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堤防の上から

2012 年 9 月 7 日 Comments off

南三陸町を襲った津波の高さは20メートルほどにも達したとか。ビルの4階から5階ほどです。堤防の高さは5.5メートルほどでした。

写真は残った堤防の上から。

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限界集落

2012 年 8 月 5 日 Comments off

大都市の中のコミュニティは、戦後半世紀を経て完全に定着し、古ぼけたものになってきていて、そこでなにか新しい人間(よそもん、わかもん、ばかもん)がアクションを起こそうとしても、「一体なにをしてるんや?やめてくれ」というような冷たい拒否反応が返ってくる。

逆に衰退しきった村落コミュニティ・・・極端な例をいえば限界集落まで追い込まれているコミュニティなどに、わかもん、よそもん、ばかもんがやってくると、「どうせなにをやっても状況は変わらないし、まぁ、やってみましょうか」と意外に柔軟で弾力性のある反応が返ってきたりする。

本来、都市コミュニティというのは村落コミュニティから外れた流れ者(戦後日本でいえば、長男だけは先祖代々の家を継いで、家にいられなくなった次男、三男、四男、五男などは、夜行列車に乗って10時間かけて、集団就職で東京や大阪にやってきた時代というのがありました。彼らは要するに村落コミュニティを追われた流れ者たちです)がやってくるところでしたが、そちらが硬直化(田舎っぽくなっている)していき、逆に田舎であるはずの村落コミュニティが、流れ者を受け入れるベクトルに向かって、要するに都市的な許容性を有している。

硬直化した都市に未来はないです。むしろ限界集落の中にこそ、新しいコミュニティ形成の可能性がある・・・という話。


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オリンピック

2012 年 8 月 4 日 Comments off

元々、古代のオリンピックはオリンピア信仰の祭典でした。そこでは雷神ゼウスや太陽神アポロン、海神ポセイドンなどのギリシャ信仰の神々への感謝と祈りが捧げられた。

「雷」や「太陽」や「海」といった身近な、しかし人力では到底コントロールできない自然現象を統べる「超自然」の存在として人格神を崇め奉るという古代ギリシャ信仰は、人類の思想哲学史から俯瞰すれば素朴で原始的な信仰体系だといえます。神の姿形は人間ですが、本質的な部分では「自然賛美」で、これは例えば「太陽神の使いが鳥だ」とか「雨を掌るのは蛇である」とか、そういった全人類に共通する「ネイティブ・ウィズダム」の信仰体系に近しいわけです。つまり「ネイティブ・ウィズダム」とギリシャ信仰の差は超自然の具現化が人間か?動物か?という差ともいえます。いや人間だって動物ですから、そういう意味でいえば差異はほとんど見受けられない。

ただ、太陽や海や雷といった超自然的な神々の具現を人間的な偶像として捉えなおすことで、この信仰体系は非常に面白い、ユニークな傾向を兼ね備えることになりました。つまり人間(自然)を越えた超人間(超自然)=「肉体賛美」という思想の出現です。こういう思想は古代インド(密教、仏教)、古代中国(儒教、道教)にはなく、キリスト教なんてのも肉体を卑下する信仰体系でしたから(十字架に磔刑にされるイエス・キリストの貧弱な身体は古代ギリシャ人なら鼻で笑いますな)、こうした信仰体系を背景にして「超人間たちの聖なる戦い」としての古代オリンピックが登場してきたわけです。だから古代オリンピックはギリシャ民族のみに許された神聖なる儀式で、他民族や奴隷なんかは参加できませんでした。たまに混同する人がいますが、他民族や奴隷をライオンと戦わせたり、キリスト教徒の公開処刑といった残虐な行為をやっていたのは古代ローマのコロッセオ(円形闘技場)で、これは古代ローマ市民の娯楽(!?)で宗教儀礼のオリンピックとは全然違うわけです。ちなみに肉体を卑下するキリスト教がローマ帝国の国教になったときに古代ギリシャ信仰に裏づけされた古代オリンピックは、その1000年以上の長きに渡る伝統と歴史を否定されて「異教徒の祭典」と指弾されて、この地球上から滅びました。

19世紀末にフランスの教育者クーベルタン男爵の提唱によって始められた近代オリンピック(アテネ・オリンピック 1896年~)は、古代ギリシャ信仰のような「超自然の神々への祈りや感謝」なんて思想はまったくありません。そこにあるのはナショナリズムとキャピタリズムの祭典。オリンピック選手は相手に勝利すると表彰台に上って金・銀・銅のメダルをかけられますが、その瞬間、国歌が流れ、国旗が高々と掲揚される。またあらゆる選手はスポンサー企業の公告塔にもなってます。これはオリンピック(オリンピアの宮殿。そこはゼウスの宮殿です)の名前を借りてますが、まったくもって別のもので、これを「オリンピック」と名づけることは、ぼくは古代ギリシャ信仰への冒涜ではないか?と思えるんですな。

もうちょっと近代オリンピックは、古代オリンピックに敬意を払ってもいい思います。それが出来ないなら、オリンピックの名前は、外したほうがええ思います。「ナショナリズムとキャピタリズムの祭典」はあってもええと思いますけど(ぼくはあまりそんなのに興味ないですが・・・)それを「オリンピック」と称することへの違和感。古代オリンピック(古代ギリシャ文明)への強烈な憧憬があるだけに、ぼくは近代オリンピックをなかなか素直に楽しめないですな。


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婿を選べる

2012 年 8 月 1 日 Comments off

江戸では男の子が産まれると盛大にお祝いしました。男系とか血を重視する武家社会ですからな。跡取息子ができて、これでお家は安泰というわけです。

浪華は逆で女の子が産まれると盛大にお祝いしました。なんで男の子やとあかんのか?浪華は商家文化です。主人は商いだけやのうて遊びもやれて一人前。ところが、この遊びの修行が難しい。男の子やと、とくに失敗する。商いをほっぽりだして遊びにばっかり精を出す。アホボン(アホなお坊ちゃま)になる可能性がある。そうなると家がつぶれる。男の子だけは産んでくれるな。

これが女の子やと遊びの修行は必要ないですな。そして年の頃になれば廻りを探し回って「ええ婿」を取ればいい。商いもできて、遊びもできるという優秀な手代を発見して、それと娘を結びつけることができたら、家は安泰。血よりも実力。「婿を選べる」というのが、浪華商人には喜ばれた。

ちなみに、では、浪華商人の家にアホボンが産まれたらどうしたか?というと、落ちぶれた武家から株を買ってました。「武士株」というのがあって、これを購入すると、なにもしなくても幕府から僅かながらお給金がもらえる。それで生活させた。貧乏にはなりますが商家よりも武家のほうが位は上。アホボンは一種の名誉職の武士にしてしまって、実家の商いには手を出させない(お小遣いをせびってきても、あげない)。そして商家のほうは優秀な手代を「養子」にしてしまって跡を継がせた。やれやれ。これで家は安泰・・・というわけですな。

友人は長女が生まれました。ええ婿をみつけてほしいですな。って気が早いかw


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そうだ。文楽をみにいこう

2012 年 7 月 27 日 Comments off

そうだ。文楽をみにいこう。

世界中に人形劇はありますが、人形一体に人間が3人ついて・・・なんて贅沢な人形劇は文楽のみです。人形でもない。人間でもない。独特の世界観。

また、ダ・ヴィンチの『モナリザ』って中間表情といいます。笑ってるのか、哀しいような、ようわからん表情。文楽人形にも、この「中間表情」があります。顔は動かしません。人形ですから。しかし手足の動きや、伏せったり、のけぞったりして、光と闇の加減で、人形は時には泣いているように、時には喜んでいるように、見えてくる。感じられる。

ダ・ヴィンチは、「モナリザの微笑み」の中に、喜怒哀楽を超えた人間のカオスな、中間表情の美を発見した。世界第一級の審美眼です。しかし、文楽はもっとすごい。だって中間表情の人形が動くわけですから。そして人間の感情表現の襞の襞までを、リアルに表現する。えらいことや思いませんか?そういう文楽を生み出した大阪人の芸術センスを、ぼくは心から誇りに思ってます。

だから、文楽をみにいこう。


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住吉大社の迎賓館「神館」(国指定登録有形文化財)にて

2012 年 7 月 24 日 Comments off

住吉大社の迎賓館「神館」(国指定登録有形文化財)にて。明治天皇の玉座の前でお食事会。

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生根神社のだいがく祭

2012 年 7 月 24 日 Comments off

大阪・西成在住の方なら、ぜひ一度は見てほしいのが、生根神社のだいがく祭。毎年7月24日、25日と大阪天満宮の天神祭と同日に祭礼をやるので、大阪在住の方にも、あまり知られてませんが、これはほんまに必見の夏祭です。

清和天皇の治世、天安2年(858)頃に、難波の地がかつてないほどの酷い旱魃に襲われました。「こりゃなんとかせにゃならん」というので生根神社にて「日本六十六州の一の宮」と描かれた66個の御神燈と66個の鈴を掲げた櫓を打ち立てて雨乞いの祈願をしたところ見事に雨が降った・・・というのが「だいがく」の起源です。1200年以上続く伝統の祭礼で、天神祭(951年)はおろか、京都の祇園祭(869年)よりも古く、長い歴史を誇ります。

面白いのが京都の祇園祭との共通性。じつは祇園祭は京都に疫病が流行ったさいに「66本の鉾」を立てて厄払いをしたのが起源といわれていますが、「旱魃の雨乞い」(生根神社)と「疫病の厄払い」(八坂神社)、「66本の提灯と鈴」(生根神社)と「66本の鉾」(八坂神社)と妙に符号が一致するんですな。「だいがくは祇園祭のルーツである!」なんてことは言いませんが、もしかしたら、なにか、だいがくの雨乞いの成功が、祇園祭の祭礼に影響を与えたり、ヒントになったのかもしれません。また祇園祭は大いに変容して、現在は山車の祭礼になっていますが、だいがくは、当時そのままのスタイルで、古式をそのまま伝えています。そういう意味でも非常に貴重です。

なにはともあれ、こういう歴史ある祭りが、ひっそりと伝えられていることが、大阪のまちの奥深さ。ぜひ一度は、ご鑑賞を。


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梅田墓地跡(梅田貨物駅線路前)で、歌う

2012 年 6 月 25 日 Comments off

自分でいうのもなんですが、知恵熱が出そうなぐらい、というか実際、出た(現在37.2度)ぐらい、やっていて、面白かったww

写真は七墓パフォーマーのアサダワタルくん。梅田墓地跡(梅田貨物駅線路前)で、歌う。

次回は
7/8(日)13:00~
【大阪七墓巡り復活プロジェクト】
第3回トークセッション&公開ワークショップ~葭原墓地編~
http://www.facebook.com/events/230761470377088/
です!

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フェニックス

2012 年 6 月 20 日 Comments off

今日は原稿を一気呵成に書き上げる。1974年から東燃ゼネラルさんが出している月刊地域紙『フェニックス』(20万部発行)で堺のまち歩きスポットや歴史人物伝などを連載してます。かなり好評で新連載も始まるかも・・・とか。嬉しい限りです。地味にライター仕事もしておりますww


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「帰ってきたミックスジュース・ナイトフィーバー!」にて。

2012 年 6 月 20 日 Comments off
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