ホーム > 雑感 > 兵部大輔大村益次郎卿殉難報国之碑

兵部大輔大村益次郎卿殉難報国之碑

2024 年 2 月 16 日

大阪市中央区役所から大阪市教育会館までまち歩き。画像は「兵部大輔大村益次郎卿殉難報国之碑」。

やたらと巨大で大袈裟で厳めしいが建立されたのが昭和15年。日本は挙国一致の大政翼賛体制となり、皇紀2600年で日本国中が天皇万歳、軍国主義万歳で狂っていた時代のもの。大村益次郎は帝國陸軍の父であるので、その顕彰として、こんなものも建てられた。

発起人の名前が凄い。伊藤忠兵衛、稲畑勝太郎、林銑十郎、東條英機、鳥井信治郎、種田虎雄、大林義雄、奥村信太郎、片岡安、竹中藤右衛門、中山太一、村山長挙、野村徳七、久保田権四郎、栗本勇之助、松岡洋右、松下幸之助、鴻池善右衛門、小林一三、小寺源吾、高津久右衛門、駒井徳三、江崎利一、寺田甚吉、安宅弥吉、荒木貞夫、森平兵衛、森下博、杉道助…。

軍部、軍隊関係は当然だが、大阪財界の錚々たる面々の名前が連なっていて、いやあ、壮観である。壮観ではあるが、やはり、この人たちはあの時代の狂気を賛美した戦争協力者ということになろう。時代の罪ではあるが、ここに名を刻まれているということは、決して忘れられてはならない。


カテゴリー: 雑感 タグ: