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天明逃散集合の地

2026 年 1 月 5 日

高知県吾川郡仁淀川町の池川集落。安の河原にある「天明逃散集合の地」の史跡。

江戸時代、吾川郡池川村は土佐和紙の名産地として知られていた。ところが土佐藩は悪化する藩財政をなんとか改善しようと池川村の和紙の自由売買に禁止令を出して、藩の専売にしようと目論んだ。折悪しく天明の大飢饉にも襲われて池川村の村民たちの生活はすこぶる困窮し、ついに天明7年(1787)2月16日、池川村の農民601人の男子が、藩境を越えて隣接する伊予松山藩領(現・愛媛県久万高原町)の菅生山(すがおやま)大宝寺へ逃散(駆け込み)を決行したという。

結果として30日近くも山に立て籠り続け、土佐藩が折れて池川村の和紙は元通りに自由販売が許可された。「池川紙一揆」といわれて、土佐藩政史に残る大事件として記録されている。

陸奥家の祖先が、この池川紙一揆に参加しているかどうかはわからない。一応、陸奥家の家紋は宇和島伊達藩の宇和島笹と一緒で、家の言い伝えでは宇和島伊達藩の武家の子孫ということになっている。

なんで宇和島藩士の子孫が土佐藩領の池川村にいるのか?と疑問に思うが、池川集落は松山街道の宿場で、土佐と松山を結ぶ重要な拠点でもある。松山から南に下ると宇和島なので、松山街道は宇和島街道にもつながる。宇和島、松山、土佐の藩士の行き来もいろいろとあったろう。何かしら街道に纏わるような仕事をしていたのかもしれない?と推測したりもしているが、よくわからない。


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