八公二民とタノカンサァ
2024 年 9 月 18 日
えびのは江戸時代、薩摩藩領であった。調べると薩摩藩の年貢率はなんと「八公ニ民」であったという。
一般的な藩の年貢率は「五公五民」で、天領(幕府領)などは「四公六民」であったから、それらと比べると薩摩藩の年貢率はベラボーに高い。辛い。苦しい。厳しい。薩摩藩の農民は当然、貧しく大変で「生活はなく生存しかなかった」などといわれるほど酷い有様であったらしい。
なぜこれだけ薩摩藩の年貢率が高かったのか?というと薩摩藩は武士が多かったからで江戸時代、各藩の武士の人口比率は全国平均では約7%ぐらいだが、薩摩藩では約30%と全国平均の4倍以上も武士が多かったらしい。
薩摩藩はやたらと武士偏重の戦闘国家(戦闘藩?)でこういう武闘派集団が官僚的、事務的、平和的(?)な幕府を倒して明治維新を迎える。わかりやすい話ですなぁ。
えびのは、やたらとタノカンサァ(田の神さま)が多い。えびの市内だけで150体以上ある。しかしこれは別にえびのだけに多いのではなくて薩摩藩領全域に多い。タノカンサァは薩摩藩内の農民たちに特に篤く信仰されたように思われる。
タノカンサァは、また神さまなのに祟らないという神さまだという。蔑ろにしたり、汚したり、蹴ったり、踏んだり、転がしたり、こどもの遊び道具にしたり、割れたり、欠けたり、盗んだり、小便をかけたりしても、決して祟らない。
恐ろしく厳しい薩摩藩の武士と、どこまでも優しく田んぼを見守ってくれるタノカンサァ。この両者は、ある意味で対称的な、シンメトリカルな存在ではないか?という気がする。
庶民の、しいたげられた農民たちの知恵であり、したたかさ、しなやかさなのかもしれない。タノカンサァは今日もトボけた顔をして、そこにいる。
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