余裕のない勝ち組
ぼくは1978年2月生まれ(1977年世代。戦後最低の大卒就職率63.7パーセント。なんと3人に1人が正社員就職できなかった…)で、まさしく就職氷河期真っ盛りのロスジェネレーション世代。まあ、ぼく自身は中卒の学歴社会アンチテーゼのドロップアウト組なんで、大卒の就職率とかあんま関係ないんですが。
しかし周りの知人、友人たちはほんまに大変そうやった。折角、大学までいったのに働き口がない。正社員になれない。派遣労働者やフリーターになる。ブラック企業に勤めて消耗してしまい、鬱とか失踪とかで社会復帰できなくなる。いまだにひきこもりが一番多い世代が我々世代らしいですから。中には自死、自殺とか悲劇的な最期を遂げてしまった人も少なくありません。僕の知り合いにも何人かいます。まさに死屍累々の世代です。
国や企業や社会から見捨てられ、棄民された世代で、過酷な生存競争に晒された世代なんですが、その中でも勝ち抜いた人間ってのは少数いて、これがしかし「余裕のない勝ち組」というか、自分が勝ち組になれたのは自分自身の血も滲むような努力の結果であり、周りの無様な敗者と比較して、自分の才能や実力に自惚れてゴリゴリの自己責任論者であったりする。
負け組、落ちぶれた奴、ドロップアウトしたような人間は弱い人間でダメな人間で社会不適合者で、そんなのは救済する価値も存在意義も省みる必要などもない…と、棄民された世代であるがゆえに、誰よりも棄民が当然と考えるような弱肉強食的な思想の持ち主が多い気もしています。
イジメられたものが、それで人をイジメなくなるか?というとそうではなく、自分より弱いものを見つけると、より徹底してイジメたりする。哀しいかな。暴力が暴力を産み、憎しみが憎しみを増幅させる。なかなかこうした「イジメの再生産」「暴力の再生産」「憎しみの再生産」の構造から人間は抜け出すことが出来ない。それと同じように棄民された者が、最もよく棄民する人間になってしまう訳です。
同世代で勝ち組、成功者となった人がテレビやSNSで、その手の自己責任論、弱肉強食論を強弁しているのを見るたびに、「この世代、ほんまに世知辛いなあ…」と自己憐憫に陥ったりしてます。そして、この手の世代の勝ち組が政治的権力なんかを持つと、ほんまにろくでもないな…という恐ろしさも感じてます。
いま氷河期世代、棄民世代は50代前後なんですが、あと10年ぐらいすれば、日本の政治の世界(この世界は60代、70代でようやくトップに君臨する遅れた老人社会ですから)では、おそらく主流になって行くと思われます。社会的弱者に対して最も苛酷、峻烈、冷厳で情け容赦ない棄民政治をやるんではないか?と僕なんかは今から非常に危惧しております。
杞憂に終わればええんですが…。