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尻無川は唐人澪(とうじんみを)とも呼ばれ、朝鮮通信使の船の公式航路であった

2024 年 6 月 16 日

本日は阿波座、江之子島、川口、松島まち歩き。途中、トラブルでルート変更に。時間があったので予定にはなかった竹林寺へ。金漢重の墓を案内して、みなさんでお参りした。

明和元年(1764)、11回目の朝鮮通信使のメンバーであった金は大坂で病に臥せて竹林寺で亡くなった。本国の朝鮮には妻と2人のこどもがいたが「こどもに逢いたい」と泣きすがる金の姿に大坂の町衆たちは心を痛め、同じ年頃の日本のこども2人を金の枕元へ呼んで我が子に見立てて看病させたという。

かつて竹林寺の側には尻無川が流れていた。この尻無川は唐人澪(とうじんみを)とも呼ばれ、朝鮮通信使の船の公式航路であった。尻無川から大阪湾に出て瀬戸内海、関門海峡、壱岐対馬を経て釜山、朝鮮半島に繋がる。

いまはもう川が埋め立てられたので竹林寺と朝鮮半島の結びつきがわからない。


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