■4月20日(水) 13:00:大阪まち歩き大学【JR環状線②天満駅~桜ノ宮駅】裏天満から葭原墓地跡を経て大川へ
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天満駅北側は闇市の名残りなどもあり、近年は「裏天満」と呼ばれています。さらに北側の天六界隈には、かつての大阪七墓のひとつ・葭原墓地がありました。また長柄エリアは戦前は大阪市でも有数のスラムとして知られていました。天六ガス爆発事故なども当地で起こった悲劇です。それらの痕跡を訪ね歩いて桜ノ宮に向かいます。
■集合場所:JR「天満駅」改札口前
■ルート:①天満座跡→②池田町→③葭原墓地跡→④くらしの今昔館→⑤長柄霊園→⑥国分寺→⑦都島橋→⑧大阪市水道発祥之地→⑨毛馬桜之宮公園
■解散場所:JR桜ノ宮駅
■定員:10名(先着順)
■参加費:1500円
■ガイド:陸奥賢(観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者)
1978年生まれ。大阪生まれ。堺育ち。大阪まち歩き大学学長。日夜、大阪のまちを逍遥し続けている。2008年から2013年まで「大阪あそ歩」(観光庁長官表彰受賞)プロデューサー。「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」(読売教育賞NIE部門最優秀賞受賞)「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」「歌垣風呂」(京都文化ベンチャーコンペティション企業賞受賞)「仏笑い」「劇札」「北船場将棋」「死生観光トランプ」「和泉そぞろ」「泉北てくてく」「堺探検クラブ」(堺商工会議所主催・地域活性化ビジネスプラン・SAKAI賞受賞)などを手掛ける。著書に『まわしよみ新聞をつくろう!』(創元社)
大阪まち歩き大学。大阪駅から天満駅まで。このコースのハイライトのひとつは南濱墓地。大阪七墓巡り復活プロジェクトでもお馴染みですが、七墓ではさっと巡るだけ。
大阪まち歩き大学では周辺も含めて歩き、みなさんとお参りする。少人数だから中身がこれまた濃いですw
日付のある画像の撮影はヒロツさん。ありがとうございます!( ´ ▽ ` )
大阪まち歩き大学。大阪駅から天満駅まで。久しぶりでちょっと特別バージョンで3時間ほどに。
次回は4/20(水)です。参加者募集中!
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大阪まち歩き大学。「是より東鶯の丘」石碑。細工谷にある。
昭和初期にこの付近に資産家がいて野球倶楽部の仲間と一緒に作ったものとか。地元を顕彰しようという愛郷心で七基ほどこういった石碑を建立したらしい。他にどんなものがあったのか?いまいち詳細はわかっていないという。
この辺りは細工谷だが桃の名所で桃山と呼ばれたり、桃谷(JR桃谷駅の由来はここから)と呼ばれたりもした。「桃には鶯」というわけで「鶯の丘」の名がついたらしい。
桃は中国原産。この辺りの細工谷以東は上町台地の崖下で古代は海(河内湾)が広がっていた。渡来人が訪れ、その中の誰かが桃を持ち込んだのだろう。
「桃」は「木」に「兆」(きざし)と書く。なんの兆しか?というと妊娠で妊娠の兆しがあると食べたくなるのが桃だった。いまは桃といえば甘いが古代中国の桃はもっと酸っぱかった。酸っぱいものを欲しがるのはまさしく妊婦で赤ん坊と桃がここで繋がる。
日本人なら誰もがご存知の桃太郎。何故、川から流れてきた大きな桃に赤ん坊が入っているのか? 実は桃というのは赤ん坊の訪れを告げる兆しの植物であったからだ。
桃を怖がるのは「鬼」だが、これも古代中国の鬼というのは今の我々が考える化物の赤鬼青鬼ではなくて「死者」のことを意味する。死者がなによりも怖れ、嫌がるのが生のシンボル、生命力漲る赤ん坊であった。だから桃(赤ん坊のシンボル)は鬼を遠ざける植物となった。桃から産まれた桃太郎が鬼退治に出かける…というのは、いろんな意味でわかりやすいw
古代の桃は酸っぱかったが酸っぱい植物は他にもある。例えば「梅」。これも「木に母」と書く。「苺」(草冠に母)も同じく。「季」(すもも)は「木に子」と書く。いずれも妊婦が欲しがる植物の実であった。
漢字はよくできているというか、一々、面白い。読み解いていくと古代の中国人の生活文化や信仰、願い、祈りのようなものが浮かび上がってくる。
大阪まち歩き大学。安堂寺町。榎木大明神。エノキさんといわれているが本当は槐(エンジュ)だという。楠木正成公お手植えという伝説があるが、まあ、これは伝説だろう。
榎木大明神さんの前の南北の筋をお祓い筋という。古くは熊野街道であり、悩み苦しみを抱えた多くの旅人が行き来した。
そういう旅人目当てに辻占やら易者、拝み屋、狐憑き、お祓いの巫女やらが街道に多く出たらしい。だからお祓い筋。
榎木大明神あたりにも、そういう有象無象のいかがわしいのがようさんいたのかも知れない。
そして、ここから近代に出てきたのが直木三十五。直木三十五こそ大阪が産んだ稀代のトリックスター。なんとなく御土地柄を感じますな。
榎木大明神のすぐ下に直木三十五文学碑があり、「南国太平記」の一文が刻まれている。