光軌主幹が「極楽度・地獄度チェック」に挑戦! まさかの「地獄行き 覚悟せよ」でした…。業が深すぎる…。
【福岡県】西日本新聞の安武さんの投稿よりm(_ _)m 福岡界隈の方で「まわしよみ新聞をやってみたいなあ」という方。ぜひ西日本新聞さんにお問い合わせしてください〜!^ ^
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小中連携教育校の福岡市立舞鶴小学校で「まわしよみ新聞」の出前講座をやってきました。国語の「新聞を読もう」の授業の一環です。北朝鮮とトランプ大統領の記事を切り抜いた5年生は、「話し合いで解決してほしい」「沖縄の米軍基地はどうなるの」。みんな、しっかり新聞を読んで対話をしてくれました。近隣ならば、無料出前講座やります。ご希望の学校は、西日本新聞社企画開発部092-711-5430までご連絡ください。
【参議院】参議院が参議院70周年を記念して中学生・高校生を対象に「私が国会議員になったら実現したいこと-私たちが望む未来-」をテーマに論文を募集したそうですが、まわしよみ新聞の実施を提言した小林聖心女子学院高等学校の松尾絢海さんの論文「社会情勢への関心の向上のための取り組み」が佳作入選したそうです。
日本全国各地から計7074通の論文が来たそうで、その中の優秀賞12名、佳作32名に選ばれたとか。いやぁ、よう通りましたな・・・。素晴らしい。以下のリンクで読めます。
松尾さんには、ぜひ国会議員になってもらって「まわしよみ新聞関連法案」を作ってもらいたいですなw
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■参議院70周年記念論文「社会情勢への関心の向上のための取り組み」(大阪府 小林聖心女子学院高等学校2年 松尾絢海)
https://goo.gl/eNiyMt
(前略)
そこで私は、1つ、学校単位でできる社会情勢への興味関心を広げるプログラムを提案したいと思う。それは、「まわしよみ新聞」である。私は、現在学校で図書委員をやっているが、先日、学校をこえた、図書委員同士の交流会というものが行われた。そこで行われたのが「まわしよみ新聞」である。私は都合がつかず、残念ながら参加することはできなかったが、この「まわしよみ新聞」は手軽で、準備も多くはないため、今すぐにでも導入できると思う。この「まわしよみ新聞」とは、皆で興味のある新聞記事を切り抜いて持ち寄り、それぞれにその記事についてプレゼンした後、その切り抜いた記事をポスターに貼って提示しておく、というたったこれだけである。これなら、少人数単位でもできるため、昼休みなどに図書館で開催すれば、興味のある人は気軽に曜日を決めず、参加できるのではないかと思う。
(中略)
よって、私は最初に提示した3つの問題について、「まわしよみ新聞」の実施、そして、学校に新聞を配給することを提案する。
【参議院】参議院が参議院70周年を記念して中学生・高校生を対象に「私が国会議員になったら実現したいこと-私たちが望む未来-」をテーマに論文を募集したそうですが、まわしよみ新聞の実施を提言した小林聖心女子学院高等学校の松尾絢海さんの論文「社会情勢への関心の向上のための取り組み」が佳作入選したそうです。
日本全国各地から計7074通の論文が来たそうで、その中の優秀賞12名、佳作32名に選ばれたとか。いやぁ、よう通りましたな・・・。素晴らしい。以下のリンクで読めます。
松尾さんには、ぜひ国会議員になってもらって「まわしよみ新聞関連法案」を作ってもらいたいですなw
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■参議院70周年記念論文「社会情勢への関心の向上のための取り組み」(大阪府 小林聖心女子学院高等学校2年 松尾絢海)
https://goo.gl/eNiyMt
(前略)
そこで私は、1つ、学校単位でできる社会情勢への興味関心を広げるプログラムを提案したいと思う。それは、「まわしよみ新聞」である。私は、現在学校で図書委員をやっているが、先日、学校をこえた、図書委員同士の交流会というものが行われた。そこで行われたのが「まわしよみ新聞」である。私は都合がつかず、残念ながら参加することはできなかったが、この「まわしよみ新聞」は手軽で、準備も多くはないため、今すぐにでも導入できると思う。この「まわしよみ新聞」とは、皆で興味のある新聞記事を切り抜いて持ち寄り、それぞれにその記事についてプレゼンした後、その切り抜いた記事をポスターに貼って提示しておく、というたったこれだけである。これなら、少人数単位でもできるため、昼休みなどに図書館で開催すれば、興味のある人は気軽に曜日を決めず、参加できるのではないかと思う。
(中略)
よって、私は最初に提示した3つの問題について、「まわしよみ新聞」の実施、そして、学校に新聞を配給することを提案する。
歌垣風呂をやって驚いたのは、人間の歌や声に対する、あまりにも鋭い直観。お互い良いと思う確率があまりにも高い。
物事を覚えるのに「歌で覚える」という手段があります。そのまま思い出そうとしてもなかなか言葉が出てこないけど歌にすることで、するすると言葉がでてくる。
江戸時代の寺子屋では「素読」が流行ったとか。いまでいえば幼稚園児のような幼い子供が、先生の声に合わせて四書の『論語』『大学』『中庸』『孟子』などを声に出して読む。先生も中身の説明は一切しない。解説しない。解釈しない。ただ先生の「声」(リズム、声色、調子)に共鳴することで、いつのまにか四書の難しい言葉が、カラダの隅々にまで染み渡り、それらがやがて深い知見に到達する。
そんな教育方法で大丈夫かいな?と思いますが、江戸時代の日本人の識字率の高さ、教養文化レベル、幕末から明治へと変貌する近代化プロセスを見ていても、この教育方法の有効性、可能性は証明されてます。
いずれにせよ、歌や声は、人間に、なにか、そういう不可思議な作用を及ぼすらしい。「意味」とか「論理」をすっ飛ばしてやってくる。超越的やし、直観的やし、呪術的なんですな。
宮本常一の『忘れられた日本人』の中に歌垣に関する記述があって。対馬の鈴木老人。昔はこの老人に憧れましたがw こんなことがほんまにあるのか?あったのか?あったんでしょうな。歌垣風呂をやってみて、いま、確信してます。
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「対馬には島内に六つの霊験あらたかな観音さまがあり、六観音まいりといって、それをまわる風が中世の終わり頃から盛んになった。男も女も群れになって巡拝した。佐護にも観音堂があって、巡拝者の群れが来て民家にとまった。すると村の若い者たちが宿へいって巡拝者たちと歌のかけあいをするのである。節のよさ文句のうまさで勝敗をあらそうが、最後にはいろいろのものを賭けて争う。
すると男は女にそのからだをかけさせる。女が男にからだをかけさせることは少なかったというが、とにかくそこまでいく。
鈴木老人はそうした女たちと歌合戦をしてまけたことはなかった。そして巡拝に来たこれというような美しい女のほとんどと契りを結んだという。
前夜の老人が声がよくてよいことをしたといわれたのは、このことであった。明治の終わり頃まで、とにかく、対馬の北端には歌垣が現実にのこっていた。
巡拝者たちのとまる家のまえの庭に火をたいて巡拝者と村の青年たちが、夜のふけるのを忘れて歌いあい、また踊りあったのである。
そのときには、嫁や娘の区別はなかった。ただ男と女の区別があった。歌はただ歌うだけでなく、身ぶり手ぶりがともない、相手との掛けあいもあった。」
宮本常一『忘れられた日本人』
■歌垣風呂
http://www.facebook.com/utagakiburo