メロンパンは大まかに分けて2種類ある。メロンの皮に似せたメロンパンと、メロンの味に似せたメロンパンと。
メロンパンは大まかに分けて2種類ある。メロンの皮に似せたメロンパンと、メロンの味に似せたメロンパンと。
メロンの皮に似せたメロンパンは味はそれほどメロンではない。
メロンの味に似せたパンはメロンクリームを入れ込んで、要するにメロンクリームのパンだったりする。
兎角に人の世は住みにくい(漱石)
メロンパンは大まかに分けて2種類ある。メロンの皮に似せたメロンパンと、メロンの味に似せたメロンパンと。
メロンの皮に似せたメロンパンは味はそれほどメロンではない。
メロンの味に似せたパンはメロンクリームを入れ込んで、要するにメロンクリームのパンだったりする。
兎角に人の世は住みにくい(漱石)
僕は生まれは大阪の住吉であるが、堺の新金岡団地で育った。戦後の団地は地蔵尊や祠などがない。それらを破壊して、団地を作っている。霊的な場がどこにもない。
ただ僕の場合は母方の親戚一同が日蓮系在家教団の霊友会の篤信者(狂信者?)であった。地域や土地には霊的な場はないが、家の中にそういう霊的な場があった。
しかもそれが近い。うちの場合は団地の6畳の子供部屋(僕と弟の部屋)に仏壇があり、毎朝5時には母親が読経していた。僕は毎朝、母親の読経で目を覚ました。朝起きたら、オカンが一心不乱にお題目唱えてるとか、危ないw
いまにして思うと、なかなか特異、異様な環境で、お寺の人でも、ここまで宗教と生活が密接な人はあまりいない気がする。お坊さんは「住職」といい、お寺に住んでいるが、宗教空間と生活空間は大体、分かれている。お寺の本堂で寝起きしている住職はそれほど多くないんちゃうやろか?
こういうのは僕の家だけではなくて、あっちこっちにあった。団地と新宗教は相性がいい。狭い狭い団地で、朝や夕方になると「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経…」と独特の調子でお題目が聞こえてくる。大体、そういう家は団地のベランダに公明党のポスターを貼っていたりするw 生活すべてが新宗教の活動とリンクしている。
宗教空間と生活空間が一緒くた。密接。近すぎる。実は、これはなかなか危険なことやないか?という気がしている。
だから、僕みたいな人間(七墓巡りとかやりだすようなw)も出てくるんやないやろか?どうしても僕はやることなすことが宗教臭いというか法華臭いというかカルト臭いw
大阪地方裁判所から封書。10年以上、お世話になっていた編集プロダクションが倒産し、僕は債権者に。債権よりも長く関係が続いていたので、それらが途絶えることの方がつらい。