ミックスジュース・ナイトフィーバー!30日目
このたび6月6日から特定非営利活動法人 「こえとことばとこころの部屋 COCOROOM」の理事に就任しました。
動物園前商店街(通天閣と飛田を繋ぐ商業エリア)、太子墓地(無縁所、大阪七墓)、釜ヶ崎(日本最大の日雇労働者のまち)、飛田(日本最大の遊郭・飛田新地)、てんのじ村(戦後大阪を代表する芸人コミュニティ)、新世界(官僚主導アーバンリゾートの先駆)といった個性的なまちのマージナルにあって、様々なプロジェクトと、実験と、試行錯誤を繰り返しながらも、ゆるやかで、静かで、切実な日々の生活を繰り返してきたアートNPO「ココルーム」も、すでに10年の活動歴を誇ります。その活動の軌跡は文字通り奇跡(笑)の連続で、ココルームの活動そのものが大阪現代アートシーンの10年史そのものといえます。こういう場で、10年という空間の節目に、ぼくが理事になったのも、なにかの縁(無縁大慈悲!)なのかもしれません。
任期は2年ですが、ぼくの力などたかが知れてますが、ココルームという大河の流れに寄り添いながら、それでいて「次の10年」(時代状況はますます混迷混沌の様相を深めていますが・・・)という大きなベクトルを暗示する澪標(みをつくし)となれれば・・・と思っています。今後とも皆さん、ココルームをよろしくおねがいしますm(_ _)m とりあえず、お茶を飲みにきてください^^ 喫茶呼。
「大阪あそ歩」「関西あそ歩」の2012春の全企画が無事に終了しました。すごい予約率で、まだちゃんと集計してませんが、もしかしたら過去最高を記録したかも知れません。
いまはただ、事故もなく、無事に終わったことに感謝。ご参加いただいた参加者の方、ガイドさん、サポーターさん、事務局のたださん、関係者のみなさん、本当に、ありがとうございました。
次は2012夏です。企画をまとめて7月初旬にはアップします。よろしくお願いします。
http://www.osaka-asobo.jp/
http://www.kansai-asobo.jp/
江戸時代、千日前は墓地であり、死刑場でした。江戸でいえば小塚原のようなとこで、磔柱が立ち並んで、獄門台には見せしめのために罪人の首が並びました。焼き場の煙は絶えず、昼でも人が通るとこやなかったそうで、大体、明治初期まで、そういう光景が続きました。
千日前から少し北に向かうと、そこは所変わって道頓堀。ここは江戸時代は「道頓堀五座」というて、芝居小屋が並んでいました。船場の旦那衆が芸妓を連れて、道頓堀川戎橋を渡って、藤十郎の歌舞伎や近松の浄瑠璃を楽しみにやってきた。
ここで非常に興味深いことは、道頓堀で一番、大きな芝居小屋は角座ですが、この道頓堀角座の楽屋からは千日前獄門台の罪人のさらし首が見えたということ。
大坂の芝居は、世話物で和事です。江戸芝居のような英雄悪漢傾城傾国が大活劇を繰り広げる!という荒事はしまへん。主人公は何の変哲もない一庶民で、金と色と欲と義理と人情の板ばさみ。犯してはならぬ罪咎に悩み、苦しみ、傷つけられ、最後は天網恢恢疎にして洩らさずの過酷な運命の裁きで、千日前の獄門台へと涙涙に送られていく。
大坂庶民は、道頓堀角座で、罪人たちのドラマに涙しました。そして、その裏には、実際に千日前の獄門台が控えていて、芝居の主人公たち=哀れな罪人たちの末期が、リアルに、そこにあったんですな。ある意味、千日前刑場は最高の舞台演出であり、また裏を返せば、道頓堀の芝居は千日前の罪人たちに対する鎮魂劇であり、レクイエムだったわけです。
芝居なのか。真実なのか。わからない。虚実の皮膜こそが、もっとも面白い。芝居小屋と刑場。道頓堀と千日前というまちは、両隣りにあり、そういう関係です。大阪のアジールは、だから、恐ろしく、哀しく、美しい。
※画像は『好色入子枕』に所収されている「千日前墓場の亀屋忠兵衛刑死の図」
無縁社会、無縁仏、無縁大慈悲・・・結局、ぼくらは無縁こそがスタンダードなんだということで。だからでこそ「大坂七墓巡り」や「コモンズ・デザイン」なんてのも生まれてくるいうことですなww
契りあれば 難波の里に 宿りきて
波の入り日を 拝みつるかな
藤原家隆
無縁万歳。
江戸時代、千日前は墓地であり、死刑場でした。江戸でいえば小塚原のようなとこで、磔柱が立ち並んで、獄門台には見せしめのために罪人の首が並びました。焼き場の煙は絶えず、昼でも人が通るとこやなかったそうで、大体、明治初期まで、そういう光景が続きました。
千日前から少し北に向かうと、そこは所変わって道頓堀。ここは江戸時代は「道頓堀五座」というて、芝居小屋が並んでいました。船場の旦那衆が芸妓を連れて、道頓堀川戎橋を渡って、藤十郎の歌舞伎や近松の浄瑠璃を楽しみにやってきた。
ここで非常に興味深いことは、一番、大きな芝居小屋が角座で、この道頓堀角座の楽屋からは千日前獄門台の罪人のさらし首が見えたということ。
大坂の芝居は、世話物で和事です。江戸芝居のような英雄悪漢傾城傾国が大活劇を繰り広げる!という荒事はしまへん。主人公は何の変哲もない一庶民で、金と色と欲と義理と人情の板ばさみ。犯してはならぬ罪咎に悩み、苦しみ、傷つけられ、最後は天網恢恢疎にして洩らさずの過酷な運命の裁きで、千日前の獄門台へと涙涙に送られていく。
大坂庶民は、道頓堀角座で、罪人たちのドラマに涙しました。そして、その裏には、実際に千日前の獄門台が控えていて、芝居の主人公たち=哀れな罪人たちの末期が、リアルに、そこにあったんですな。ある意味、千日前刑場は最高の舞台演出であり、また裏を返せば、道頓堀の芝居は千日前の罪人たちに対する鎮魂劇であり、レクイエムだったわけです。
芝居なのか。真実なのか。わからない。虚実の皮膜こそが、もっとも面白い。芝居小屋と刑場。道頓堀と千日前というまちは、両隣りにあり、そういう関係です。大阪のアジールは、だから、恐ろしく、哀しく、美しい。
※画像は『好色入子枕』に所収されている「千日前墓場の亀屋忠兵衛刑死の図」です。