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【シンカブル】まわしよみ新聞は今年2022年の9/29に創刊10周年を迎えます!…というわけで「まわしよみ新聞サポーター2022」を募集しています。 https://syncable.biz/campaign/2557

2022 年 5 月 5 日 Comments off

【シンカブル】まわしよみ新聞は今年2022年の9/29に創刊10周年を迎えます!…というわけで「まわしよみ新聞サポーター2022」を募集しています。

https://syncable.biz/campaign/2557

みなさんから頂戴するお祝いのメッセージがめちゃくちゃ嬉しい…( ;∀;) 

よろしければサポーターになってください。よろしくお願いします!m(_ _)m

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【創刊10周年記念!】まわしよみ新聞サポーター2022を募集します!

https://syncable.biz/campaign/2557/

「まわしよみ新聞」は僕=陸奥賢(観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者)が2012年9月29日に創刊した「新聞遊び」であり、「コミュニケーション・ツール」です。

当初は大阪・下寺町にある浄土宗寺院應典院の総合文化祭「コモンズ・フェスタ」用の企画として発案されましたが、プロジェクトを始めてみると、いろんな参加者から「これは面白い!」と絶賛され、コモンズ・フェスタ終了後も継続して実施していくことになりました。

プロジェクトを継続するにあたって僕はまわしよみ新聞を僕一人のもの、独占的に私有するのではなくて、みんなのもの、共有の財産、社会財にしたいと考えました。「コモンズ」というのは「(他者との)共有地」を意味する言葉であり、それは自分だけ、身内だけではなくて、常に「他者」に開かれたものであるべきだと考えたからです。そこで「いつでも、どこでも、だれでも自由に使えるコモンズ・デザイン」と銘打って、オープンソース(無料)でプロジェクトを展開しました。

自前で公式ホームページを作り、「まわしよみ新聞の作り方」「まわしよみ新聞の効果」を公開し、事あるごとに、まわしよみ新聞を使ってみてください!と世間の人に呼びかけ続けました。「100日連続まわしよみ新聞」「100か所まわしよみ新聞」という企画なども実施し、日本全国各地に赴いて、まわしよみ新聞を実際にやってみるということも盛んに行いました。その結果、新聞関係者のみならず、NIE、教育、まちづくり、介護福祉、行政、アート、演劇など様々な分野の方々に使われていきました。

ターニングポイントになったのは2016年に三省堂の高校国語教科書にまわしよみ新聞が採用されたことで、とくに教育関係者に注目され、高校のみならず幼稚園、小学校、中学校、大学などでのまわしよみ新聞の発行が増加しました。それらの取り組みが評価され、ついには「我が国最高の教育賞」と呼ばれる「読売教育賞」の最優秀賞を受賞したのが2017年でした。

まわしよみ新聞は僕自身も驚くほど物凄い勢いで普及していき、北は北海道、南は沖縄まで、日本全国津々浦々でまわしよみ新聞が発行されました。日本全国どころか韓国、台湾など海外でも実施されたりもしました。まさにまわしよみ新聞は「みんなのもの」「共通財産」「社会財」となったように思います。

2020年、2021年、2022年の3年間ほどはコロナ禍に巻き込まれ、まわしよみ新聞の活動は大幅に後退、縮小、停止、中止となっていきましたが、オンラインに移行したり、少人数で開催するなど、細々とながら地道に活動を続けてきました。最近、少しづつ世情が収まりつつあり、プロジェクトも復活の兆しが出ています。

また2020年にはシンカブルでまわしよみ新聞の寄付サイトを作り、2021年には「まわしよみ新聞オフィシャルサポーター」を募集しました。今まで僕は一人で事務局を運営し、そこに結構な時間と労力が費やされてきましたが人件費は当然、出ない…という状況で、文字通り手弁当で、ボランティアで、まわしよみ新聞のプロジェクトをやっていました。しかしコロナ禍とその後遺症で、そういう余裕が全くなくなり、有志の方に「ご寄付」をお願いしてマネタイズするという方向に切り替えました。

今年、2022年は「まわしよみ新聞創刊10周年記念」になります。本当によくぞ10年続いたな…と自分でも思いますが、今後も、まわしよみ新聞の活動を継続するために、今年も「まわしよみ新聞オフィシャルサポーター2022」を募集したいと思います。

ご寄付を頂いた方のお名前は「まわしよみ新聞サポーター2022」として、まわしよみ新聞公式サイトに記載させていただきます。そのさいは「応援メッセージ」で「記載名」をお教えください。実名、匿名、筆名でも構いません。※記載名がない方はそのまま本名で記載させていただきます。ご了承ください。

■「まわしよみ新聞サポーター2022」ページ

http://www.mawashiyomishinbun.info/supporter/

まわしよみ新聞は2012年9月29日が創刊日なので、その10年目に当たる2022年9月29日までキャンペーンでご寄付を呼び掛けたいと思います。ご寄付は500円から可能です。何卒、ご支援、ご協力の方をよろしくお願いいたします。

【創刊10周年記念!】まわしよみ新聞サポーター2022を募集します!

https://syncable.biz/campaign/2557/


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父の供養で先祖の墓を探してみたが見つかるもんですな。探しながら日本の近代史もようわかった。歴史は家族史から始めるべきです。自分の足元、ルーツ、血からやらなわからん。

2022 年 5 月 5 日 Comments off

父の供養で先祖の墓を探してみたが見つかるもんですな。探しながら日本の近代史もようわかった。歴史は家族史から始めるべきです。自分の足元、ルーツ、血からやらなわからん。


カテゴリー: 雑感 タグ:

【京都新聞】京都新聞さんの特集「 新聞の上手な読み方って? 世の中の流れを五つの面に凝縮」記事の中でまわしよみ新聞のことが紹介されています!ありがとうございます!^^

2022 年 5 月 5 日 Comments off

【京都新聞】京都新聞さんの特集「 新聞の上手な読み方って? 世の中の流れを五つの面に凝縮」記事の中でまわしよみ新聞のことが紹介されています!ありがとうございます!^^

■まわしよみ新聞は2022年で創刊10周年になります!今年も「まわしよみ新聞サポーター2022」を募集中です!まわしよみ新聞の活動をぜひともご支援くださいm(_ _)m

https://syncable.biz/campaign/2557

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■新聞の上手な読み方って? 世の中の流れを五つの面に凝縮 | 京都新聞

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/781659

 最後に筆者お薦め、数人で一緒に新聞を読むワークショップ「まわしよみ新聞」を紹介する。持ち寄った新聞を回し読み、20分ほどで「気になる」「面白い」「これは…」と目に留まった記事を切り取る。カードゲームの手札に見立てて、注目した点を一人ずつ説明し、身近な出来事や感想と関連付けて語り合う。話題になった記事を模造紙に貼り、コメントを書き込む。興味や関心を伝え合うので、自然と盛り上がる仕掛けだ。2021年3月に上京区で開催されたワークショップでは、小学生と大人が、SDGsや同性婚、源氏物語など幅広いテーマで話し合い、互いの考えを聞いた。


カテゴリー: 雑感 タグ:

陸奥家ファミリーヒストリー

2022 年 5 月 5 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。

父・信一が2021年11月26日に亡くなり、遺品として陸奥家の戸籍が正式に僕のものになった。それをきっかけに父の供養として陸奥家のルーツ、曽祖父・利宗のことをいろいろと調べてみた。利宗の墓を見つけるのが目的であったが、半年かかって、ついに、ようやく発見した。その悪戦苦闘(?)の記録。

■2021年11月30日:陸奥家は元々、何宗であったのか?よくわからない。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6574307755973663

■2021年12月11日:僕の曽祖父の陸奥利宗は大正2年(1913)2月に「東京市芝区高輪台町28番地」に引っ越していたことがわかった。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6640971802640591

■2021年12月12日:父・信一の遺品整理で、陸奥家の代々の戸籍が出てきて、いろいろと調べている。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6645889688815469

■2021年12月13日:国立国会図書館デジタル・アーカイブで戦前の官僚の『職員録』を調べてみたら、利宗は宇治山田市で書記、主事をやっていたということがわかりました。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6649587328445705

■2021年12月14日:どうも若い頃は日本全国各地の大蔵省の専売局で書記をやり、40歳近くになってから宇治山田に出向…という流れだと思われます。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6652517144819390

■2021年12月14日:曽祖父・陸奥利宗から勘当された祖父・文夫は95歳の長寿を全うしたが、その最晩年になって「陸奥家の墓参りに行きたい」と言い出した。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6654614941276277

■2021年12月18日:父の遺品で陸奥家の戸籍が多数あり、曽祖父・陸奥利宗のことを調べています。あちらこちらを転々としているので、もしかして官僚では?と推察。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6690726004331837

■2021年12月21日:昭和17年(1942)の『伊勢年鑑』で宇治山田市の「吹上町松原」町内会の副会長に曽祖父・陸奥利宗の名前を発見。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6714969721907465

■2021年12月29日:大正2年(1913)2月から「東京市芝区高輪台町28番地」

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6774161449321625

■2021年12月29日:大正5年(1916)3月には「東京府荏原郡大井町418番地」に移転

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6775180755886361

■2021年12月30日:国立国会図書館の『職員録』を調査して曽祖父・陸奥利宗の大蔵省時代の経歴が見えてきました。明治35年に採用されたようで以下のように転々と各地の専売局を転々として勤務しています。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6778576265546810

■2021年12月31日:伊勢市。宇治山田へ。個人情報になるのであまり詳しくは記述できませんが、ある資料から曽祖父・陸奥利宗の娘、祖父・陸奥文夫の妹さんのお住まいを特定できました。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6784569374947499

■2022年1月1日:曽祖父・陸奥利宗が働いていたのは宇治山田市役所。いまは伊勢市役所です。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6789227421148361

■2022年1月1日:曽祖父・陸奥利宗は宇治山田市役所時代(1918〜1927)にどんな仕事をしていたのか?

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6789516757786094

■2022年1月7日:三重県伊勢市最大の市営墓地が伊勢やすらぎ霊園。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6817659124971857

■2022年1月8日:伊勢市役所に改めてお問い合わせ。データベースを調べてくれて、より詳しい情報が出てきました。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6826841320720304

■2022年1月8日:曽祖父・陸奥利宗が一時期住んでいた大井町・見晴らし通り。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6826825660721870

■2022年1月9日:霊友会の過去帳『靈鑑』

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6830014747069628

■2022年1月25日:『職員録』などから曽祖父・陸奥利宗は大蔵省専売局で働いていたことがわかりましたが、函館勤務時代(明治44・1911~大正2・1913)の上司が福井県士族出身の渡邊新太郎。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6945088698895565

■2022年1月27日:「一体、利宗は、どういう経緯で宇治山田に…?」

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6968468433224258

■2022年5月3日:リサーチで伊勢市立図書館へ。『宇治山田市広報』を閲覧。画像は曽祖父・陸奥利宗の主事就任の辞令。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/7429769660427464

■2022年5月4日:伊勢市、宇治山田の祖霊社と鎮魂殿。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/7435188739885556

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以下は父が亡くなる前(戸籍を入手する前)に書いた陸奥家の先祖にまつわる記事。

■2019年10月8日:僕の曾祖父は陸奥利宗というんですが、その妻ヲカは小山田ヲカといって鹿児島・薩摩藩士の娘でした。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/3141100905961049

■2020年8月2日:僕の曽祖父は陸奥利宗といいますが、妻(僕の曾祖母)が薩摩藩の鉄砲指南役の小山田休次郎家の二女でヲカといいました(陸奥という東北由来の苗字のくせに僕は薩摩藩士の血を引いているw)。その姉で小山田家長女のタカが嫁いだのが鮫島訓石。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/4200270600044069

■2021年9月24日:僕の曾祖父は陸奥利宗といい、宇和島藩士なんですが、利宗の妻・小山田ヲカの父は小山田休次郎という薩摩藩士です。「七卿落ち」の五卿を守るために太宰府・延寿王院に配属された…という文献が残ってます。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6210949678976141

■2021年9月26日:陸奥利宗(僕の曽祖父)の妻ヲカの父は薩摩藩士の小山田休次郎。その休次郎の養父・真蔵は馬場道與流砲術の師範だった。

https://www.facebook.com/mutsusatoshi/posts/6220460268025082


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陸奥家ファミリーヒストリー。去年の秋に父・信一が亡くなり、遺品整理をしていたら陸奥家の戸籍を発見した。

2022 年 5 月 4 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。去年の秋に父・信一が亡くなり、遺品整理をしていたら陸奥家の戸籍を発見した。

僕の祖父・文夫は若い頃は遊び人の放蕩息子であったらしく、それが元で曽祖父の利宗から勘当されていたので曽祖父が何者か?何をしている人なのか?さっぱりわからなかった。

気になったので、いろいろとリサーチしてみたら利宗は若い頃は大蔵省専売局の書記官であったことがわかった。その後、大蔵省の役人を辞め、数年後に突如として宇治山田市役所に勤務し、筆頭主事(市長、助役に次いで3番目の地位)となって約10年間ほど宇治山田市政に携わっていた。

祖父・文夫は晩年になって若い頃の放蕩を後悔したのか「曽祖父・利宗の墓参りに行きたい」と言い出し、父・信一は一時期、利宗の墓を探してみたが結局、よくわからなかった。心残りであったろうと思う。

父が亡くなったことで、父の心残りを解消する(それは祖父の心残りでもあった)のが息子の、孫の僕の役割ではないか?と考えて、それで僕なりの方法論で利宗の墓を探索してみた。

結果からいえば利宗の墓はかつて大世古墓地にあったことまで突き止めた。ところが、この墓は平成18年に祖父・文夫の妹さん(利宗の末娘)の手によってどこかに改葬されていることがわかった。おそらく永代供養にしたのだろうと考え、いろいろと付近の永代供養の寺院をリサーチしてみたが全く見つからない。

ただ去年に宇治山田に現地リサーチしたさいに妹さんが住んでいたと思われる家を発見した。表札にうっすらと「陸奥」の文字があり、確認できた。しかし家は長く不在のようで空き家のようになっていた。

今回は妹さんの家の付近の方に聞けば妹さんの動向がわかるのでは?ということで周辺をリサーチしてみた。結果からいえば、これが大成功で妹さんの町内会の方、地主さんとコンタクトがとれて妹さんの動向がわかった。

まず驚いたことは妹さんがまだ御存命だったということ。現在、101歳で某老人ホームに入っておられるらしい。祖父・文夫も享年95歳という長命でしたが、まさか妹さんが生きていらっしゃるとは思わなかった…。

妹さんは伊勢市の税務署に勤務していたそうで(利宗は宇治山田市の税務担当の主事でした)、地域の方がいうには「お偉いさん」だったらしく、しかし長く独身であったとか。数年前にカラダを悪くして老人ホームに入りましたが、その時に身辺整理をし、陸奥家の墓も改葬の手続きをしたそうで、その場所が「祖霊社」であるということを突き止めました。

■祖霊社

http://www.soreisya.or.jp/

僕はずっと宇治山田周辺の「永代供養の寺院」を探していましたが、じつは利宗は永代供養ではなくて「永代祭祀の神社」に改葬されていたんですな。宇治山田=伊勢はさすが神宮が強い。盲点というか、そこは考えが及ばなかった。なんとなく仏さんになってるんだろう…と思っていたら、じつは神さんになってました。利宗さん。

祖霊社にお伺いをして神官の方に事情をお話しすると別室に案内されて「陸奥家のものです」という確認をした後に妹さんが書いた利宗の改葬の申請書類のコピーを頂戴しました。添付の画像がそれです。陸奥利宗と妻のヲカ、それと3人の娘(文夫の妹たち)の霊璽(位牌)は「祖霊社」に。ご遺骨は「鎮魂殿」に収められている…という書類。

去年の秋からリサーチを開始して、半年かかりましたが、ようやく利宗の墓を発見できました。早速、祖霊社にお参りして曽祖父・利宗に祖父・文夫、父・信一のことを報告できました。よかったよかった。

これからお参りする先が増えましたな。伊勢市、宇治山田の祖霊社と鎮魂殿。大阪から宇治山田はちと遠いですから、そんなに頻繁にお参りにはいけないが、自分のルーツを、先祖の墓を確認できたのはほっとしました。


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宇治山田へ。陸奥家リサーチです。いろいろとわかってきました。ついに核心に至りそうです。

2022 年 5 月 4 日 Comments off
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久しぶりの陸奥家ファミリーヒストリー。リサーチで伊勢市立図書館へ。『宇治山田市広報』を閲覧。画像は曽祖父・陸奥利宗の主事就任の辞令。

2022 年 5 月 4 日 Comments off

久しぶりの陸奥家ファミリーヒストリー。リサーチで伊勢市立図書館へ。『宇治山田市広報』を閲覧。画像は曽祖父・陸奥利宗の主事就任の辞令。

利宗は大正7年(1918)から昭和2年(1927)まで宇治山田市役所で働いていたのですが、その間の仕事がいろいろとわかりました。

惜しいのは『宇治山田市広報』は歯抜けで全バックナンバーが揃っていないこと。大正11年(1922)〜大正12年(1923)の2年間の仕事しかわからない。

公的書類は大事ですな。改竄とか隠蔽消却とかもってのほかであります。


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陸奥家ファミリーヒストリー。三重県立図書館。

2022 年 5 月 4 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。三重県立図書館。

伊勢新聞の過去のバックナンバーが収録されているマイクロフィルムを見たいと思って来ましたが、なぜかマイクロフィルムリーダーが動かない…。

三重県立図書館にはリーダーはこれ一台だけとか。ま、まぢすか…。


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大阪まち歩き大学。鎌八幡。

2022 年 5 月 4 日 Comments off

大阪まち歩き大学。鎌八幡。「境内撮影禁止」とあちらこちらに張り紙がしてあって独特の雰囲気がある。

特別祈祷では御神木に鎌を突き刺して縁切りするらしいが、境内にある大量の絵馬がこれまた凄い。実名で「◯◯◯◯と別れたい」と生々しい悪縁切りの願掛けが書き込まれている。京都でいえば安井金比羅宮ですな。

境内は撮影禁止ですが境外(道路脇)から御神木は撮影できる。よう見たら御神木に鎌が突き刺さっているのが見えます。


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去年に引き続いて歌垣風呂ファンさんからご寄付を頂きました。ありがとうございます!^^

2022 年 5 月 3 日 Comments off

■「まわしよみ新聞サポーター2022」を募集しています!

https://syncable.biz/campaign/2557/

去年に引き続いて歌垣風呂ファンさんからご寄付を頂きました。ありがとうございます!^^ また歌垣風呂もやっていきます。これもコロナでこの2年間は、あんまりまともに動いておりませんでした・・・^^;

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https://syncable.biz/campaign/2557/?m=80914

【創刊10周年記念!】まわしよみ新聞サポーター2022を募集します!

https://syncable.biz/campaign/2557/

「まわしよみ新聞」は僕=陸奥賢(観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者)が2012年9月29日に創刊した「新聞遊び」であり、「コミュニケーション・ツール」です。

当初は大阪・下寺町にある浄土宗寺院應典院の総合文化祭「コモンズ・フェスタ」用の企画として発案されましたが、プロジェクトを始めてみると、いろんな参加者から「これは面白い!」と絶賛され、コモンズ・フェスタ終了後も継続して実施していくことになりました。

プロジェクトを継続するにあたって僕はまわしよみ新聞を僕一人のもの、独占的に私有するのではなくて、みんなのもの、共有の財産、社会財にしたいと考えました。「コモンズ」というのは「(他者との)共有地」を意味する言葉であり、それは自分だけ、身内だけではなくて、常に「他者」に開かれたものであるべきだと考えたからです。そこで「いつでも、どこでも、だれでも自由に使えるコモンズ・デザイン」と銘打って、オープンソース(無料)でプロジェクトを展開しました。

自前で公式ホームページを作り、「まわしよみ新聞の作り方」「まわしよみ新聞の効果」を公開し、事あるごとに、まわしよみ新聞を使ってみてください!と世間の人に呼びかけ続けました。「100日連続まわしよみ新聞」「100か所まわしよみ新聞」という企画なども実施し、日本全国各地に赴いて、まわしよみ新聞を実際にやってみるということも盛んに行いました。その結果、新聞関係者のみならず、NIE、教育、まちづくり、介護福祉、行政、アート、演劇など様々な分野の方々に使われていきました。

ターニングポイントになったのは2016年に三省堂の高校国語教科書にまわしよみ新聞が採用されたことで、とくに教育関係者に注目され、高校のみならず幼稚園、小学校、中学校、大学などでのまわしよみ新聞の発行が増加しました。それらの取り組みが評価され、ついには「我が国最高の教育賞」と呼ばれる「読売教育賞」の最優秀賞を受賞したのが2017年でした。

まわしよみ新聞は僕自身も驚くほど物凄い勢いで普及していき、北は北海道、南は沖縄まで、日本全国津々浦々でまわしよみ新聞が発行されました。日本全国どころか韓国、台湾など海外でも実施されたりもしました。まさにまわしよみ新聞は「みんなのもの」「共通財産」「社会財」となったように思います。

2020年、2021年、2022年の3年間ほどはコロナ禍に巻き込まれ、まわしよみ新聞の活動は大幅に後退、縮小、停止、中止となっていきましたが、オンラインに移行したり、少人数で開催するなど、細々とながら地道に活動を続けてきました。最近、少しづつ世情が収まりつつあり、プロジェクトも復活の兆しが出ています。

また2020年にはシンカブルでまわしよみ新聞の寄付サイトを作り、2021年には「まわしよみ新聞オフィシャルサポーター」を募集しました。今まで僕は一人で事務局を運営し、そこに結構な時間と労力が費やされてきましたが人件費は当然、出ない…という状況で、文字通り手弁当で、ボランティアで、まわしよみ新聞のプロジェクトをやっていました。しかしコロナ禍とその後遺症で、そういう余裕が全くなくなり、有志の方に「ご寄付」をお願いしてマネタイズするという方向に切り替えました。

今年、2022年は「まわしよみ新聞創刊10周年記念」になります。本当によくぞ10年続いたな…と自分でも思いますが、今後も、まわしよみ新聞の活動を継続するために、今年も「まわしよみ新聞オフィシャルサポーター2022」を募集したいと思います。

ご寄付を頂いた方のお名前は「まわしよみ新聞サポーター2022」として、まわしよみ新聞公式サイトに記載させていただきます。そのさいは「応援メッセージ」で「記載名」をお教えください。実名、匿名、筆名でも構いません。※記載名がない方はそのまま本名で記載させていただきます。ご了承ください。

■「まわしよみ新聞サポーター2022」ページ

http://www.mawashiyomishinbun.info/supporter/

まわしよみ新聞は2012年9月29日が創刊日なので、その10年目に当たる2022年9月29日までキャンペーンでご寄付を呼び掛けたいと思います。ご寄付は500円から可能です。何卒、ご支援、ご協力の方をよろしくお願いいたします。

【創刊10周年記念!】まわしよみ新聞サポーター2022を募集します!

https://syncable.biz/campaign/2557/


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