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2026 年 3 月 のアーカイブ

「時空散走」と「田の神さぁ」と

2026 年 3 月 11 日 Comments off

コミュニティ・ツーリズム(まち歩き)の起こりは、1995年の阪神淡路大震災後の被災者のみなさんによる思い出ワークショップと「震災以前の自分たちのまちのマップ作り」から始まったと僕は考えています。

阪神淡路大震災によって壊滅的なダメージを受けた神戸でしたが急ピッチで復興計画が進められました。とくに長田区や東灘区などには長屋や木造住宅が密集する地域があり、壊滅的な被害を受けましたが、これを機に、単なる復興ではなくて、燃え広がらない、震災に崩れても大丈夫なようなまちに再構築しようと、既存の長屋住民の意志や意向をあまり顧みずに、行政主導で「震災復興土地区画整理事業」が行われました。

とくに狭い路地や、隣人と距離間が近かった長屋コミュニティなどは、理路整然と区画整理された道路と高層の復興公営住宅に変貌して、それまでのコミュニティにあった「顔の見える関係性」が消滅して、「慣れ親しんだまちの景色、風景が消えた」という「ふるさと喪失」を多くの住民に感じさせることになります。震災による「ふるさと喪失」よりも、復興という名のもとで、それまでのまちの歴史や文化や物語を継承しない資本優先の都市開発をされて「ふるさと喪失」することが非常に多かった。

じつは僕の叔父(母の弟)は神戸・長田エリアで靴工場を経営していて、それが震災で全焼しました。その後の震災復興の過程を、まちが全く新しく変容していく様子を直に体験した人ですが、昔、一度、僕と復興後の神戸のまちの話になったさいに「もうあんなん長田やないわ」とボソッと呟いたことがあります。

「ふるさと喪失」の経験から、何が行われたか?というと、震災以前の自分たちのまち、コミュニティ、ふるさとを思い起こそう、思い返そうという「思い出ワークショップ」であり、かつてのまちを再現する「マップ作り」が行われました。「マップ作り」でマップを完成すると、今度はそれをもって、実際に震災後のまちを歩くというまち歩きも行われました。

自分たちのコミュニティを、コミュニティの中の住民たちが歩いて「そうや。自分たちのまちはこうやったんや」と再認識、再確認、再発見するというツーリズム…これこそが「まち歩き」の源流です。そして僕が「まち歩き」という方法論と出逢ったのが、まさしく神戸で「新開地まちづくりNPO」さんがやっていたザ・シンカイチツアーだったりします。阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた新開地エリアの復興と、かつての「大衆芸能、映画のまち」だった新開地の歴史や文化、物語を伝えようとする活動の一環として開催されていました。

コミュニティ・ツーリズム(まち歩き)という方法論と出逢った僕は、これを大阪で実現したいと動き出します。大阪も空襲やら戦後の高度経済成長の乱開発、モータリゼーション(車優先社会)などで、ヒューマンウェアなまちがズタボロになり、コミュニティ破壊が凄まじい(その流れは今もあまり変わりません)。大阪のまちの歴史や文化や物語を、ちゃんと再認識、再発見、再確認して、次世代に継承していかねば…という想いがありました。その想いは、いろんな人とのご縁などで「大阪あそ歩」というプロジェクトとなって実現し、僕は大阪市内で300コースのまち歩きマップ(150のスタンダードコース、150のショートコース)を作成します。仕事しすぎて死ぬかと思ったですw

そこからコミュニティ・ツーリズムのプロデューサーとして活動を始め、これまた、いろんな人とのご縁が繋がって始まったのが、東日本大震災の被災地である福島県いわき市で始まった「いわき時空散走」です。日本初のコミュニティ・サイクル・ツーリズムと銘打ってますが、自転車によるまち巡りというプロジェクトです。徒歩か自転車かというアクティビティの違いはあれどもプロジェクトをやる意味、意義、価値、目的や哲学は変わりません。自分たちのまち、コミュニティ、ふるさとを巡って、その豊かな歴史や文化や物語を知り、楽しみ、先人(死者)たちの想いに触れようというものです。

今日、僕は、これまたいろんなご縁があって、なぜか宮崎県えびの市にいて、そこで「えびの時空散走」プロジェクトをやっていますが、神戸、大阪、いわきで生まれたものを伝えようとして活動をして、いいカタチでえびののみなさんに迎え入れられています。本当にありがたいことです。

震災、復興というプロセスの中から、有形無形にいろんなものが生まれているということ。その試行錯誤、社会実験の中から、コミュニティ・ツーリズム(まち歩き、時空散走)が生まれ、それが新しいまちづくり、ふるさと再生、コミュニティ創生のプロジェクトとなっているということ。それは、ちょっと、言葉として記録しておきたい。人間は、なかなか、しなやかで、したたかで、しぶといです。

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えびのでも震災・復興の中から生まれたものがあります。「田の神さぁ」です。

江戸時代中期(18世紀初頭)、たび重なる霧島山の噴火や飢饉により、えびのの農家は厳しい時代を過ごしていました。この苦しい状況から救いを求め、山の神を鎮めるため、あるいは食糧増産政策の一環として自然発生的に石像が作られたのが「田の神さぁ」のはじまりといいます。えびの市最古の田の神石像は享保9年(1724)に中島地区に作られた「神官型」のものですが、この享保年間は、日本列島は地震の活発期で、霧島連山は毎年のように大規模な火山活動、地震活動がありました。

だから最初期の「田の神さぁ」は霧島連山の、火山の方角を望んで建立されたとか。えびの市域では150体以上ものユーモラスで、愛らしくて、かわいい「田の神さぁ」がいて、今もえびのの田んぼ、地域、コミュニティ、ふるさとを守ってくれています。

※画像はえびの時空散走・上江マップから。末永の田の神さぁのイラスト部分。

■えびの時空散走

https://www.miyazakigeibun.jp/artscouncil-miyazaki/jikusanso/


https://www.city.ebino.lg.jp/soshiki/kankoshoko/9/6695.html


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郷土愛と郷土憎を涵養するために

2026 年 3 月 9 日 Comments off

堺東を久しぶりに歩いてみたら、なにやら「たいらほこみち」みたいな奴が置かれている…。これは北林さんに報告せねばw

いろいろと調べたら「ウォーカブルで居心地が良い魅力的な都市空間の形成」するための社会実験で「堺東モビリティイノベーション」というプロジェクトとか。

https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/toshi/smi_project/index.html

 
「ウォーカブルな都市空間を…」というのはいまや日本全国各地の主要都市の課題です。都市空間のどこもかしこも車優先社会、モータリゼーション優先の構造で「歩けない都市」になっている。

歩けないから、歩かないから、都市のことがわからない。自分の郷土、まち、コミュニティの歴史、文化、物語を知らない人間は、郷土愛がない人は、僕の感想ですが、どうしても薄い人間に感じてしまいます。なんというかアイデンティティに厚みがない。

いや、郷土愛とかいうけど、郷土愛というのは、実は裏返しで「郷土憎」というのもあるんですよ。そんな言葉があるかどうか知らんけどw

郷土は決して完璧ではない。むしろ不完全なもので、欠落していて、ダメなもんです。古臭くて、時代遅れで、変に背伸びして、不格好で、すっぴんで、やることなすこと失敗ばかりで、要するに人間臭くて、「自分そのもの」なんですわ。嘘偽りのない、自分という存在そのものが投影されている。反映されている。歩くことで、それが、わかってくる。伝わってくる。

そういう屈折、挫折、後悔、離れたいけど離れられない、自分で文句はいうけど他人にいわれたらカチンとくるんや、確かに嫌いだけどええとこもあるねん…という非常に矛盾相克している複雑怪奇なアイデンティティの持ち主が郷土愛(郷土憎)に満ちた人間です。当然、人間に、深みがあります。できます。

「あなたのまちはどんなまちですか?」という問いに答えられない。自分の「ふるさと」を語れない。別にそれでも生きていけます。生きていけるが、彩りがない。面白味がない。葛藤がない。破れ目がない。

標準語だけで物事を語る人間は、どこか虚ろです。方言にこそ、その人間本来の実感や価値観や感情や愛着や個性や伝統や血肉が通っている。通いますねん。

そういう土地の文化や歴史や物語…「地脈」に逢うには、歩くんが、いっちゃんええんです。というわけで、みなさん、まち歩きしましょう。あ。もちろん自転車でもええですよw 自転車も、なるべくゆっくりがええでんな。「時空散走」みたいなツーリズムがええですw

だから地産地消の観光=コミュニティ・ツーリズムが大事なんですわ。人間に、郷土愛と、郷土憎を植え付けて、人となりに、彩りと、矛盾と、深みと、葛藤を付与するために。


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