一度でも毒は投げさせない
例えば水道インフラは毒物の混入などを恐れて厳重に監視され、不審者などは水道局内にも容易には侵入できない。
しかし情報インフラのネット・メディアでは、ユーチューバーやらライバーやらは不審者だらけで(失礼!しかし僕にしてみると実際、何者かよくわからない人だらけなのですよ…)基本、誰でも自由に出入りできる。反社会的で非道徳的でアモラルな毒物的(?)な情報も垂れ流し放題で、それが世間に回って炎上してから、ようやく運営側がバンする。
また仮に運営側が不審者をバンしても、一度、ネット・メディアに流された毒というのは、なかなか容易に消えない。消毒できない。それがスキャンダラスで過激で暴力的で差別的で「危険な毒」であればあるほどネット・ミーム化して、より拡大・拡散・再生産していく。一度でも毒を垂れ流すと、それが情報社会そのものを汚染して、劣化させ、ますますモラルハザードが低下していく。悪の連鎖、負の連鎖が起こり続ける。
最大の問題は、悪意のある、不審な配信者が自由に出入りできるようなネット・メディアの在り方、在り様だろう。情報インフラとして、これはやはり無責任であるし、不用意すぎる。もうちょっと運営側が責任をもって配信者を精査して「一度でも毒は投げさせない」という覚悟や矜持を求めたい。
あ。そうそう。メディアの配信者になろうという人間を精査するのに、運営側は、まわしよみ新聞とかやらせて、どんな記事を選ぶか?とか、その記事に対する言動などをチェックしたらええんちゃうかな?w まわしよみ新聞はメディア・リテラシーの涵養に使えまっせw まあ、こういうのも、あんまりやりすぎると思想統制とか言論統制になりかねないから、また塩梅が難しいんですが…。
結局、情報メディアの公共性、社会性をいかに担保するか?という問題で。おそらく、まだ、われわれの社会は情報化社会の黎明期で、混乱期なんでしょう。やがて整理されて、淘汰されて、それなりに、いいものが残っていくと思いたい。信じたい。ムリかなぁ…(え)