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ラピュタ阿佐ヶ谷

2009 年 6 月 18 日 Comments off

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6月13日、14日と仕事で東京にいってきました。東京駅、有楽町、銀座、新宿、歌舞伎町、阿佐ヶ谷あたりを歩いたのですが、とくに興味を惹いたのが阿佐ヶ谷のラピュタ。

※ラピュタ阿佐ヶ谷
http://www.laputa-jp.com/

1998年にオープンした約50席というミニシアターだそうですが、外観がユニークで、なによりも上映されている映画が「通!」なんですわ。ぼくがいったときは山中貞雄監督の特集が上映されていました。

※役に立つ山中貞雄
http://www.laputa-jp.com/laputa/program/yamanakasadao/

ぼくは10代の頃は映画青年で、TSUTAYAに日参してビデオを借りまくって、「映画は白黒や!」というのが持論で、ヒッチコック、ワイルダー、ホークス、ルビッチ、黒澤明、小津安二郎、溝口健二など、要するにクラシック・ムービーばかり見ていました。なかでも鮮烈に心に刻まれたのが山中貞雄「人情紙風船」と川島雄三「幕末太陽伝」で、この2つの映画は衝撃のあまり熱がでました。人間って凄い映画とか小説、音楽を体験すると倒れます。

今回は仕事の都合もあって阿佐ヶ谷に長居することができなかったので、山中貞雄特集は見れなかったので残念でした。大阪でもやってくれへんかなぁ?ちなみに大阪にもシネ・ヌーヴォとか、第七藝術劇場といった素晴らしいミニシアターはあるんですが、東京ほどの数ではないようです。
http://www.cinenouveau.com/
http://www.nanagei.com/

町中のふとしたところにミニシアターや劇場があるというのは東京の素晴らしい魅力です。阿佐ヶ谷。ええ町でした。


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神計らい

2009 年 6 月 9 日 Comments off

たまたま。なんとなく。ひょんなことで。ぼくはそういう偶然を尊重する。

神計らいなんて言葉もある。なにもかも神計らい。


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大峰山系「八経ヶ岳」(標高1915メートル・近畿最高峰)

2009 年 6 月 8 日 Comments off

弥山のあとは八経ヶ岳へ向かいました。

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八経ヶ岳山頂です。標高1915メートルは近畿最高峰になるとか。

7 大峰山は、深田久弥氏の日本百名山に選ばれていて、紀伊山地の霊場と参詣道として、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

8 31年の人生で初めての「日本百名山」踏破でした。目指せ、残り99山(笑)


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大峰山系「弥山」(標高1895メートル)

2009 年 6 月 8 日 Comments off

「大阪あそ歩’09春」がスタートする前に、剣尾山に登りましたが無事に終了したので、今度は大峰山系の弥山・八経ヶ岳に登ってきました。

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出発前。行者還トンネル西口から登りました。

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弥山は、吉野山から熊野権現までの大峯奥駈道のひとつで、要するに宗教街道です。いまでも修験道は盛んで、こんな像もありました。

71 弥山山頂近くにて。野生の鹿に樹皮を食べられて木が枯死しています。

81 標高1895メートルの弥山山頂にある弥山神社。近くの八経ヶ岳(1915メートル)は弥山より高いのですが、八経ヶ岳山頂には神社はないので、この弥山神社は、近畿圏内で最も高所にある神社となります。えらいとこに神社たてまんなぁ。


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A´ワーク創造館「イベント・企画デザイナー養成講座」

2009 年 6 月 6 日 Comments off

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A´ワーク創造館さんのご依頼でセミナー講師やります。ご興味がある方はぜひとも御参加ください。

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A´ワーク創造館「イベント・企画デザイナー養成講座」
http://www.adash.or.jp/dash/event-c.htm

「講座やイベントをしなければいけないんだけど、 いつも同じような感じになってしまって変化がない」 「はじめは面白がって来てくれたけど継続しない」 など感じていませんか。 これからの時代を切り開いていくような新しい発想で生まれた事例をもとに、イベントや講座、企画などを「価値観」「関係性」「組織」の3つのテーマから検証しつつ、そういったアイデアを形にしていく力を学びましょう。タイトルのつけ方や、ちらしの作り方といった「イベントの作り方講座」ではなく、「アイデアを出す力を育てる講座」です。

■■日時■■
7月1日、8日、15日、22日(水)19:00~21:00(全4回)

■■対象■■
NPOなどの団体や組織でイベントや講座、企画などを担当している方、これからイベントなどをはじめたい方など

■■ゲスト■■
大阪あそ歩/陸奥賢(http://www.osaka-asobo.jp/

大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会がこの春から本格的にはじめた、大阪のまちを舞台にした「大阪あそ歩」。普段は気づかないけれど、大阪のまちには面白いところがたくさん。そんな大阪の魅力を「まち歩き」と「まち遊び」の2本立ての企画で気づかせてくれます。新しいものを1から作るのではなく、もともとある面白いものをどう活かすか。イベントに込められた想いや、うまく転換させた価値観、その仕組みをご紹介します。

Common Bar SINGLES/池上宣久(http://www.talkin-about.com/singles/

梅田にある日替わりマスターのバー。バー空間の共同維持活動として継続中。マスターにはホール関係者・映画館関係者、雑誌・フリーペーパー編集者、写真家、アーティスト、イベントプロデューサー、ライター、サラリーマン、OL、学生など、さまざまな分野の方々が参加し、日々個性的な顔を見せています。お客さんがマスターになり、マスターがお客さんにもなるという「一方通行」ではない関係性のあり方がとてもユニークなお店です。そんなお店の成り立ちの経緯や仕組みなどをご紹介します。

空畑クラブ/山内美陽子(http://www.soraniwa.net/sorahata/

大阪の中心地、谷町4丁目から「都市住民のプチ自給農プロジェクト」を発信している「空畑クラブ」。都会に住みながらも農や農業に関心のある方への情報提供や講座、交流会の開催、また、農業をしたい人と農家さんを繋ぐなどの活動をしています。活動の面白さもさることながら、様々な人がゆるやかなネットワークで関わるプラットフォーム的な活動のしかたがとても斬新。活動内容とともに、そんな活動のあり方も紹介します。

■■場所■■
A´ワーク創造館

■■料金■■
12,600円(税込み)

■■定員■■
15人(先着順)

■■お申込み方法■■
電話、またはメールにてお申込みください。
Tel:06-6562-0410
Mail:dash@adash.or.jp


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「大阪あそ歩’09春」終了

2009 年 5 月 31 日 Comments off

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夕陽ヶ丘の浄春寺から。

「大阪あそ歩’09春」が無事に終了いたしました。
ただただ、感謝です。

ご参加いただいた皆さん。
あそ歩ガイドさん、サポーターさん、事務局、関係者の皆さん。

本当にありがとうございました。


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西高野街道の魅力満載 まち歩きガイド冊子が人気

2009 年 5 月 29 日 Comments off

ぼくが取材・編集した「西高野街道ウォーキング徹底ガイド」(西高野街道観光キャンペーン協議会発行)が大阪日日新聞さんに取り上げられました。ありがたいことです。

西高野街道、ほんまにおもろいんですよ。これをきっかけに、ガイド冊子を片手にまち歩きする人が増えて、堺や大阪狭山、河内長野といった街道沿いの地域が盛り上がってくれれば、作者冥利に尽きます。

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http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/090529/20090529041.html

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堺の大小路筋から、大阪狭山、河内長野、紀見峠、橋本を経て高野山の女人堂を結ぶ西高野街道。室町時代には参道として、江戸時代には米や酒など通商の幹線道として栄えたという街道の魅力を紹介する冊子「西高野街道ウォーキング徹底ガイド」(A5判・33ページ、1部100円)が好評だ。マップやイラスト、写真をふんだんに活用しており「情報量が多く、興味深い内容が満載で、100円でこの内容はすごい」と、長年まち歩きを楽しんできた“玄人”たちからの評価が高い。

一八五七(安政四)年に、ほぼ一里(約四キロメートル)ごとに建てられた十三基の里石すべてが現存しているという同街道の特徴を生かし、同冊子では一里ごとに街道沿いの史跡や名所、店などを見開きで掲載。例えば、同街道の始まりである「十三里石-十二里石」のページでは、コメや豆乳などを使った「自然派ケーキ」と自家製天然酵母パンの店「天然工房 なちゅらぶ」や仁徳古墳天皇陵などを紹介している。

昨年の春から秋にかけて約五十二キロメートルの街道を何度も往復したのは、同冊子の執筆にあたったライターの陸奥賢さん。三十年前の地図にはなかった地蔵を見つけるなど「ただ歩くだけで面白い」道を、西高野街道に関連する歴史文献や街道周辺地域まで取材した上で、詳細な情報を掲載。ひと休みしたくなる店も写真入りで紹介しており、実践的な使い勝手もよい。

堺市、大阪狭山市、河内長野市の三市と、南海電鉄、泉北高速鉄道などでつくる「西高野街道観光キャンペーン協議会」の発行で、堺市内の観光案内所、堺駅、堺東駅、堺市役所などで販売中。問い合わせは、電話072(238)2262、制作・印刷担当のプラスワン・クリエイトへ。


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大阪産業創造館セミナー

2009 年 5 月 28 日 Comments off

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「ご縁処・中村屋」さんからご依頼をうけて、大阪産業創造館にて講師をやります。テーマは「大阪あそ歩で遊ぼ!」です。講演後には「ご縁会」(飲み会)もありますのでぜひ。

以下は詳細、申込み方法です。

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【第22回 中村屋講演会 詳細】
●テーマ 「大阪あそ歩で遊ぼ!」
●開催日 2009年6月15日(月)
●開催時間 19:30~21:30
●開催場所 大阪産業創造館5階 研修室Dにて
※最寄駅 地下鉄堺筋線/中央線 堺筋本町駅下車2番出口・12番出口より徒歩3分
※地図 http://www.sansokan.jp/map/
●参加費 一般:2,000円  
      学生:1,500円
●参加ご希望の方は「参加希望」と明記の上、下記アドレスまでメールをお送り下さい。
info.nakamuraya@gmail.com

※当日参加大歓迎
※終了後、縁者さんとの「ご縁会」を予定。
(予算はお一人様3000円以内です)


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堺文化財特別公開「堺と天下人の物語~信長・秀吉・家康~」

2009 年 5 月 20 日 Comments off

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http://www.sakai-tcb.or.jp/info/index.php?id=109

取材いきます。

堺観光コンベンション協会さんの話では、堺の観光客数は急速に伸びているそうで、僕自身もNPOや町内会といった草の根の市民レベルで観光に対する意識が高まっているのを感じています。80万都市の堺と260万都市の大阪では、やはり人口が少ない分、堺のほうが市民の盛り上がり方、動きがスピーディなイメージがあります。

都市自治において人口規模は非常に重要な因子で、「まちづくりがしやすい都市スケール」があります。都市計画の専門家の話では、「中核市」レベル・・・つまり大体、30~40万都市が理想的な都市人口の規模とか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%A0%B8%E5%B8%82

また大学、博物館、ミュージアム、市民ホールといった文化施設を招致、維持しようとすれば中核市ほどの都市スケールが必要不可欠なんやそうで、しかし日本の全市町村の平均人口は8万人以下になるそうです。この人口単位だと、市民に対しても満足な行政サービスが確保できません。だから国や都道府県の助成金で補う必要があるわけで、政府は「平成大合併」でそういう都市規模の格差を解消しようとしたわけですが、8万人以上の大きい都市同士が結びついたりして、あまり意味がなかったようです。むしろ今になって思うのは、平成大合併には「大都市を分割する」という発想が同時に必要やったのでは?と思ってます。中央を解体する動きと、地方を連結させる動きを同時進行しないと、都市の格差は平均化しませんから。

そういえば今年の2月に長崎市(中核市・40万都市)にいきましたが、長崎の先進的な都市観光の実態を観察して「都市のスケールは大切やな」としみじみ感じました。ちなみに江戸時代の大坂も30万~40万都市で、「天下の台所」と呼ばれて、大坂がもっとも繁栄、充実した時代の都市人口がその規模であったことは、ぼくはきちんと再検証する必要があると思っています。


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「空白の歴史」と「大阪人的特質」

2009 年 5 月 15 日 Comments off

中学・高校などに使用されている歴史教科書での大阪の記述は、古代・大和王権の首都であった難波宮(645~654、744~745)から、中世の浄土宗大本山の石山本願寺(1496~1580)、もしくは太閤・豊臣秀吉の大坂城(1583~1615)が登場するまで、約800年にも及ぶ「空白の歴史」が存在します。

もちろんそのあいだには熊野街道の整備や渡辺党の活躍、南北朝の主戦場になったり…といった重要な歴史的事象も起こっていますが、難波宮や石山本願寺、大坂城のような都市形成に至る大きなうねりにはならなかったせいか、基本的には黙殺されています。

難波宮から石山本願寺、大坂城までのあいだ、日本の主要な歴史的舞台は(鎌倉に武家政権が移った時代もありましたが)主に平安京です。このあいだに何があったのか?といえば公家社会特有の権謀術数に満ちた権力闘争の時代。数百年間に渡って弟が兄を倒し、父が子を殺し、娘が母を裏切り…といった陰湿極まりない宮廷政治が繰り広げられました。

これは現在に繋がる京都文化にも影響を及ぼしていて、たとえば京都弁には婉曲な物言いも多く、どこか人を簡単に信用することへの警戒がついてまわっているようです。平安京の呪縛ですが、これも生き抜くための歴史の知恵というものです。

大阪は平安京の時代には何もなかったのですが、この「何もなかったこと」が、じつは現代に繋がる「大阪人的特質」を作ったのではないか?と最近、思っています。

古代の首都・難波宮が廃都になって、しかし、都があった時代ほどではないにしろ、人々の往来は細々とはあったでしょう。なくなったのは欺瞞に満ちた宮廷政治であって、庶民の生活は決してなくならなかった。歴史書に記述されるような政変や事件はなくなり、基本的には平和な文化が800年間、続いたわけです。

当時の大坂は、小さな村落だったのかも知れませんが、古代には首都であったほどの高度な文化的背景を持ち、片田舎だけれども洗練された住民がいて上位組織(朝廷)がないのだから「何事も自分たちで決定していこう」という自治的な政治の萌芽もあったと僕は見ています。

「もとは都があって、それが遷っていった」というのは偶発的な歴史の変遷ですが、この素晴らしい文化的痕跡がなければ、突如として中世の宗教都市・石山本願寺や、会合衆が「黄金の日日」を謳歌した東洋のヴェニス・堺、世界で初めて先物取引市場を生み出した天下の商業都市・大坂のような、秩序社会を形成することは、不可能だったのではないでしょうか?

大阪人の「お上」に従わない自由な精神と自治意識の芽生えは、江戸時代や近代ではなく、この「失われた800年間」があったからではないか?大阪人が心から尊ぶべきは歴史書に登場しない、この「空白の歴史」にあるのではないか?

歴史というのは記録されるものばかりで形成されていますが、しかし本当は記録されないものにこそ、人間のドラマや真実が存在します。それらを発掘、継承することが今後の大阪、日本にとって大切な仕事になると思っています。


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