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宮ノ原塾跡(高知県高岡郡佐川町庄田・宮ノ原八幡宮・宮ノ原寺跡)

2026 年 1 月 5 日

高知県高岡郡佐川町庄田の宮ノ原八幡宮へ。ここは宮ノ原寺の跡地でもある。

この宮ノ原寺は『佐川町史』によると「佐川町黒岩地区の庄田、宮ノ原集落は中世から明治維新まで邑主・深尾氏の城下町・佐川に次ぐ深尾領内唯一の文教の地として栄えた」とある。

元々、宮ノ原には深尾家が入植する以前から黒岩領主の片岡氏が君臨していて、その片岡氏が創建した宮ノ原八幡宮と別当寺・宮ノ原寺があって中世から栄えたエリアであったとか。この片岡氏は戦国時代には長宗我部氏に仕えていたが、主家の没落もあって武士は辞めて、庄屋や神官などになって地域で活動していくことになる。

しかし中世以来からの集落であるので土佐藩・深尾家にとっても重要な拠点であったのだろう。宮ノ原寺は藩政時代には代官役所も兼ねていて、また近郷の子弟を集めた「宮ノ原塾」が作られたという。

佐川の城下町には郷校「名教館」があったが、その隣の庄田地区にも「宮ノ原塾」があった。名教館の講師が宮ノ原塾の講師をやったりと交流も盛んにあったらしく、じつは陸奥龍彦が学んだのが、この宮ノ原塾だったりする。佐川・名教館の文教の隆盛には刮目瞠目させられるが、その余波、余熱は庄田・宮ノ原塾にまで及んでいたということだろう。

また陸奥龍彦の弟子で、郷土研究家・結城有氏の蔵にあったという門外不出の幻の歴史書『八幡荘伝承記』の写本は、元々は庄田・宮ノ原寺の亀鳳法印という方が幕末の頃に写した…という話らしい。

現在の宮ノ原寺跡は草生した石垣の他には何もなく。何もかもが夢の跡でしたな。


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