色々と統計によって差はありますが、東京の都市圏人口は約3600万人。これはダントツの世界1位で、2位がインドのデリー約2200万人とか。人類史上かつてない超超過密都市。「異常」を通り越して、もはや完全なる「狂気」です。
原発、地震が問題ではなく一極集中しすぎて、もはや東京という都市は維持できないということ。いつ、なにをきっかけに東京が大爆発しても、まったくおかしくない・・・という危機的状況です。
これは外からヤイヤイいうてもしょうがないのかも知れません。結局、東京の、中の人が、自分たちで気づいて、なんとかしないと・・・。
毎日新聞の2011年4月16日地方版に大阪あそ歩の情報が掲載されました。感謝。
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110416ddlk27040382000c.html
6月5日(日)まで。大阪のまちを歩いて歴史や文化に触れ、大阪の魅力を発見するプログラム。歴史やまちの人々との出会いを楽しむ「まち歩き」72コース、伝統的な食や文化、芸能などを体験する「まち遊び」8プログラムに加え、今春より全150コースから希望の日時を選ぶ「オーダーあそ歩」も開始。詳細はホームページまたは市内の主要書店で販売中の「大阪あそ歩まち歩きマップ集その1~3」で紹介している。また阪急電鉄・阪神電鉄の「関西あそ歩」との連携により京都・神戸・西宮の15コースも楽しめる。問い合わせは大阪あそ歩事務局(06・6282・5930=平日10~17時、http://www.osaka-asobo.jp/)。
「心中」(心中立)というのは、江戸時代(元禄時代)の大阪が生んだ究極の都市文化(都市遊戯)です。江戸には心中はありませんでした。なぜ浪華の男女は心中して、江戸の男女は心中しなかったのか?
理由その1。遊女は遊郭に雇われている不自由な身分ですが、じつは江戸時代の「士農工商」の身分制度の中では、大阪の町民たちも最下級の人間扱いでした。つまり遊女と町民とは境遇が似ているんです。最下級の社会存在の遊女と町民が、柵だらけの「憂世」から逃げ出すには、死ぬしかなかった。対して江戸は町民ではなく武士社会ですので、遊女と武士は遊郭で出会っても、決して心中の対象にはなりません。あまりにもお互いの身分制度が違いすぎるわけです。武士には遊女に対する憐憫や哀れみはあっても運命をともにするような共感、共鳴はありませんでした。
理由その2。元禄時代に入ると、大阪は商品経済、貨幣経済が急速に発展し、人間存在の価値すら「資本化」する考え方が浸透していきました。この世は金次第という「浮世」です。つまり遊女は「一晩いくら」の存在ですが、町民だって「月に給料なんぼ」という存在です。そして、遊女も町民もちょっと計算してみれば、自分の「生涯賃金」が判明し、自分という存在の「商品価値」が手に取るようにわかるわけです。お金さえあれば遊郭から身請けできる。しかしそんなお金はどこにもありません。一生、馬車馬のように働いても自分の愛する女性を決して身請けできない。そういう冷酷・残酷な現実に直面します。そうなると「真実の恋愛」「自由意思」「人間らしい生き方」を手に入れるためには、もはや「死」(自分という存在価値のすべて)で支払う(償う)しかなかったわけです。
こういう、どうしようも逃れようのないガチガチの固定化した身分制度と、それに反比例するような卓越した商業主義の発達から、大坂に心中が流行ったわけです。「封建的な社会制度」(憂世、士農工商)と「近代的な経済観念」(浮世、元禄バブル、天下の台所)という、当時の大阪が置かれたアンバランスな社会的要因が深く作用した。江戸元禄だからでこそ生まれた、非常に稀有な時代の徒花、大阪文化の結晶。それが心中です。
対して武士という優越な社会的身分と、商業経済の概念に疎かった江戸には、心中という文化は生まれませんでした。それはつまり「武士」はいたが、「人間」がいなかったということです。また西欧にも「心中」という文化はないようです。「心中」は「double suicide」なんて呼ばれてます。言葉がないんですな。言葉がないということは、文化として成立していないということです。
井原西鶴や近松門左衛門の至高の芸術作品の数々は、その元禄の大阪の抱え込んだ社会矛盾の中から産まれてきた、大阪人の魂の苦悩の告発であり、レクイエム(鎮魂歌)です。江戸の封建社会(建前社会)に対して「人間らしく生きたくないのか?」という本音の問いであり、「大阪の反逆」が通奏低音のように流れている。それがゆえに、いまも激しく人の心を打ちます。
まちを歩くことは、まちの地霊、土霊を呼び起こします。神道では「あらればしり」(阿良礼走)というのですが。大地を歩いて、踏みしめて、ときには踊って、土地の霊を呼び起こして鎮魂する。だからまち歩きは「まち起し」でありますが、また「まち鎮め」でもあります。
「まち起し」をする人はようさんいますが「まち鎮め」の重要性は誰もいわない。ほんまは「まち起し」と「まち鎮め」がワンセットにならないと、「まちづくり」は成功しないんです。少なくとも、ぼくはそういう思いでまち歩きをやってます。
大阪市+大阪府=大阪都構想にはそれほど興味がなく。ただ現状の行政区分もなんだかなぁと思ってます。大阪市内24区ってどう考えても多すぎです。東京で23区ですから。また大阪府43市町村も多いと思ってます。東京都では39市町村ですから。行政体が多いだけ、それだけムダが多いのは間違いない事実でしょう。
仮に行政区分を改めるとするならば、大阪市でいえば船場・島之内・天満の大阪三郷を。大阪府でいえば摂津・河内・和泉の摂河泉三国で包括する。行政区分を決めるさいも、なるべく歴史的、文化的な見地から論議してほしいです。要するに、大阪の「風土」を尊重してほしい。「地脈」を読むといいますか、そうでないと、まちづくりがおかしなってまいますから。
旧ソ連は官僚統制国家でした。官僚統制国家は隠蔽体質で、だからチェルノブイリの悲劇が起こりました。じつは日本は旧ソ連に負けず劣らずの官僚統制国家です。フクシマの悲劇は、ある意味、歴史の必然といえます。
ちなみに、旧ソ連の官僚統制国家体制はチェルノブイリの悲劇からわずか6年で崩壊しました。日本の官僚統制国家体制が崩壊するのはいつなのか?
それほど遠くない日のような、まだまだのような・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=LxD44HO8dNQ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%90
放射能や原発について、やたらと詳しくなっていく今日この頃ですが、色々と調べていて、衝撃映像を発見しました。旧ソ連が1961年に行った核爆弾「Tsar Bomba(ツァーリ・ボンバ)」の記録映像。「Tsar Bomba(ツァーリ・ボンバ」は直訳すれば「爆弾の皇帝」ということでしょうか。威力は広島型原爆の3300倍で、その衝撃波は地球を3周。爆風による人員殺傷範囲は23キロメートル、致命的な火傷を負う熱線の効果範囲は58キロメートルに及んだとか。チェルノブイリ、フクシマの比やないです。寒気がします。しかも重過ぎて大陸間弾道ミサイルには搭載できず、実戦には全く使えないとか。ほな、なんでこんなもん作ったんや?冷戦時代の狂気の産物。まさしくキューブリックの『博士の異常な愛情』。
BGMがホルストの組曲「惑星」の「火星」。またこれが妙に映像とマッチングしてます。怖い。
『大阪あそ歩まち歩きマップ集その1』がブックファースト梅田店の週間ランキング(2011.04.04~2011.04.10)の総合で5位に入りました。
http://www.book1st.net/ranking/0002/0001/page3.html
「ベストセラーよりロングセラーに」と願ってましたのでランキング入りは驚き、望外の喜びでした。ありがとうございます。感謝!
街屋集団の巽さんから御案内を頂いて街屋集団の春のまちあるき「北浜今昔物語」 堺筋近代建築を定点観測しよう!に参加しました。
街屋集団について
http://machiyashudan.blog28.fc2.com/blog-category-4.html
ごあいさつ
http://machiyashudan.blog28.fc2.com/blog-category-3.html
まち歩きのルートは、Y’sピア北浜(大阪会議レリーフ)→大阪証券取引所跡→新井ビル(旧報徳銀行大阪支店)→高麗橋野村ビルディング→三井住友銀行大阪中央支店→三越百貨店大阪店跡→伏見ビル→生駒ビル。最初のY’sピア北浜では「大阪会議」や北浜について、ビルオーナーで街屋集団幹事メンバーの山根さんが解説。最後の生駒ビルヂングでは、建物保存/活用に尽力されているビルオーナーの生駒さん直々のご案内で内部見学・・・というまち歩きでした。
上の写真は北浜・堺筋・平野町の近代名建築生駒ビルヂング(登録有形文化財指定・大阪市指定景観形成物指定)の屋上にて。まち歩き参加者の皆さんと撮影したものです。
ぼくはソフト屋なんで、建築家、ハード屋さんのご意見は、いろいろと勉強になります。生駒さん、山根さん、巽さん、本当に、ありがとうございました。
※巽さんの「定例会のご報告」もご参考までに。
4/9まちあるき~北浜今昔物語 ご報告