ホーム > 雑感 > デバイスならではのコミュニケーションがある

デバイスならではのコミュニケーションがある

2025 年 6 月 11 日

「家電(いえでん)」でカノジョの家に電話をするわけですが、大体、カノジョのオカンが出るわけですよ。秒でオカン、子機とりますから。ものごっつう早い(娘が子機もってるときは親機でとる)。僕が電話かける時間とか大体、わかるんですな。あれ、なんでしょうな。オカンの直観。そしてオカンが娘の名を呼ぶときの、あの、勝ち誇った感じ。

「ポケベル」は、まぁ、大体、これまた文字化けしてるんで、解読する必要があるんです。文字表みて、なんて送ってきたか?を解読して、どうでもいいことだったり、甘ったるい言葉だったりするんですが、そういうのに一喜一憂する時代。

「PHS」は家の中では電波が弱くて、だから、窓になるべく近づいて喋らないと声が届かない。冬は寒いし、夏は虫とか寄ってきてね。大変でした。

「ガラケー」でようやく普通に電話できるようになりますが、あんまり話してると金かかるんで、5分間の無料通話のあいだでしゃべるんです。長くなる時は5分ごとに何度もかけなおす。

「ガラケー」も2台目あたりから、世の中がショートメールで意思疎通を図るという時代になりまして。どうでもいいことをメールで送りあうという文化の浸透。それとともに「通話する」ということが徐々になくなっていく。携帯電話というか携帯メールになる。

「スマホ」になるのは30代超えてからで、格段に、どこでもネットが見れるようになりまして、その結果、24時間、ネットサーフィンするか、もしくは仕事もできるようになる。暇つぶしとハードワーカーと二極化していく。スマホ依存が病的に進行する。遊ぶ道具と仕事する道具が一緒というのが、そもそも、いろいろと間違いの元。

10代、20代、30代と多感な時期に、次々とデバイスが変わっていくという経験ができたのは、じつは僕ら世代の強みではないか?と思ってます。「いきなりスマホ」から始まると、その「デバイスならではのコミュニケーションがある」ということがわからない。

家電には家電の、ポケベルにはポケベルの、PHSにはPHSの、ガラケーにはガラケーの、スマホにはスマホの良し悪し、一長一短、特性、特徴、特質、特色というものがあるわけですよ。わざわざ、あえて手紙で書いて送るから、伝わることがある。

そういうデバイスならではのコミュニケーション特性に注目して、生まれてきたのが「まわしよみ新聞」とか「直観讀みブックマーカー」とか「当事者研究スゴロク」とかの一連のコモンズ・デザインですから。

生まれた時から、最初っからスマホ世代だと、なかなか、そういう各デバイスが持っている面白さ、可能性、潜在能力に気づくということがないかもしれません。絶対にないとはいわないが、なかなか、気づかない。

レコード→カセット→CD→MD→iPod→スマホとかね。8ミリ→レーザーディスク→ビデオ→DVD→YouTube→スマホとかね。とかく、デバイスの変革期、過渡期、端境期であったことは、僕の人生の彩りというものです。

———————————–

■「全部通ってきた」「分かりすぎてつらい」 時代の移り変わりを感じる1枚が話題

https://grapee.jp/1955172


カテゴリー: 雑感 タグ: