ホーム > 雑感 > 大阪港、天保山まち歩き。築港高野山へ。昭和6年の浪曲塔。

大阪港、天保山まち歩き。築港高野山へ。昭和6年の浪曲塔。

2025 年 2 月 19 日

大阪港、天保山まち歩き。築港高野山へ。昭和6年の浪曲塔。当時の親友派の浪曲師、小屋がわかる。なかなかマニアックなモニュメントですw

千日前 愛進館
新世界 光月
天満 國光席
松島 廣澤席
神戸 大正座
京都 福眞亭

港区は当然、港湾労働者が多い。かつての港湾労働者は文字が苦手という人間も数多くいた。活字、新聞などは読まない。しかし世間のことがわからないと困る。そこで浪曲に通った。

浪曲は当時の世相、時事、政治問題、経済問題、事件、事故、男女の醜聞、スキャンダルなどを題材にして物語る。いまでいうところのニュース番組やドキュメンタリー番組のような役割を果たしていた。結果として、それが港湾労働者の知的水準を向上させ、社会性を涵養することに繋がった。

浪曲やら漫才やら近代大阪から生まれたニューメディアは労働者、大衆に向けての啓蒙的なメディアでもありました。ただ単に面白おかしいというだけではなくて、時代の要請があり、結果として大衆教化の役割も果たしていた。漫才作家の秋田實大先生などは東京帝國大学のインテリですからw 左翼活動にハマって中退して、しかし「労働者にこそ娯楽が必要だ!」と漫才の台本、脚本を書くようになった。

浪曲は、だから、かわいい女の子が多かったりもしますw 女浪曲師たち。いまでいうアイドルみたいなもんですな。それが労働者たち(男性)にウケた。北野武監督の祖母、北野うしさんもそのうちのひとり。北野武監督の芸能の血は浪曲師(正確には女義太夫ですが)の祖母から来ている…というのは北野武監督自身がいうてはります。


カテゴリー: 雑感 タグ: