アーカイブ

‘雑感’ カテゴリーのアーカイブ

神戸八社巡り2021動画集

2021 年 1 月 17 日 Comments off

■オンライン配信「1/16実施・阪神淡路大震災復興&コロナ鎮静祈願まち歩き・神戸八社代参巡礼」

https://www.facebook.com/events/405840554025052

■一宮神社・神戸ユダヤ共同体(神戸ジューコム)跡地

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/videos/4976665929071195

■二宮神社

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/videos/4976819125722542

■東遊園地・慰霊と復興のモニュメント・1.17希望の灯り

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/videos/4976939989043789

■三宮神社・神戸事件

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/videos/4977029335701521

■四宮神社

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/videos/4977174049020383

■五宮神社

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/videos/4977290539008734

■六宮神社・八宮神社

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/videos/4977388548998933

■湊川神社

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/videos/4977510998986688

■七宮神社

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/videos/4977650855639369/


カテゴリー: 雑感 タグ:

■オンライン配信「1/16実施・阪神淡路大震災復興&コロナ鎮静祈願まち歩き・神戸八社代参巡礼」 https://www.facebook.com/events/405840554025052/

2021 年 1 月 17 日 Comments off

■オンライン配信「1/16実施・阪神淡路大震災復興&コロナ鎮静祈願まち歩き・神戸八社代参巡礼」

https://www.facebook.com/events/405840554025052/

阪神淡路大震災の復興祈願とコロナ鎮静祈願として、港町・神戸を守護する「神戸八社」を巡ります。オンラインで巡礼の様子を配信します。代参巡礼希望者を募ります。

■オンライン配信日時:2021年1月16日(土)12時~巡礼が終わるまで(夕方までには終わる予定です)

■ルート:①一宮神社→②二宮神社→※東遊園地(慰霊と復興のモニュメント。人が多ければ遠くから眺めてお祈りします)→③三宮神社→④四宮神社→⑤五宮神社→⑥六宮神社・八宮神社(六宮神社と八宮神社は合祀されています)→⑦七宮神社 ※約8キロほどです。道中は配信しません。ポイント毎に配信します。

■代参巡礼費:無料
※もし、よろしければカンパをお願いします。でもカンパがなくても「無料視聴」もOKですw 

ただ陸奥賢、コロナと緊急事態宣言で仕事が吹き飛び、正直、大変な状況です。わずかでもカンパをいただけると嬉しいです。カンパはPayPay(ID検索してお振込みください)か銀行振込で受け付けております。
●PayPay ID:mutsusatoshi
●銀行振込:池田泉州銀行 新金岡支店 普通0140848 ムツサトシ

【解説】
ここ数年、1月17日は、大阪・下寺町の浄土宗寺院の應典院で開催される総合文化祭「コモンズフェスタ」で震災復興祈願として「異類観光プロジェクト」をやっていました。

コモンズとは「入会地」「共有地」のこと。そこは「他者」が集う場所であり、「共異」の場です(共同=コミュニティではなく)。「他者」の中には自分と違う存在…そこには当然、「死者」や「異類」も含まれるわけで、それで「異類(動物)」という「他者」の存在や生命について語り、考え、味わう(最後に異類を調理し、その生命を頂戴し、僧侶の読経で供養しておりました)という場を寺院の中で設けたわけです。

2015年の「鯰(地震の象徴です)」から始まって「亀」「鯨」「馬」「鹿」「蛙」と続いたのですが、2021年の今年は應典院は設備の老朽化などで一般利用を停止しており、コモンズフェスタも休止状態。さらに世の中は、コロナ感染者の蔓延と医療切迫から緊急事態宣言(まだ関西方面は発令しておりませんが、いずれ出ることでしょう)という状況にあります。

そういう中にあって、震災祈願として僕が一人でもやれることは何か?と考えて、去年から実施している「オンライン代参巡礼」を1月16日(土)に実施することにしました。一人で、港神戸を守護する神戸八社を巡ってオンラインで配信します。

神戸八社は生田神社の氏地にあり、生田神社の裔社と呼ばれていました。一宮は北野村、二宮は生田村、三宮は神戸村、四宮は花隈村、五宮は奥平野村、六宮は坂本村、七宮は兵庫津北浜、八宮は坂本村の鎮守として信仰されていました。神戸港を守るための神々ということになります。

面白いのが「八宮」という宮の数です。大阪であれば「四天王寺七宮」などがありますが、これはおそらくは星辰信仰の名残です。つまり北斗七星の象徴でしょう。「七宮」ではなくて「八宮」とあるのは謎ですが、古代中国では北斗七星はじつは「北斗八星」(北斗七星+輔星)でした。星が一つ多かった。さらにもっと古代には「北斗九星」(北斗八星+弼星)の時代もありました。神戸では北斗八星の時代の信仰が伝わったと考えると面白いですが、もしかしたら日本人は「八」(末広がり)という聖数を好むので、その影響で七星に一星を増やしたのかも知れませんが…。

いずれにせよ、神戸というのは港町で、海民のまちです(ちなみに四天王寺も古代はすぐ目前の西に海が迫っていたので海民の寺院、海民の都市でした。四天王寺七宮があるのは必然でしょう)。海民たちは星辰信仰の民でもあります。大海原に出て、特に危険な夜になれば、自分たちの位置を教えてくれるのは星だけです。

とくに重要なのが決して位置を動かさない北極星であり、その北極星を指し示すのが北斗七星(八星、九星)ということになります。「スターナビゲーター」(星の道しるべ)といいますが、海民たちの生命を託す存在として星があり、それが北斗信仰の始まりです。

ちなみに日本仏教では妙見菩薩が北極星の神格化した存在とされていますが、妙見信仰は日蓮宗寺院において盛んです。開祖の日蓮上人が漁師出身だからです。古代の海民の素朴な信仰(北斗信仰)が、妙見信仰というスタイルに変わりながらも、日本全国に根付いている一例でしょう。

※山の民も北斗信仰を盛んにしました。山も鬱蒼を生い茂った森林によって夜道が危険です。その時に道しるべになるのが森林のあいまから見える空の星でした。「海の民」「山の民」。そして海と山を繋ぐ「川の民」の信仰として北斗信仰(星辰信仰)の影響はそこかしこに見出せます。

阪神淡路大震災の復興祈願として、合わせてコロナ鎮静祈願として、港町・神戸を守護する神戸八社を巡りたいと思います。

緊急事態宣言下ですので、一人で巡ります。前日の1月16日(土)にしているのは、阪神淡路大震災が起こった1月17日(日)は、やはり、いろんな方が現地を訪れます。なるべく密になる環境は避けた方がいいだろうということで前日にしました。また現地までは大阪から車で向かいます。電車、バスなども使いません。密を避けて、誰とも会わずに、1人で実施します。

巡礼の様子はオンライン配信します(facebookの陸奥賢の投稿と、このイベントページで行います)。アーカイブとして動画はアップしておいておきますので、いつでも、お時間のある時にみてください。

来年か再来年か、コロナが落ち着いた頃になれば(ワクチンの普及か?指定感染症が2類から5類になるか?病床数が増加するか?いずれにせよ医療切迫の状況が改善しているならば)、またみなさんとご一緒して、1月17日に神戸八社を歩きたいと思います。

https://www.facebook.com/events/405840554025052/


カテゴリー: 雑感 タグ:

10代後半から20代前半の多感な時期の社会的騒乱は、一生の「問い」になる。

2021 年 1 月 15 日 Comments off

10代後半から20代前半の多感な時期の社会的騒乱は、一生の「問い」になる。

僕にとってはやはり16歳(数えで17歳)のときの阪神淡路大震災で、それは今の実践…コモンズ・デザインのプロジェクトに有形無形に影響を与えていて、繋がっているといえる。

しかし震災当時は、問題の「種」がまかれた程度で、ちゃんと、その諸々の社会問題を自分の問題として、当事者として認識するのに、僕は16年後の…2011年の東日本大震災までかかってしまった。

おそらく問題が大きすぎると、そうなる。戦い方がわからない。問題と向き合うことすらできない。僕は震災(新長田にあった叔父の靴工場は全焼し、同級生の友人も亡くなった)をほぼ無視し、スルーし、16年の月日があって、東日本大震災という、より大きな問題に直面した時に、フラッシュバックという形で強烈な揺り戻しが発生した。

だから、こういっては何ですが、コロナ禍の若者には期待しております。彼ら彼女たちの置かれた状況、環境、問題は、非常に大きい。大きすぎる。重すぎる。必ずや一生の問いになる。

いまは大変でしょうが、しかし、それは、長い目でみれば、財産です。アクティブな社会実験者が現れることを期待しています。


カテゴリー: 雑感 タグ:

昭和の名曲シリーズ⑦小泉今日子『木枯らしに抱かれて』。作詞作曲はジ・アルフィーの高見沢俊彦。

2021 年 1 月 1 日 Comments off

昭和の名曲シリーズ⑦小泉今日子『木枯らしに抱かれて』。作詞作曲はジ・アルフィーの高見沢俊彦。

キョンキョンは名曲が多い。『あなたに会えてよかった』『月ひとしずく』『潮騒のメモリー』。提供者が「これぞ!」という曲や詞を提供している気がする。


カテゴリー: 雑感 タグ:

昭和・平成の名曲シリーズ⑥『すばらしい日々』(ユニコーン)

2020 年 12 月 31 日 Comments off

昭和・平成の名曲シリーズ⑥『すばらしい日々』(ユニコーン)

2020年はコロナで仕事なくなってから、薬師巡りをして、映画館に通って、そして27年ぶりにギターをこうた年でした。やすもんやけどw

歌はいい。いろいろ忘れるし、思い出す。それがいい。

今年は本当にみなさんにお世話になりました。僕が生きているのは、みなさんのおかげです。深く感謝を。ありがとうございました。

よいお年を。


カテゴリー: 雑感 タグ:

さかい利晶の杜にて。堺大絵図。 僕の母方の綿野家は「吾妻橋通一丁」で蒲団屋をやっていたらしく、その吾妻橋界隈の地図。

2020 年 11 月 13 日 Comments off

さかい利晶の杜にて。堺大絵図。

僕の母方の綿野家は「吾妻橋通一丁」で蒲団屋をやっていたらしく、その吾妻橋界隈の地図。

この辺は堺の新地で大和川付け替え以降に出来ている。大和川付け替えは1703年。それ以前の綿野家はどこにいたのか?謎です。

江戸時代の半ばに綿野家は子供が女子だらけになり、それで「境港」(鳥取県)から養子を迎えて家を継いでいる。金銅家といいまして、十二男坊とか、大家族でした。金銅家と綿野家の繋がりもよくわからない。堺港と境港ですがw

綿野家があったエリアから吾妻橋を東に渡れば米市場で、南の勇橋を渡れば龍神遊廓。なんで「いさみ(勇)」なのか?遊廓に渡りますからなw 勇まんといけまへんw


カテゴリー: 雑感 タグ:

昭和の名曲シリーズ⑤『東京』

2020 年 10 月 27 日 Comments off

昭和の名曲シリーズ⑤『東京』

ご存知、やしきたかじんの名曲。なんちゅうか東京コンプレックスというか維新イデオロギーを感じるww

もし、たかじんさんがもう少し長生きしてはったら、前回の2015年の住民投票で大阪市はなくなってたかもしれませんなあ。

※あ。この曲、昭和やのうて平成やったw


カテゴリー: 雑感 タグ:

■Project for the Revival of the Seven Graveyard Pilgrimage in Osaka(大阪七墓巡り復活プロジェクトの概要・英語解説文)

2020 年 10 月 15 日 Comments off

大阪七墓巡り復活プロジェクトに興味関心をもったR氏(米国生まれ、育ち)が大阪七墓巡り復活プロジェクトの概要を翻訳して英語解説文を作ってくれました!「ご自由にお使いください」とのことなのでご紹介。七墓のような取り組みは、外国の方にとっても実に興味深いようです。

———————————-

■Project for the Revival of the Seven Graveyard Pilgrimage in Osaka

In Japan, Obon is a time for paying respects to the deceased, and particularly to departed members of one’s family. However, not all souls have descendants to honor them, a situation the traditional Seven Graveyard Pilgrimage in Osaka was designed to address.

The pilgrimage appears to have originated toward the end of the 17th century. It flourished until the middle of the 19th century, began losing steam following the Meiji Restoration in 1868, and died out during the first decades of the 20th century.

The pilgrimage was by no means a sombre march from graveyard to graveyard. Contemporary illustrations suggest that pilgrims typically rang bells, played hand drums, chatted and sang or chanted during the processions.

The set of seven graveyards visited during the pilgrimage was fluid and, particularly as time passed, it seems that any given band of pilgrims would visit whichever seven graveyards were most proximate or had particular significance for the band.

The dramatist Chikamatsu Monzaemon (d. 1725) wrote a play entitled “The Seven-Grave Pilgrimage of Kyōshin of Kako,” but the play notes not seven but eight communal graveyards located outside what was then the heart of Osaka. Running from north to south, these are Umeda, Nagara, Yoshiwara, Gamō, Obase, Takatsu, Sennichi and Tobita.

Population shifts accompanying the modernization of the Meiji Period caused Iwasaki, Abeno, Ajigawa, Ōhito, Noe and possibly lesser-known graveyards as well to be added to the list. Other graveyards noted in one source or another include Kizu, Fukushima, Tennoji and Enami.

Depending on which seven graveyards the pilgrims visited, the pilgrimage would have required about half a day.

At this point you may be wondering whether the number seven had any particular significance in the context of the pilgrimages. Although there is no documentary evidence, the presence in Sennichi of the temple Jianji (自安寺) suggests a possible connection with pole star worship.

Jianji was dedicated to the cult of Myōken, a deification of the pole star.

In one strand of syncretic Chinese popular belief imported into Japan, the pole star was regarded as lighting a path for the dead to the other world. As the seven bright stars of the Big Dipper help indicate the position of the pole star in the night sky, believers regarded these stars as helping to guide the deceased to their destination.

What motivated the pilgrims? While it remains common for relatives, friends and associates of a deceased person to pray at his or her grave, and for priests to offer prayers for neglected souls, we can only conjecture why participants in the Seven Graveyard Pilgrimage in Osaka would have purposely visited a series of graveyards to comfort departed spirits with whom they were unrelated.

That said, I believe one motive was a desire to assuage the spirits of two distinct groups of local residents killed during the Siege of Osaka (1614-15): Combatants in the siege loyal to Toyotomi Hideyori (son of the former de facto ruler of Japan, Toyotomi Hideyoshi), and the non-combatant men, women and children slaughtered by the Tokugawa forces en masse.

To explain, I must make a historical digression.

In the years following the siege, Osaka was rebuilt and prospered as a mercantile city, with certain merchants accruing considerable wealth. Nonetheless, merchants remained at the bottom of the social order imposed by the Tokugawa Shogunate, ranking beneath samurai, peasant farmers and artisans. Their social position being always precarious, merchants were constantly on guard lest they incur the anger of samurai or, even worse, the displeasure of the shogunate.

Another characteristic of Osaka merchants during the early Edo Period is that many remained loyal to the memory of Toyotomi Hideyoshi. However, it could go without saying that under Tokugawa rule, this was a sentiment the merchants could not openly express.

I posit that the socially precarious situation of Osaka merchants and the subversive nature of their loyalties led some among them to inaugurate the pilgrimage as a covert means of paying respect both to Toyotomi Hideyoshi and out of sympathy with the socially disadvantaged fellow residents who had been slaughtered in the Siege of Osaka.

Next, turning to another aspect of the pilgrimage, it is significant that it was undertaken in a metropolis. Participants in village events such as festivals and funerals tend to be deeply connected with the land of their ancestors and with fellow villagers. Historically, outsiders lacking such connections were not allowed, for example, to touch or to help carry portable shrines.

In contrast, cities attract a multitude of unrelated people, and neighbors often know little or nothing of each other. We might suppose that a lack of connectedness played a role in prompting individuals to join a pilgrimage aimed at comforting spirits with nobody to pray for them.

Why then did the custom wither and die? Two main reasons may be cited. First, removal or consolidation of the graveyards accompanying city modernization. Second, local oversight of graveyards being taken over by the national government, an entity less disposed to sympathy or empathy compared to local individuals.

At present, the land on which most of the former graveyards were located have become parks, entertainment districts or shopping and residential areas.

I inaugurated the Project for the Revival of the Seven Graveyard Pilgrimage in Osaka in the aftermath of the Great East Japan earthquake of 2011, an event far more socially disruptive than even the bloody Siege of Osaka. Thirty participants joined the pilgrimage that year, and the number has subsequently risen to as many as one hundred. Pilgrims have included residents of Kyushu and other parts of Japan, as well as of other countries.

Many participants have been childless singles in their 20s, 30s and 40s, a phenomenon I believe is connected with the rising numbers in Japan of single people who may be expected to die with no family members to remember them.

One such participant, a woman in her late 40s, told me she takes part in the hopes that in the future someone will do the same for her. I see this as a fascinating way of linking past, present and future.

Performing the Seven Graveyard Pilgrimage in Osaka is a means both of experiencing how people in Osaka in the Edo Period interacted with the dead, and of obtaining hints about how we moderns might wish to do likewise.

In 2020, owing to Covid-19, I conducted the pilgrimage as a solo undertaking. I hope that by August 2021 I will be able to resume conducting the pilgrimage as a group, and I welcome you to join us.
For more, information, please contact me by e-mail at mutsu_satoshi@ybb.ne.jp


Project for the Revival of the Seven Graveyard Pilgrimage in Osaka_01

Project for the Revival of the Seven Graveyard Pilgrimage in Osaka_02

Project for the Revival of the Seven Graveyard Pilgrimage in Osaka_03

Project for the Revival of the Seven Graveyard Pilgrimage in Osaka_04


カテゴリー: 雑感 タグ:

昭和の名曲シリーズ④『ワインレッドの心』

2020 年 9 月 26 日 Comments off

昭和の名曲シリーズ④『ワインレッドの心』

コロナでやることなくなって、久しぶりにギタレレ(なぜか家にあった)を触り、しかし弾きにくいったらありゃしないで、ギターが欲しくなり、ついに楽天ランキング1位の入門用ギターを購入w

安もんで、ハニービーやけど、まあ、ギタレレよりかは断然、弾きやすいw 当たり前か。

あ。曲は昭和の名曲。『ワインレッドの心』。いやあ、名曲。


カテゴリー: 雑感 タグ:

そして円月島。

2020 年 9 月 20 日 Comments off
カテゴリー: 雑感 タグ: