時空散走はヒストリー(歴史)だけではなくてライフ(人生)を語る
いわき時空散走フェス2024秋、はじまってます。平ツアー、赤井・平窪ツアーも超絶楽しかった。ほんまに素晴らしい。
これは僕の個人的な反省でもあるんですが、いままでのまち歩きやツアーはガイド(講師、先生、専門家、長老、えらいひとなど)が一方的に喋りすぎました。モノフォニー(単旋律、一声性)すぎた。
当然の話ですが、まち(コミュニティ)はガイドだけのものではないですから。みんなのものです。だから、まち歩きの参加者にも当然、まち(コミュニティ)を自由闊達に語る権利がある。
エライ先生がまちを語って、いろいろと教えてくれるもんだから、それにアッサリと上書きされてしまい、自分の口で「自分のまち」「等身大のまち」を語るという機会が奪われてしまう。とてももったいない。
参加者もまち(コミュニティ)の当事者なのだから、自分の経験やら雑談やら思い出話やら聞いた話やら噂話やらエビデンスなんかまったくない良い加減な都市伝説でも何でもいいから「わたしのまち」「わたしとまち」を語れるし、じつは語る行為によって、ようやく自分とまちとの関わり方、捉え方、関係性、認識が見えてくる。わかってくる。
その内容が歴史的事実と合っているとか間違っているとか、そういうことは一旦置いて、まず「まち語り」をするという経験によって、ようやく「まちびととしての当事者性」を回復すると僕は考えています。
まちづくりやまちおこしといった、何かまちで事を起こしたり、行動するに当たって、まず「自分こそがこのまちの当事者なんだ」という意識なくして、それらの活動は始まりません。起こせません。
だから、いわき時空散走では、参加者全員がそれぞれに、自分なりの「まち語り」をして、それを許容して、シェアするポリフォニック(多声性)なツアーにしたいと思ったわけです。なので「ガイドではなくてサポーターがいるコミュニティ・ツーリズム」のプロジェクトにしようと考えた。
いわき時空散走のサポーターは何度かいっていますが、ツアーの道案内はしますが、基本的にはツアー参加者の話を聞いたり、促したりするファシリテーターの役割です。「参加者(みなさん)自身がガイドですよ」と最初に宣言してツアーに参加してもらってます。おかげさまツアー参加者のみなさん、ようしゃべるようしゃべるw 大阪人以上にしゃべってますw
時空散走はヒストリー(歴史)だけではなくてライフ(人生)を語るツアーともいえます。思い思いに、自分たちのまちの思い出を語るのですが、そこには自ずと、その人のライフ(人生)が滲み出てくる。歴史の話はやはり少し遠いです。実感として、よくわからないところがどうしてもある。安藤信正公とか会ったこともないしw
しかし、ツアー参加者の「まち語り」は、リアルだから共感、共鳴、共振してしまう。自然とみんなが仲良くなっていく。ツアーが終われば、もう既に、そこに新しいコミュニティができあがっている。コミュニティ・ツーリズムの神髄、真価が時空散走にはあると僕は断言します。
また、いわきの人は、みんな自然と、それなりに、朧気ながらでも「わたしとまち」「わたしのまち」の「まち語り」ができるんですよ。それはやはり2011年に東日本大震災と福島原発事故があったからだろうと思います。
あの時、いわきの人(これは福島の人、東北の人全員にいえることですが)は、だれかれ問わず、等しく全員に「なぜこのまちはこうなってしまったのだろうか?」「これからわたしはこのまちでどう生きていこうか?」という問いを、眼前に、切実に、真剣に迫られた経験がありますから。
そういう経験があったいわきの人たちだから、どこの都市の人たちよりも「まち語り」ができるんだろうと僕は思ってます。それは凄いことなのです。ある意味、それこそが、いわきの可能性であるし、未来に繋がることだと思ってます。
参加者全員が「まち語り」をするいわき時空散走は、そういう意味でいえば、最もいわきらしい、いわきに適したコミュニティ・ツーリズムだろうと思ってます。いわきだから、これだけ盛り上がるんだろうとも。
時空散走フェス2024秋は、12月まで続きます。もうどのツアーも満員御礼ばっかりになってきましたが、あと1、2名ならなんとか…というコースもいくつかあります。ぜひともお早めにお申し込みください!
■いわき時空散走・イベント
https://jiku-sanso.jp/event/
※画像はリケンさんのTwitterより。いい写真やなぁ。さすがリケンさん。ありがとうございます!^^