予言者と預言者
「予言者」と「預言者」は違います。
なにか物事が起こっている。それを観察するうちに、ある種のパターンを感知する。AがきてBがきてCだった。いまBまで来ている。では次はこうなるなと予想して言葉にする。ピタリとあたる。これが予言です。要するに統計学といってもいいんでしょう。優秀な占い師はこれをやります。そうやって「すごい!当たってる!」となって売れていきます。
預言者は違います。預言者は本人すら意味がわからない。いきなりある言葉が思い浮かぶ。そこはロジックを軽く飛び越える。AがきてBがきて・・・なんて前提条件はまるでなく、唐突に、突然に、想像だにしない状況で、いきなりその言葉が現れる。何者か(時に超越者とかブラフマンとか神とかアラーとか呼ばれたりしますが)の「掲示」であり、だから、その掲示の言葉を「預けられた者」のことをいいます。大体、預言者は可哀想な末路をたどります。「私は単なる羊飼いです」と思っているのに大いなる者の声で「明日、大洪水がやってきて世界は終わるだろう」なんてことを突然、告げられる。預けられる。どうしようもない。どうしろというのか?ぼくは預言者だけにはなりたくないと常々、思ってます。
「直観讀みブックマーカー」は予言(占い)ではなくて「預言的な遊び」です。あなたにも意味がわからない。だれにも意味がわからない。そういう言葉を預けられる。首をかしげます。戸惑います。混乱します。しかし、そこにこそ、誰にもたどり着けない何者かの掲示があるかも知れない。ぼくはよく「いまはわからなくても明日わかるかも?明後日わかるかも?3年後にわかるかも?」といいます。これは予言ではなくて、預言ですから。
怖いともいえる。だから面白いともいえる。
■直観讀みブックマーカー
http://tyokkannyomibookmarker.info/
應典院べてる学校?
昨日は應典院さんにて「仏教と当事者研究公開打ち合わせ」でした。今回の発起人である一ノ瀬さんから「べてるの家」と聞いた時、ぼくはさっぱりべてるのことを知らなかったし、聞いたことすらなかったし、ようわからんかったんですな。ただ「なんやようわからんが、ぼくは仏教者でも当事者でも研究者でもないが、だからやろう。専門家やスペシャリストやないからトリックスターとして何かやれることがあるはず」というのがぼくの結論でした。「知らないから、やる。興味ないから、やる。なんとなく、やる。素人やから、やる」というのがぼくなりのスタンスで。実際に、大阪あそ歩も、大阪七墓巡りも、まわしよみ新聞も、直観讀みブックマーカーも、みんなそんな感じで始めてますからw
それで、いっそのこと「ようわからんから公開打ち合わせや!みなさん、巻き込んでやろう!」とやってみたら、何やら魔法のように、あれよあれよと「應典院べてる学校」といってもいいような半年間カリキュラムが出来上がりました。素晴らしい役者(一ノ瀬さん、山口さん、横谷さん、向谷地さん、酒井さん)さんが揃ってるから大丈夫やろうとは思ってましたがw ほんま、みなさんと参加者の方々のおかげです。ありがとうございますm(_ _)m
また企画の詳細が決まり次第、発表しますので!みなさんもぜひとも巻き込まれてくださいww
みんなで作った「まわしよみ新聞」を掲示することで「活動の宣伝広報ツール」になる
「まわしよみ新聞」は「公的(世論的、匿名的、大衆的)な新聞」を再編集して「共的(世間的、顔が見える的、みんな的)な新聞」を作ります。さらに「作った新聞をみんなにまわし読んでもらうこと」で「まわしよみ新聞」として完成です。「まわしよみ新聞ができた!」で終わりではなくて、みんなで作った「まわしよみ新聞」を、さらにその場にいなかった誰か?にまわし読んでもらうために作る。だから「いかにもまわし読んでもらえるような楽しい、面白い、紙面作り」が重要な作業になってきます。タイトルに凝ったり、記事イメージを伝えるイラストを描いたり、記事へのツッコミなどを寄せ書きしたりするのも「誰かに読んでもらいたいから」です。
だから、「まわしよみ新聞」を作ったら、出来ればそれを作った場所(カフェ、大学、コミュニティスペース、住み開き拠点など)で掲示してほしいんですな。不特定多数の人が訪れる場所であれば、そこを偶然、通りかかった人が「まわしよみ新聞」を目にして「なんやこれ?まわしよみ新聞?へぇ。おもろそうやな」と興味を持ってくれる。「次は何日にやるよ」と伝えれば、「ほな、いっぺん、参加してみようか?」となるかも知れない。実際、ぼくが「釜ヶ崎の伝説の喫茶店っぽいなにかEARTH」で「100日まわしよみ新聞」を実施したときは、そうやって色んな人たちが「まわしよみ新聞」の活動を偶然知って、徐々に参加してくれるようになりましたから。「まわしよみ新聞」は作る過程も面白いですが、作ったあとは、それが「活動の宣伝広報のツールにもなる」というのが素晴らしいわけです。「作ったら終わり!」では「新聞を作成したが、どこにも配達しない」ようなもんです。そうではなくて、みんなで作った「まわしよみ新聞」を、ぜひとも色んな人に見てもらいたい。読者を意識する。そっちの方が「作り甲斐がある」というものです。
「新聞作り」と「仲間作り」。その「仲間作り」のためにも、ぜひとも「まわしよみ新聞」の掲示を。「まわしよみ新聞」は「いつでも、どこでも、だれでもできるコモンズ・デザイン」で、実際にどこでも作れるんですが、できれば作った新聞を「掲示できるところ」で作成するのがオススメです。
■まわしよみ新聞
http://www.mawashiyomishinbun.info/
熊手銀天街(北九州市)でまわしよみ新聞を実施!
笛田さんが熊手銀天街(北九州市)でまわしよみ新聞を実施してくれました!笛田さん、ご参加頂いた皆さん、ありがとうございます〜!( ´ ▽ ` )ノ
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【第1回まわしよみ新聞@熊手銀天街編集局】
昨年秋の人権啓発イベント出展のさいに試しに一回やってみましたが、今日が本格始動。商店街の中で、一緒に昼食をして、そしてまわし読み新聞という試み。嬉しいことに3名の参加。大学生さんが「参加してもいいですか?」と飛び込み参加で一気に賑やかになりました。人権から本の話し、旅の話しと多岐にわたりました。それぞれがどういうことに興味を持ち、どのような思いを持っているのか、和気藹々とした雰囲気で新聞を作り上げました。あまりの盛り上がりに時間が足りなくなってしまうほどで、次回からはもう30分から1時間繰り上げてやらないといけないかなと思うほどでした。商店街の店舗で一緒にご飯を食べて交流したあとのまわし読み新聞。いいスタートが切れた気がします。今後、月一回ペースで出来ればと思っていますし、リコーダー・アース・ブリッジの活動として、演奏と組み合わせてみたり、イベントの中のワークショップ、学校での出前授業など、さまざまな場で出来そうな気がします。何気ない書評広告ひとつとってもその人の思いを伺うと深みのある話となり、立派な記事となる。完成した新聞は、実施した店舗「よつば」におかせていただきますので、ご来店の際はぜひ作品をご覧くださいませ。毎月下旬の日曜日に「よつば」でやっていけたらいいなあと思っていますし、学校や、若者支援の場、まちなか、イベント、いろんなところで実施していきたいです。演奏や講演のオファーと同様、気軽にお声掛けくださいませ。
中日新聞の高瀬さんが「TEENS ROCK IN AICHI 2014第二回ティーンズスタッフ会議」の中で「まわしよみ新聞」を実施!
今日は北九州市に続いて愛知県では中日新聞の高瀬さんが「TEENS ROCK IN AICHI 2014第二回ティーンズスタッフ会議」の中で「まわしよみ新聞」を実施してくれました!北九州市は大学生でしたが、愛知では高校生の皆さんが参加してくれたようです。高瀬さん、高校生の皆さん、ありがとうございます〜!( ´ ▽ ` )
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今日は、TEENS ROCK IN AICHI 2014の第二回ティーンズスタッフ会議を開催しました。6名が欠席ではありましたが、7名の高校生新メンバーに参加頂きました。3月1日に開催する出場者を集めての説明会を高校生スタッフに進行してもらうための段取りを速やかに決めたあとは、メンバーの交流を深めるために「まわしよみ新聞」を初実践!高校生スタッフと大人メンバーの交流を深めることに大きく役立ちました(≧∇≦)
小さい偶然
記紀神話によれば、イザナギとイザナミが舞い降りて、国産みをした場所が「おのころ島」。「おのころ」いうんは「おのずところがる」(自ら転がる)という意味で。つまり偶然に身を任せることが、最大の神性や霊性を呼び起こす。
そもそも、この世に誕生することが偶然の所作なんですな。男と女がセックスしても受胎するかどうかは全くわかりませんから。意志ではなく偶然によって人間はこの世に生まれてくる。ぼくらは偶然、誕生し、この世に強制的に投げ込まれたわけです(ハイデガーのいうところの被投性ですわw)。世界を創造(また破壊)する、圧倒的な力が、偶然には宿っている。
しかし近代人は大抵、都市の中にいます。都市にいると、あらゆるものが人工です。都市的人工空間に囲まれていると、なんや世界全体を制御できるような気がしてしまう。ほんまはそうやないんです。人工(都市)の外は偶然性(自然)の驚異に常にさらされている。いきなり大地が割れ、海の水が都市に襲いかかってくる。そういうこともある。
また人間そのものも、よくよく観光(これをぼくは内観光といってますがw)してみれば、じつは自然性に満ち溢れている。セックスしても受胎するかどうかわからないのは、ぼくらが自然物であるからです。こんなのは当たり前のことなんですが、人工都市の中にいると、どうもそれがようわからなくなってくる。
要するに世の中には「大きい偶然」(地震や津波など)や「小さい偶然」(受胎や恋に落ちるとかw)があるいうことですわ。そして、「直観讀みブックマーカー」はこの「小さい偶然」を用いて遊びましょか?というもんです。
なんでそんなことをするのか?人工都市の中にいるぼくらは「偶然の力」を見くびっているか、気づいてないからですわ。「小さい偶然」でもいいから、それを数多く体験することで、ぼくらは間違いなく「偶然の世界」に生きる「世界内存在」(あ。またハイデガーでてきたww)であることを認識しようというわけです。
我ながら、直観讀みブックマーカーは、じつに深い。そして何より、面白いww
※以下の画像は梅山くんが作成した『与謝野晶子童話集』の直観讀みブックマーカー。「ほんとうにお前は困った虫だ」。
意識の大河
大阪府高齢者大学のまち歩きガイド科の講師をやってるんですが、これがまた毎回面白い。今日はみんなで作ったまち歩きマップの発表会。これが歴史やないんですな。「ここに住んでた」「ここで見合いした」「ここの街道で夜店が出て楽しかった」。
まち歩きは歴史散歩とは違います。史跡巡りとも違う。まちは過去と未来を結ぶ現在進行形のものだから。ヒストリー(歴史)ではなくてライフ(人生)を語って、初めてまち歩きとなる。エクスペリエンス・デザイン。実体験、経験や体感が反映される逍遙観光こそがまち歩き。当事者の、他者のライフの縦糸、横糸がいくつもいくつも紡がれて立体交差化していき、まちひとつだけなのに信じられないような圧巻の物語絵巻が出来上がってくる。ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』の「意識の流れ」の細流が集まって、まるで「意識の大河」となるような。
ぼくは一応、講師なんですが、毎回、生徒の皆さんから物語を拝聴してます(それを呼び起こすために、誘い水として、ぼくはまちの物語を語ります)。市井の人たちの物語やからええんですな。学者、先生の研究とは違う。じつに面白く、有難い仕事です。感謝。
中国新聞の蓮池新聞舗さんが広島大学の学生さんと「まわしよみ新聞」を実施!
中国新聞の蓮池新聞舗さんが広島大学の学生さんと「まわしよみ新聞」を実施してくれました!学生さんに好評だったようで、よかったです。ぜひ次は広島大学でもやって欲しいな〜。ご参加してくれた学生さん、ありがとうございました〜!( ´ ▽ ` )
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先日、広島大学の学生さん2名と「まわしよみ新聞」をしました。まわしよみ新聞とは・・・
https://www.facebook.com/mawasiyomisinbun
http://www.mawashiyomishinbun.info/
私は大学生の方と「まわしよみ新聞」をするのは初めてでしたので、「最近の大学生はどんな記事に興味を示すのか」非常に楽しみでした。一人暮らしということもあり、普段新聞はほとんど読まないという二人ですが、今回は3紙(中国・日経・産経)を1時間かけてじっくり読んで頂きました。そんな二人が選んだ記事は・・・
・福山市の市民提案型「協同のまちづくり」
自らの出身地である福山市のにぎわい創出に関心がある。駅前の活性化も推し進めて欲しい。また将来的に自分も地元の発展に貢献したい。
・アップルの苦手課題
ジョブス自体がエクセルを好きなのに、なぜ多額の開発費を投じてナンバーズを売ろうとするのか。
などなど・・・さすがに広大生ですね。新聞記事からご自身の将来の展望を語ってくれたり、アップルの販売戦略に疑問を呈したりしてくれました。また、嬉しいことに、「新聞久しぶりに読むと面白い」「自分の意見を発表する訓練になって役立つ」、「また是非やって欲しい」という意見も頂きました!近く社会に出る学生さん達に、国内外の幅広い知識と自分の意見を持ち、どんどん発信して、日本を引っ張って行ってほしいですね。
「まわしよみ新聞は、まわしよみ親聞」
「まわしよみ新聞は、まわしよみ親聞(=親しい人から記事を聞く・記事を聞いたり話し合ったりして親しくなる)」とはメディアプラネット代表の玉川さんの言葉。
これ、聞いた時に「なるほど!親聞とは、なかなか深い言葉やなあ」と思ってたんですが、玉川さんとお会いして、この話になったさいに、実は「まわしよみ新聞ワークショップ」に参加した若者が、みんなで作成した「まわしよみ新聞」にタイトルを書こうとして、たまたま間違えて「まわしよみ親聞」と書いてしまったのだとか。それをキッカケにして「あ。でも、そういわれると、そういうもんやなあ…」と気づいたとか。
偶然の、誤謬の、失敗の、面白さ。こういうの、大事ですな。ほんまに。