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2025 年 1 月 29 日 のアーカイブ

余裕のない勝ち組

2025 年 1 月 29 日 Comments off

ぼくは1978年2月生まれ(1977年世代。戦後最低の大卒就職率63.7パーセント。なんと3人に1人が正社員就職できなかった…)で、まさしく就職氷河期真っ盛りのロスジェネレーション世代。まあ、ぼく自身は中卒の学歴社会アンチテーゼのドロップアウト組なんで、大卒の就職率とかあんま関係ないんですが。

しかし周りの知人、友人たちはほんまに大変そうやった。折角、大学までいったのに働き口がない。正社員になれない。派遣労働者やフリーターになる。ブラック企業に勤めて消耗してしまい、鬱とか失踪とかで社会復帰できなくなる。いまだにひきこもりが一番多い世代が我々世代らしいですから。中には自死、自殺とか悲劇的な最期を遂げてしまった人も少なくありません。僕の知り合いにも何人かいます。まさに死屍累々の世代です。

国や企業や社会から見捨てられ、棄民された世代で、過酷な生存競争に晒された世代なんですが、その中でも勝ち抜いた人間ってのは少数いて、これがしかし「余裕のない勝ち組」というか、自分が勝ち組になれたのは自分自身の血も滲むような努力の結果であり、周りの無様な敗者と比較して、自分の才能や実力に自惚れてゴリゴリの自己責任論者であったりする。

負け組、落ちぶれた奴、ドロップアウトしたような人間は弱い人間でダメな人間で社会不適合者で、そんなのは救済する価値も存在意義も省みる必要などもない…と、棄民された世代であるがゆえに、誰よりも棄民が当然と考えるような弱肉強食的な思想の持ち主が多い気もしています。

イジメられたものが、それで人をイジメなくなるか?というとそうではなく、自分より弱いものを見つけると、より徹底してイジメたりする。哀しいかな。暴力が暴力を産み、憎しみが憎しみを増幅させる。なかなかこうした「イジメの再生産」「暴力の再生産」「憎しみの再生産」の構造から人間は抜け出すことが出来ない。それと同じように棄民された者が、最もよく棄民する人間になってしまう訳です。

同世代で勝ち組、成功者となった人がテレビやSNSで、その手の自己責任論、弱肉強食論を強弁しているのを見るたびに、「この世代、ほんまに世知辛いなあ…」と自己憐憫に陥ったりしてます。そして、この手の世代の勝ち組が政治的権力なんかを持つと、ほんまにろくでもないな…という恐ろしさも感じてます。

いま氷河期世代、棄民世代は50代前後なんですが、あと10年ぐらいすれば、日本の政治の世界(この世界は60代、70代でようやくトップに君臨する遅れた老人社会ですから)では、おそらく主流になって行くと思われます。社会的弱者に対して最も苛酷、峻烈、冷厳で情け容赦ない棄民政治をやるんではないか?と僕なんかは今から非常に危惧しております。

杞憂に終わればええんですが…。


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SAKAI賞・未来賞

2025 年 1 月 29 日 Comments off

堺の実家に帰ると、なぜか「SAKAI賞・未来賞」の受賞記念プレートが飾られていた。平成19年ということは西暦でいうと2007年。僕は29歳でした。

当時はテレビ業界を辞めてフリーでライターをやったり、イベンターをやったり、アートNPO法人を作ったり…とあちらこちらに顔を出してフラフラしていたが、まち歩きという方法論、手法の面白さ、可能性に気づき、自分なりに試行錯誤をしていた時代だった。

自分の考えるまち歩きプロジェクトをなんとか世の中に出したい、カタチにしたいと考えていたが、なんせこちらは最終学歴中卒で、学歴もなければ、金もなければ、実績もなければ、コネもない。しかし毎日新聞社さんがスポンサーで堺商工会議所がビジネスコンペをやることを偶然、知り、これや!と堺のまち歩きプロジェクトの企画書を書いて提出した。

企画書は無事に一次審査を通り、最終審査で審査員の前でプレゼンをすることになったが「こりゃ一発かましとかなあかん」と、千利休のコスプレ(和装に利休帽を被る)をして、さらに他の企画者はみんなプロジェクターでパワポでプレゼンするから、こっちはアナログでいったれ!と紙芝居を使ってまち歩きプロジェクトの企画を伝えたら審査員から面白がられて奇跡の受賞に繋がった。

そもそも当初は「未来賞」というのはなくて、しかし僕のプレゼンが評判が良かったらしく特別枠として「未来賞」というよくわからない賞(失礼!)が急遽作られて受賞することが出来た。当時の審査員、誰一人として覚えていないが(申し訳ございません)、ありがたいことです。

また毎日新聞さんがスポンサーだったから受賞式の様子などが毎日新聞に掲載され、これがたまたま堺市観光部のS部長の目に止まり、連絡がきて、そこから堺市観光部とのおつきあいが始まった。S部長は国交省から堺市に出向していたキャリア官僚で、さすがに素晴らしい先見の明の持ち主で、いろんな業界関係者を紹介されて、いまもご恩を感じている。

さらには、その関係者の中に大阪市役所の観光関係者がいて、僕の受賞した企画書を読んだ方から会いたいとコンタクトがあり、じつは大阪市もまち歩きプロジェクトを始動するつもりであるというので、そこのプロデューサーに就任することになり、これが大阪あそ歩となった。あそ歩は関係者各位のご協力もあり、ありがたいことに大成功して、2012年にコミュニティ・ツーリズムのプロジェクトとしては日本初となる観光庁長官表彰を受賞した。翌年の2013年に僕はあそ歩をやめるが、まあ、まち歩き自体は、ずっと僕は野良で、アウトサイダーで続けている。

それなりに長くなってきた僕のまち歩き人生(?)であるが、振り返ってみると最も大きい影響と効果を与えてくれた受賞が、この「SAKAI賞・未来賞」だったように思います。記念プレート、大事にせなあきませんな。ホコリかぶってるけど。なんでか僕の部屋やのうて弟の部屋に飾られてたけど(オカンが設置した)。


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