浦河べてるの家。ダンシングオールナイトやのうて『断食オールナイト』。
浦河べてるの家。ダンシングオールナイトやのうて『断食オールナイト』。
統合失調症と双極性障害の女性で、ようかんをまるごと一本食べたりして糖尿病になり、甘いもの過食症になり、それを耐える夜…という替え歌です。
いやあ、素晴らしかったですw
浦河べてるの家。ダンシングオールナイトやのうて『断食オールナイト』。
統合失調症と双極性障害の女性で、ようかんをまるごと一本食べたりして糖尿病になり、甘いもの過食症になり、それを耐える夜…という替え歌です。
いやあ、素晴らしかったですw
成田国際空港から新千歳空港に1時間半ほどでついて、新千歳から苫小牧駅まで来て、午後2時30分。ここまでは順調でしたが、苫小牧から浦河行きの電車はなんと2時間半後の午後5時に出ると言われ、さらに浦河まで2時間半かかるということで、完全に北海道舐めてました。すいませんでした。
電車は優駿浪漫号。誰もいない…。
■アサヒ・アート・フェスティバル2014 オープニング記念フォーラム
「私たちはなぜアートプロジェクトを立ち上げ、継続しようとするのか」
http://www.asahi-artfes.net/news/2014/05/aaf2014-5.html
そもそも「アート」と「プロジェクト」は相反する言葉やないかな?と思いますな。「プロジェクト」いうんは「何らかの目標を達成するための計画」(ウィキペディアより)ですが「アート」に目標があるのかどうか?あるともいえるし、ないともいえるわけで。「アートプロジェクト」いうんは、なんや収まりが悪い言葉やなぁと思っております。
「アート」と「アーティスト」ってのも、また混淆するとややこしい話で。市井人でもアートをやるひと、やれるひとというのはいるわけで、アートには「専門家(アーティスト)によるアート(純粋芸術)」もあれば、「非専門家(市井人)のアート(限界芸術)」ってのも含まれる。個人的には「アーティスト」と名乗るひとのアートは、ぼくは面白くないことが多く、興味・関心もそれほど覚えない。それよりも市井人がやる(やってしまう?やらかしてまう?)限界芸術に強く惹かれるし、そのイノセンスが面白い。それで「アートによる社会貢献」というさいに、こうした限界芸術の市井人にそれを求めてもしょうがないわけで。「アーティストによる社会貢献」ってのは、またやりようがあるのかも知れませんが。ただ「社会のためのアートをやるアーティスト」は意外に多くて、大体、つまらないんですな。残念なことです。
フォーラムは面白かったです。結構、盛り上がってきた時に、時間終了となる。時間が足りないですな。毎回、思います。ファシリテーターの大澤さんが最後、ファシリテーターなのに「子供も老人もアーティストも社会に役に立つ存在かどうかはわからない。しかし、役割はある」と名言で締めて、ひっくり返りそうになりましたw 大澤さん、美味しすぎます・・・。
「まわしよみ新聞@千代田図書館」に日本新聞協会さんにご参加いただいて「まわしよみ新聞」が掲載された『新聞協會報』を頂きました。
「業界新聞」ってやっぱおもろいですなぁ。色んな業界の新聞をもってきて「まわしよみ業界新聞」ってやってみたいですなw
こんなことは当たり前すぎて、改めていうのもなんだかなあ…なんですが。
ハイエクには「三大ネガティブ」という定義があって「自由」「正義」「平和」は「消極的にしか定義できない」というもんです。
どういうことか?というと、ハイエクは「peace(平和)」のことを「the absence of war(戦争がない状態)」というんですな。これ以外に定義づけようがないし、これ以外の言葉で定義づけようとすると大変なことになると。「平和のための戦争」とか「積極的平和主義」とか意味不明なことを言う輩が必ず出てくると。
要するに、戦争をしかける国は大体、どこも「自由、正義、平和を求めて我々は戦争をした!」と言い張るわけで。これはアメリカもロシアもナチスも戦前の大日本帝国も全く変わらない。しかし「平和のための戦争」なんてものはないわけで。すべてそれは権力者の欺瞞や死の商人たちの詐術に過ぎません。
「平和とは戦争がない状態」。これを肝に銘じておかないといけない。