いわきのカオスモス
【いわき時空散走】いわきでリサーチしていると驚くのが「あちらは泉藩だから」「あそこは笠間藩だから」と藩領で話をする古老、長老がそれなりに、ごろごろ、いはることw
日本も近代国民国家を始めて150年ぐらいになりますが、なんせ幕藩体制時代は270年続きましたから。まだまだ土地や共同体や人の意識、無意識に、幕藩体制時代の名残り、影響、作用は強くあるようです。
いわき市誕生の「14市町村(5市4町5村)合併」も凄いんですが、また幕藩体制時代のいわきがこれまた複雑怪奇で。幕末時では平藩、湯長屋藩、泉藩、幕府領(小名浜領)、棚倉藩、笠間藩、多古藩、飯野八幡宮領、旧窪田藩領などがあったことが資料で確認できます。
仙台藩(伊達)、米沢藩(上杉)、会津藩(松平)、水戸藩(徳川)のような大藩で地域がまとまっていたら話はわかりやすく、それなりに藩の特性、性格、ベクトル、イデオロギー、カラーも統一的になりますが、いわき地方は継ぎ接ぎ、チグハグ、飛び地だらけ。まったく、そこに、統一性など、ないw
東北の藩といえば戊辰戦争の悲劇で「そうだオレたちには奥羽列藩同盟の固い絆があるじゃないか」と思うんですが、これがまたいわきの場合はグラデーションがありまして…。笠間藩なんかは新政府軍側についておりますし、小名浜領民(幕府領で幕府は遠いので結構、地元民の自由裁量があったようです)は新政府軍を手引きした…というような話もあります。結局、まとまらないw
もともと戦国時代にいわき地方を収めた岩城氏という中世からの豪族がいるんですが、この岩城氏があまり強権的な武家ではなかったようです。どちらかというと小競り合いをして、テキトーなところで手打ちして、外交やら政略結婚(伊達や佐竹とも親戚です)やらで地域を取りまとめていった。合従連衡的に地域の豪族たちが繋がって、それでいわきをまとめたというような調整型で、交渉型で、賢い武家ともいえます。
だから江戸時代にも、いわきには大藩がなかった。大体、戦国時代の地方覇者が、江戸時代の幕藩体制下となると外様の大藩の支配者となりますから。岩城氏(関ヶ原で日和見して家康から領地没収されたんですが…)は伊達氏や佐竹氏、上杉氏のような巨大な権力者ではなかった。
中世の岩城氏の分権的統治。近世の小藩乱立。近代の14市町村。いわきは、いつの時代も、基本的に、バラバラであったといえますw
いわき時空散走は、いわきの百花繚乱の文化、歴史、物語を伝えるものですが、そのマトリックスは、たぶん、これです。強い巨大な権力が、あまり、この地には君臨しなかった。それがゆえの、いわきのカオスモス。自由。