郷土愛と郷土憎を涵養するために
堺東を久しぶりに歩いてみたら、なにやら「たいらほこみち」みたいな奴が置かれている…。これは北林さんに報告せねばw
いろいろと調べたら「ウォーカブルで居心地が良い魅力的な都市空間の形成」するための社会実験で「堺東モビリティイノベーション」というプロジェクトとか。
https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/toshi/smi_project/index.html
「ウォーカブルな都市空間を…」というのはいまや日本全国各地の主要都市の課題です。都市空間のどこもかしこも車優先社会、モータリゼーション優先の構造で「歩けない都市」になっている。
歩けないから、歩かないから、都市のことがわからない。自分の郷土、まち、コミュニティの歴史、文化、物語を知らない人間は、郷土愛がない人は、僕の感想ですが、どうしても薄い人間に感じてしまいます。なんというかアイデンティティに厚みがない。
いや、郷土愛とかいうけど、郷土愛というのは、実は裏返しで「郷土憎」というのもあるんですよ。そんな言葉があるかどうか知らんけどw
郷土は決して完璧ではない。むしろ不完全なもので、欠落していて、ダメなもんです。古臭くて、時代遅れで、変に背伸びして、不格好で、すっぴんで、やることなすこと失敗ばかりで、要するに人間臭くて、「自分そのもの」なんですわ。嘘偽りのない、自分という存在そのものが投影されている。反映されている。歩くことで、それが、わかってくる。伝わってくる。
そういう屈折、挫折、後悔、離れたいけど離れられない、自分で文句はいうけど他人にいわれたらカチンとくるんや、確かに嫌いだけどええとこもあるねん…という非常に矛盾相克している複雑怪奇なアイデンティティの持ち主が郷土愛(郷土憎)に満ちた人間です。当然、人間に、深みがあります。できます。
「あなたのまちはどんなまちですか?」という問いに答えられない。自分の「ふるさと」を語れない。別にそれでも生きていけます。生きていけるが、彩りがない。面白味がない。葛藤がない。破れ目がない。
標準語だけで物事を語る人間は、どこか虚ろです。方言にこそ、その人間本来の実感や価値観や感情や愛着や個性や伝統や血肉が通っている。通いますねん。
そういう土地の文化や歴史や物語…「地脈」に逢うには、歩くんが、いっちゃんええんです。というわけで、みなさん、まち歩きしましょう。あ。もちろん自転車でもええですよw 自転車も、なるべくゆっくりがええでんな。「時空散走」みたいなツーリズムがええですw
だから地産地消の観光=コミュニティ・ツーリズムが大事なんですわ。人間に、郷土愛と、郷土憎を植え付けて、人となりに、彩りと、矛盾と、深みと、葛藤を付与するために。