棄民されたものが、棄民する
「日本人ファースト」の裏側には「自分たちこそ冷遇され、無視され、差別されてきた」というルサンチマン的な憤怒、怨嗟の感情があるのは否めないでしょう。
実際に「日本人ファースト」を支持しているのは40代、50代の世代らしく、この世代は、まさしく就職氷河期で、ずっと苦しめられ、棄民され続けてきた世代です。バブル崩壊後の1993年~2004年頃に就職活動を行った人たちで、全国では約1700万人ほどいるとか。
何十社と面接を受けるが落ち続けて、ようやく就職できたと思ったらブラック企業でパワハラの被害者になったり、非正規労働、派遣労働者になるしか方法がなくて雇用は安定せず、また雇止めやらで正社員にはなれずに、生活は非常に厳しい。精神的な疾患を抱えたり、ひきこもり、自死、自殺なども多い世代です。
僕自身が1978年生まれで「大卒就職率が60%もなかった」という世代ですから。僕は生まれた家がカルト宗教の家で、親・親戚との関係をこじらせていたから、もう中卒で進学などはせずに16歳から働いておりましたが、知人、友人たちは大学までいったのに卒業後40%が最初から派遣労働やアルバイトやったわけで、本当に今では考えられないぐらい酷い状況であったなぁと思います。キャリア形成の第一歩から既に躓いている。僕は、そういう世代の、まさしくド当事者なので、正直、めちゃくちゃ同世代の人間が抱える「生きづらさ」は、肌感覚でわかっているつもりです。
ただ、じつは「世代格差の問題」というのは、その世代の真っ只中にいると、なかなかわからない。自覚できない。なんせ本人としては他の世代を生きたことがないので比較することができないんです。「与えられた土壌の中で咲くしかない」といいますか、「世の中そういうもんなんやろう」という諦観があるわけです。
しかし、どうも自分たちの世代は不遇で、不運で、不当に扱われて搾取され続けてきたらしい…という「世代間格差」問題への自覚が芽生えてきたのは、じつは、ここ数年のことではないかと思います。そして、そういう問題意識を覚醒させたのが、そのキッカケとなった一因が、僕が思うに海外からの観光客、インバウンドという「目に見えて裕福そうな外国人の存在」ではないか?と思うんですな。
日本が経済的失政(消費税を上げて法人税を下げる)を繰り返し、わずか30年で坂道を転がり落ちるかのように没落していき、すると外国人から「日本は安い」と大量に海外からインバウンドがやってくるようになった。
それは日本の政治家や官僚、大企業などによる政治操作、経済的失政の影響なんですが、人間というのは、そういう経済やら政治やらというような目に見えないものの問題はなかなか認知できません。それよりも目の前にあって、わかりやすくて認識しやすい存在の問題に先ず飛びつくし、囚われる。
とくに幸福そうで裕福そうで経済的に繁栄を謳歌している中国、韓国、アジアなどから日本に来る「同世代」や「若者たち」を見て、その爆買いの様子なんかを見て、観光地に大量に群がるオーバーツーリズムの状況をみて、就職氷河期世代の40代50代は「なぜ自分たちはこんなに貧しいのか…」と比較してしまったのではないか?
「日本人ファースト」という言葉に共振、共鳴、共感する裏側には「日本は日本人ファーストではない。外国人ファーストである」という被害者意識があります。自分たちの生きづらさの問題、自分たちを追い込んでいる「敵」として、「外国人」が「認知しやすくて、わかりやすい」存在だったのではないか?
他者と比較する人間ってのは、大抵、不幸になります。他者、他人と比べて「上だ」「下だ」とかいって一喜一憂する人間は結局、自分の中に価値判断基準がないんです。自分の存在価値がわからない。アイデンティティをロストしていて、自己肯定感がない。
そういう自己肯定感が少ない人間、ない人間が、大量に溢れかえっているのが現代日本社会ということなんでしょう。それは本人の資質や性格もあるかもしれませんが、やはり置かれてきた環境や社会状況などが影響していると僕は思ってます。それが就職氷河期世代を棄民してきた日本政治、日本社会に対する復讐、報復のマトリックスになっている。
棄民されたものが、棄民する。差別されたものが、差別する。不幸の再生産です。こういう不幸の連鎖を、なんとか断ち切る社会にしないといけない。
排外主義者を生み出すような社会は、結局、どこか歪なんです。その歪さをちゃんと把握し、認識しないと、我々の社会は、よりよいものに、先に進めることはできません。