田辺郷を歩く。
現代魔女の汐月さんと京都・御土居を歩きます。ぼくは道先案内人。汐月さんはプログラム・ディレクターとして(彼女の「作品」を上演します!)。御土居は20キロ以上あります。全4回。その第1回目です。
辺境であり、観光であり、悪所であり、巡礼。ぜひともご参加ください!m(_ _)m
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2016年より好評を博している「魔女と死生観光家の京都探訪」シリーズ、第3弾企画です!
https://www.facebook.com/events/189885434854968/
3回目となる今回からは、「ブラタモリ」などで広く知られるようになった、京都の【御土居(おどい)】を歩きます。
また、副題を「魔女と死生観光家の創造観光」とし、陸奥賢の水先案内に合わせて、プログラム・ディレクターの汐月陽子によるまち歩き文学作品の上演をおこないます。
豊臣秀吉によって作られ、京都の「洛中」と「洛外」を視覚的にも分断した巨大な土塁【御土居】。今回は御土居の北東〜北部側、出町柳から千本北大路までを歩きます。
「死生観光家」陸奥賢のナビゲーションに、「三都の魔女」こと汐月陽子の作品が添えられ、近代によって隠蔽されてしまった【辺境】や【アジール】が浮かび上がるのをご覧いただけることでしょう。
創造と想像を刺激する、これまでにない観光の体験を、あなたに。終了時間は18時頃を予定しています。
※終了後は懇親会を行います。参加は任意、参加費は別途となります。
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■集合日時:2017年6月10日(土)10:00
■集合場所:叡山電車「出町柳」駅 改札前
■定員:20名
■参加費+作品鑑賞代:3,000円
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【主催紹介】
□ナビゲーター:陸奥賢(むつ・さとし)
観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者。
1978年大阪生まれ。2008年10月から2013年1月まで大阪あそ歩(観光庁長官表彰受賞)プロデューサーとして活動。現在は大阪七墓巡り復活プロジェクト、まわしよみ新聞、直観讀みブックマーカー、当事者研究スゴロクなどを主宰。著書に『まわしよみ新聞のすゝめ』。
□プログラム・ディレクター兼参加アーティスト:汐月陽子(しおつき・ようこ)
人呼んで「三都の魔女」。東京生まれ東京育ちながら、学生時代より大阪の貧困地域におけるフィールドワークなどに積極的に参加、当事者性と表現に関わる活動に従事。京都移住を経て現在は大阪市民。33歳独身。
見たことあらへん電話番号の着信。怪しいと思ってググったら出てきました。
売れないドサ回り芸人みたいな観光家に不動産投資する金なんかあるわけないww
もうちょっと金もってそうな人んとこに営業しなはれ。
阪神百貨店裏にあった伝説のサパー喫茶「スキャンダル」のフライヤー。玉井敬友のコメントに仰け反るww
ぽるの講談に暗黒舞踏に大駱駝艦に極私的エロスにミニ・ペニレーン…やるなら、これぐらい、やってほしいですな。いまの「コミュニティ喫茶」とか「場づくり」なんて、児戯に等しい。
劇札!相変わらず爆笑ww
劇札のシチュエーションこそは被投。「なんでそんなことに?!」の連続で、頭を抱えますが、そこからなんとかして物語を着地させようと(=物語を終わらせる=死に向かって)先駆的覚悟が産まれ、能動的に、主体的に言葉が紡がれていく。投企が始まる。
深い。
劇札!
「父親の携帯をみる あけみ」
「姪っ子にギャン泣きされる」
「ランドセルをしょったまま家出」
「ホンコンで完全なる迷子になる」
「気がついたら病院(テキーラ飲み過ぎ)」
昨日の曾根崎心中まち歩き。もう何度やったかわかりませんが、何度やっても面白い。
お初が観音巡りをしたように、ぼくもお初の痕跡を探して巡る。こういう男が曾根崎心中の時代にはようさんいたに違いない。
お初巡りは観音巡りになる。お初はいつのまにか観音さまになっている。この近松の物語がわからんと曾根崎心中もわからん。
※画像はガイド中の陸奥賢w 撮影は前田さんm(_ _)m
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journeyは日々の新しい記憶で「旅」。journeyはjournalismの語源でもあります。sightseeingは「まなざし」の話で、これは「観光」。tourismは「轆轤」の意味で、「回転」の意味で、これは「巡礼」。ぼくは「観光の哲学」よりも「巡礼の哲学」の方が気になっている。
tourismは「巡り」。巡りは同じところを巡る。何度も巡る。お遍路がイメージしやすいですな。どこからスタートしてもいいし、ゴールはあるようでない。お遍路はリピーターも多いです。中には10回目、20回目の巡りという人もいる。これはなにか?つまり「巡り」をすることで「初めて巡った時の自分」と「10回巡った時の自分」が出逢う。そういう意識が産まれてくる。
何度も巡るうちに、そういう「初めて巡ったら時の自分」と「10回巡ったら時の自分」との出逢いなんてことが起こる。これは拡大すると、過去の、巡りの先人たちにも想いを馳せる。この道はいつか誰かが先に巡った道。そしていつかまた誰かが後に巡るであろう道。巡礼は「時間軸」が大事ということ。
「巡礼」は何度も同じところを巡るうちに「過去」(かつての自分、先人、死者、他者)と出会い、そしてまた「未来」(これからの自分、後人、未来者、他者)と出会う。過去と未来の結節点としての現在を認識する。自分はどこから来て、いまどこにいて、これからどこに行くのか?それを教えてくれる。
巡りは、そういう意味で、内的、内省的にならざるを得ない。宗教性とリンクしやすい。実際に宗教ツーリズムは、大抵「巡る設定」「巡るシステム」になっている。八十八ヶ所霊場、三十三ヶ所観音巡り、十三仏巡り、七墓巡り、六地蔵巡りなどなど。循環構造。輪廻。巡礼(tourism)の面白さ。
ジル・ドゥルーズの『差異と反復』みたいなもんですな。「巡り」という「反復」によって、「差異」を発見する。この「差異」によって真に根源的なものや真に創造的なものが産まれてくる。ニーチェなら「永劫回帰」というかも知れないw