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【福岡県】みんなの縁側 王丸屋さんのまわしよみ新聞が294号です! 300号では僕も津屋崎にいきます!福岡県のみなさん、ぜひともご参加してくださいー!( ´ ▽ ` )

2022 年 6 月 6 日 Comments off
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【茨城県】「歌垣風呂」ならぬ「歌垣会食」が開催されました!^^

2022 年 6 月 6 日 Comments off

【茨城県】「歌垣風呂」ならぬ「歌垣会食」が開催されました!^^ 企画者のあかりさんは歌垣風呂にもご参加いただいたことがあり、風呂の代わりに屏風で仕切る…という独自アレンジで歌垣イベントを企画されました。盛り上がったようで見事、カップルもできたとか。おめでとうございます!^^

https://umbtu.hp.peraichi.com/

これからも続けていくとのことなので、新しい出会いが生まれることを期待しております!
宮崎県でも「歌垣河川敷」をやっていましたが、最近、歌垣、キテマス。

https://www.facebook.com/events/1396282284167800

歌垣風呂もぼちぼち復活させたい。「やってみたい!」というお風呂屋さんがいたらメッセージください~!m(_ _)m


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今年、2022年は堺の偉大なる先人、千利休生誕500周年、三好長慶生誕500周年。そこで記念イベントとして「堺七墓巡り復活プロジェクト2022」を実施します。

2022 年 6 月 5 日 Comments off

■堺七墓巡り復活プロジェクト2022

https://www.facebook.com/events/572906637742341

今年、2022年は堺の偉大なる先人、千利休生誕500周年、三好長慶生誕500周年。そこで記念イベントとして「堺七墓巡り復活プロジェクト2022」を実施します。

■集合日時:2022年9月4日(日)12時~19時頃終了予定
■集合場所&ルート 
JR「浅香駅」集合スタート→①浅香山・囚人墓地跡→②東雲墓地→方違神社→③境王子跡(王子ヶ飢三昧跡)→高須神社(高須遊廓跡)→北之橋→風間寺→北仕置場跡→④千日井(七度三昧跡)→高須神社停留所→阪堺電車にのって移動→寺地町停留所→南宗寺・三好長慶像→乳守宮(乳守遊廓跡)→紀州街道→船待神社→⑤湊西墓地(湊三昧跡)→熊野街道(小栗街道)→南仕置場跡→石津神社→⑥神石共同墓地→伝・履中天皇陵古墳→大仙公園・千利休像→伝・仁徳天皇陵古墳→⑦向泉寺閼伽井跡(向井領三昧跡)→堺東駅ゴール解散(有志で交流会)
※距離は約20キロほどです。
※雨天、警報発令時は延期。少雨なら決行します。延期のさいはイベントページにて案内を流します。
■参加費:カンパ制 
※いくつか無縁仏さん、地蔵さんを巡ります。お線香、お花などをご用意して頂くと幸甚です。
■定員:30名
■先導役:陸奥賢(観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者) 大阪七墓巡り復活プロジェクト代表。大阪まち歩き大学学長。日夜、大阪のまちを逍遥している。

https://www.osakamachiarukidaigaku.com/


https://www.facebook.com/osaka7haka/

【堺七墓巡り復活プロジェクトについて】
かつて堺にも大阪と同じように七墓巡りがありました。堺の郷土研究家・北村五一郎氏が以下のような記録を残しています。

「七墓まいりとは堺の近郊の墓のうち、それぞれに七ヶ所を巡拝するもので、従って堺でも南と北の各講では目的墓地を異にしたものである。例をあげると、今は無くなったが、西湊の火葬場と墓地、王子ヶ飢火葬場、浅香山の囚人墓地は必ず詣った順路で、下石津、神石、踞尾、家原、百舌鳥、黒土、三宝の松屋、山本などの墓を巡ったものである。」

「どのコースも可成りな道程である。朝風の涼しいうちに出発して、帰りは夕方の五時から七時によくその姿を見たものである。何分、徒歩によらねばならなかったものである。足もとどころか全身白埃りにぬれて帰ってきた。老人の多いこと勿論で、まだ酷しい残暑の日中をよく行ったものだと今でも思う。信仰と大勢の力でやれたもので、『夏やせせぬ』『風邪など病気せぬ』等等の御利益を口伝したことは御多分にもれない。話しはそれだけのものであるが、その巡拝行の中に残暑下、一日中努力の精進をしている事、無縁の仏さま達へのお盆供養であること等は苦を忍んで、まつらざる精霊へ平等の布施をするということはむつかしい。固くな説法よりも自らの人情の発露による一日の菩薩行で現わされると私は感じている。お互いの『施しの精神』は持ち続けたいものである。」

「七墓まいりは今でも行われているそうである。講の数の少なくなったのは時勢であろう。巡拝も貸切バスが殆どのようである。昼食頃にはチャンと各自の家についているそうである。往年流れる汗を拭き拭き、午後のコースを歩いていた時間頃はひる寝の夢で安楽国でもみていることであろう。時代に順応して私はこれでいいのだと思う。」

以上は昭和34年(1959)の記録ですが、当時はまだ堺七墓巡りが実施されていたとあります。近年はおそらくやられていないでしょう。なんとなくの直観ですが、東京五輪や大阪万博といった右肩上がりの高度経済成長の時代風潮の中で、堺七墓巡りは廃れていったように思います。もしかしたら今回の堺七墓巡りは50年ぶり、半世紀ぶりの快挙(?)となるかも知れません。

北村氏の記述だけでは、いつの頃から堺七墓巡りが実施されていたのか?は不明です。「大阪七墓巡り」は近松門左衛門が作品(賀古教信七墓廻)のモチーフに取り入れたりしていますが、堺七墓巡りはそういう事例を僕は知りません(誰か知っていたら教えてください)。堺は歴史的には大阪より古い都市ですから、もしかしたら七墓巡りの習俗は大阪より古い可能性もあります。逆に大阪七墓巡りに影響されて実施された可能性もあります。個人的には大阪七墓巡りが盛んであった江戸時代に時期を同じくして堺七墓巡りも始まったのでは…?と推測しています。

というのも、江戸時代の大阪七墓巡りは「無縁仏の供養」を名目に町衆が行なっていましたが、その無縁仏には大坂の陣の豊臣方の死者が含まれていたと僕は推察しています。当時は豊臣政権と敵対して打ち滅ぼした徳川の時代なので、大阪の町衆(豊臣方の残党、子孫も大勢いたことでしょう)は大々的に豊臣方の死者供養、祖霊供養ができなかったので無縁仏の供養を大義名分、隠れ蓑にして供養していたのでは?というわけです。そして堺も大坂と同じように大坂の陣でほぼ都市全域を焼失する…という惨い戦争被害を受けています(徳川方ではなくて豊臣方の武将・大野道犬に火を放たれたのですが…)。堺七墓巡りも大阪七墓巡りと同じように豊臣方の死者供養という隠れた意図で行われた可能性がなきにしもあらずではないかと思っています。

堺七墓巡り復活プロジェクトのルートは、北村五一郎氏の記録では「西湊の火葬場と墓地」「王子ヶ飢火葬場」「浅香山の囚人墓地」は「必ず詣った」とあるので、そこは入れ込みました。また江戸時代の堺では有名な墓地であった四ヶ所三昧を巡るコースにしました。近代化、都市化の影響で、墓はほとんど残っていません。ですので「墓巡り」というよりも「墓跡巡り」というのが正解です(これは大阪七墓巡り復活プロジェクトでも同じような状況です)。

墓地(墓地跡)だけでなく、寺社仏閣、旧跡、史跡、名所、古墳、アジール(仕置場跡、遊郭跡)なども巡り、さらに三好長慶、千利休ゆかりの地も歩きます。この堺七墓巡りを歩くと堺の光と影…栄光の歴史(短い)や敗北、挫折、失敗だらけの物語が観えてくるのでは?と思っています。

出発は昼の12時にJR浅香駅から出発します。ルート途中で阪堺電車(高須神社停留所→寺地町停留所)に乗ります(運賃が別途必要です)。終了は19時頃を予定しています(参加者数などで変動があります。多いとどうしても時間は伸びます)。また終了後、堺東界隈の居酒屋で有志のみなさんと精進落としをする予定です(別途有料です)。よろしければご参加してください。もちろん巡礼だけの参加でも構いません。ぜひともご参加してください。

堺七墓巡り復活プロジェクト

https://www.facebook.com/sakai7haka

陸奥 賢

■堺七墓巡り復活プロジェクト2022

https://www.facebook.com/events/572906637742341


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【新潟県】新潟日報さんの記事をシェア!阿賀町にてまち歩きフォトスゴロクが実施されました。ありがとうございます!m(_ _)m

2022 年 6 月 4 日 Comments off

【新潟県】新潟日報さんの記事をシェア!阿賀町にてまち歩きフォトスゴロクが実施されました。ありがとうございます!m(_ _)m

去年、福島県立博物館さんと白河のみなさんと一緒に取り組んだ「まち歩きフォトスゴロクノート」。それをみて「ぜひ阿賀町でもまち歩きフォトスゴロクを!」とニッシーこと西田卓司大先生にお呼ばれして黎明学舎のみなさんと実地研修をしたのが今年の年度末。

それ以降、いろいろとまち歩きフォトスゴロクが使われているそうで、実は今回の阿賀津川中学校以外にも阿賀黎明高校や只見高校(福島県南会津郡!)でもまち歩きフォトスゴロクが作成されたとか。もっと広がるといいなあ〜( ´ ▽ ` )

ちなみに僕自身も今年、いわきでまち歩きフォトスゴロクをやる予定です。詳細はまた決まり次第、告知します!m(_ _)m

◼️フォトスゴロク

http://facebook.com/photo.sugoroku/

■フォトスゴロク(PDFダウンロードページ)

http://wp.me/pxlkK-2jf

■フォトスゴロク・フリダシ(A3サイズ・PDF)

http://mutsu-satoshi.com/wp-content/uploads/2022/02/fs1.pdf

■フォトスゴロク・中(A3サイズ・PDF)

http://mutsu-satoshi.com/wp-content/uploads/2022/02/fs2.pdf

■フォトスゴロク・アガリ(A3サイズ・PDF)

http://mutsu-satoshi.com/wp-content/uploads/2022/02/fs3.pdf

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◼️ 津川の魅力、すごろくで再確認
阿賀津川中生徒が写真で作成

https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/68537

新潟県阿賀町の阿賀津川中1年生が、町歩きに出て写真を撮り、「フォトスゴロク」を作る授業に取り組んだ。町の公営塾「黎明学舎」との連携プログラムとして初めて実施。生徒は津川の町を歩き、生まれ育った地元の魅力を改めて感じていた。

黎明学舎のスタッフ、及川真央さん(26)が同校に提案し、総合の授業の一環として取り組んだ。


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本日、午前中は新世界のまち歩き。定番コースw

2022 年 6 月 4 日 Comments off
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午後は大正駅から弁天町駅へ。こちらはマニアックww いや、いいんですよ。これが。深い。

2022 年 6 月 4 日 Comments off
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大阪まち歩き大学。大正から弁天町。地味なまち歩きですが、オモロイ。大阪はオモロイ。まちはオモロイ。

2022 年 6 月 4 日 Comments off
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中之島図書館へ。原稿の資料を取りに行く。戦前の本。著作権は切れてるから、そういうのは、はよデジタルアーカイブ化してほしいなあ。

2022 年 6 月 4 日 Comments off
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大阪まち歩き大学はまち歩き終了後に有志のみなさんと茶をしばきはったおしております。これが楽しいw このために歩いてるという気がする。まち歩きは前座でありますw

2022 年 6 月 4 日 Comments off
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七墓巡りは大阪、堺、河内だけではなくて愛知でも実施されていたという記録がある。

2022 年 6 月 4 日 Comments off

七墓巡りは大阪、堺、河内だけではなくて愛知でも実施されていたという記録がある。

面白いのが西尾張界隈の七墓で、村の若者たちが「七墓連中」という組織に所属して、新盆の家の前などで浄瑠璃を語ったという。そのお礼に金銭や米を受け取る。若者たちは年中、語りの練習をやっていたそうで、だから尾張の一部の地域では「語り、声、歌の名人」のことを「七墓やなぁ」といったりしたらしい。「七墓」というのが誉め言葉になっているw

大阪や堺で「七墓で浄瑠璃をやった」というような記録は僕が調べた中ではないが大阪だと「歌舞音曲」と共に練り歩いていたという記録はある。もしかしたら大阪でも浄瑠璃なんかも用いられたかもしれない。なんでもありだったかな。

西尾張の七墓で凄いのが浄瑠璃の台本を「七墓台本」というそうで、これが250冊ほど民俗資料として残っていること。大阪、堺ではそんな七墓関連の民俗資料はまるで残っていない。この手の古式の文化は、やはり都市ではアッサリと消滅しやすい。地方の方が濃厚に残るようだ。

七墓台本の中身は「源平盛衰記」とか「照手姫(小栗判官)伝説」とか「善光寺縁起」とか、要するに人気の浄瑠璃をそのまま使っているようで死者の墓前で若者が浄瑠璃を聞かせている光景は想像すると、なかなかシュールで面白い。

新作もあったようで「大塩平八郎」やペリー来航を題材にした「異国船」なんて台本もあるとか。当時最新の時事ネタであり、トップニュースである。浄瑠璃という形態で村々に伝えられ、それが西尾張では七墓台本として取り入れられたということだろう。死者も「最近の世の中はこうなっとるのか。世も末やのう」と知るわけですな。

記録では西尾張の七墓は明治時代以降も行われていたようで最新作としては「日清戦争」というのもあるらしい。近隣の村の出来事(大体、殺人事件とか心中事件)を語ったものもあるそうで、浄瑠璃はまさしく新聞的な役割を果たしていたことがよくわかる。

実際に西尾張から七墓(浄瑠璃)というメディアが衰退していくのは新聞というニューメディアの登場の影響だそうで、新聞が出てくることで七墓は消滅していったらしい。この辺も大変、興味深い。

また若者たちが七墓で家家を巡るが、その家には時には若い娘もいるわけで、そういうところでは若者も気合が違う。死者供養のための浄瑠璃といいながら、じつは若い娘を自慢の声で、語りで、口説いている…なんてことがあり、実際に七墓で出会って結ばれたというケースも多々あったという。歌垣やんw

七墓連中は若者で組織するが、村を巡る道中で他の七墓連中と出会うこともある。このときは名乗りをあげるそうだが血気盛んな若者たちなんで、時には衝突して派手なケンカになったりもするらしい。家を巡ると金銭や米をもらうし、かわいい娘もいますしな。そりゃ、そうなりますわな。

画像は西尾張で実際に使われていた七墓台本。これまた面白いのが「浪花組」という文字があること。じつは七墓連中のことを「浪花組」といっていたそうで、やはり七墓は大阪が盛んで、「七墓文化」が大阪方面から来ている…ということの証左らしい。

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【大阪七墓巡り2022】第一夜:8/13(土)18時より「梅田」「南濱」「葭原」を巡る

https://www.facebook.com/events/842966676662438

【大阪七墓巡り2022】第二夜:8/14(日)18時より「蒲生」「真田山陸軍墓地」「小橋」を巡る

https://www.facebook.com/events/1160028208118220

【大阪七墓巡り2019】第三夜:8/15(月)18時より「鳶田」「千日」を巡る

https://www.facebook.com/events/389733783183949

9/4(日)12時より■堺七墓巡り復活プロジェクト2022

https://www.facebook.com/events/572906637742341


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