いエリアといってもいいかもしれない。有無を言わさずに問答無用で上位下達、上命下服というのが薩摩藩の恐ろしさであり、薩摩隼人の戦上手に繋がった。組織、コミュニティに「縦の力学」が浸透しきっている。
そういう薩摩藩で在家同士(浄土真宗では僧侶も在家)で車座になって談合(話し合い、語り合い)を大切にする浄土真宗のフラットでニュートラルな「横の力学」は嫌悪された。その結果が浄土真宗門徒への拷問である。
何の謂れもないのに浄土真宗門徒は薩摩藩から棄教を迫られ、棄教しないと割木責め(ギザギザの木の上に座らされて30キロ、50キロもの大石を乗せられる)、水責め、女責め(女性器への暴行)といった残酷極まりない拷問にかけられた。何人もの死者が出たらしいが、それでも浄土真宗の門徒は信仰を捨てず、薩摩藩には隠れ切支丹ならぬ隠れ念仏が大勢いたらしい。天保年間の大弾圧では14万人以上の門徒が摘発されたという。
結局、幕末の頃には薩摩藩は浄土真宗どころか仏教そのものにも排斥的になっていく。神道に傾倒して国学思想が蔓延する。天皇親政の名の下に討幕運動を展開し、それが明治維新の原動力となったが廃仏毀釈なんて日本の歴史上でも類を見ない大愚策を実施する。
鹿児島はじつは日本でいちばん文化財が少ない都道府県で。これは廃仏毀釈の影響で薩摩藩内の寺院を徹底的に破壊し尽くしたので(浄土真宗以外の寺院も対象となった)結果として、そうなってしまった。文化財というのは想像以上に仏教文化なんです。寺院、仏像、仏画、仏具が日本の国宝となっている。
これは私見ですが明治維新を近代革命というのは当たらない。アメリカの独立戦争、フランス革命のような「自由、平等、博愛」といった近代的理念が薩長にはどうにも見当たらない。いってること、やってることは天皇親政などアナクロニズム(時代錯誤)もいいところで廃仏毀釈なんかはカルトの蛮行でしかなかった。そして、それらを主導したのが薩摩藩(と長州藩)であった。
日本の近代化の歪み、奇妙奇天烈さ、カルトは明治維新を主導した薩長の歪みや奇妙奇天烈さ、カルトと直結してます。明治維新とか昭和維新とか維新維新いう人は危険ですねん。歴史がそれを証明してます。ほんまに。