【The Mainichi】毎日新聞さんの英語版「The Mainichi」で「歌垣風呂@東近江市・延命湯」記事が掲載されました!ww ぼくのコメントも登場してます。
Satoshi Mutsu, who organized it, explained that, “I created the event because I want men and women to value their senses, such as feelings they get from each other’s voices, and not make judgments based on annual salary or appearance.” (「男女が互いの声から感情を尊重し、年収や外見に基づいて判断しないようにしたいから、私はこのイベントを作った」とムツサトシ氏は語った。)
確かに歌垣風呂はジャポニズムでオリエンタリズムですからな。ウケるのもわからんでもないですが…そのうち「Utagaki Furo」が国際語になったりして。ならんかww
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◼︎The Mainichi 「Spouse seekers in Shiga reach out through bathhouse poetry serenading」
http://mainichi.jp/english/articles/20170319/p2a/00m/0na/001000c
YOKAICHI, Shiga — Singing in the bath is a fairly common thing to do. Singing poetry out loud in a public bath — to members of the opposite sex sitting on the other side of a wall — is perhaps not quite so common.
Nevertheless, this is what happened at the Enmeiyu public bathhouse here on March 12, when groups of men and women sang poems to each other as part of a spouse seeking party called “Utagaki Furo.”
With seven men and five women taking part in total, the event in the city of Yokaichi consisted of participants being asked to compose a tanka poem on a range of different subjects, after which they would go on to read their composition from behind the bathhouse wall.
On the subject of infidelity, one of the men read, “Hikone castle, my girlfriend hugging the cat (mascot), jealously boiled up inside me.” After which, one of the female participants replied by reading, “Chocolate, cheese is good too, but I really like strawberry shortcake.” Admittedly, these poems are not quite Pulitzer Prize-winning standard, but they helped create a unique sense of fun — even if there was a very thick wall separating the men and the women.
The tradition of “Utagaki” stems back to ancient times. Men and women would gather by mountains or by the coast, and celebrate a rich harvest by eating, drinking, singing and dancing. Occasionally, the event would result in marriage proposals. Utagaki was also enjoyed during the Nara period in the eighth century, and there are references to the event in the ancient poetry collection, the “Manyoshu.”
In the case of the Utagaki event that took place here in present day, Satoshi Mutsu, who organized it, explained that, “I created the event because I want men and women to value their senses, such as feelings they get from each other’s voices, and not make judgments based on annual salary or appearance.”
廣田弘毅首相の墓。福岡出身の首相は廣田弘毅と麻生太郎の2人。
廣田弘毅は軍人ではなくてA級戦犯で絞首刑になった唯一の文官。優柔不断な首相で軍部の独走を止められなかったとも言われるし、自らが罪をかぶって昭和天皇を守ったともいわれる。その昭和天皇からはあまり信用されてなかったそうですが…。
毀誉褒貶激しい。時代に翻弄されたんでしょうな。南無阿弥陀仏。
「当事者研究スゴロクってなんですか?」「当事者研究スゴロクもやってみたいんですが、どうやればいいんですか??」といった質問が立て続けに来まして・・・ちょっと、まとめてみました。
まわしよみ新聞や直観讀みブックマーカーとは、また一味違うコモンズ・デザイン。機会があれば、ぜひやってみてくださいm(_ _)m
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■当事者研究スゴロクについて
2017/3/20 陸奥 賢 記
http://wp.me/pxlkK-27j
【当事者研究について】
当事者研究スゴロクの「当事者研究」とは、北海道浦河町にある「べてるの家」と「浦河赤十字病院精神科」ではじまったアセスメントとリハビリテーションのプログラムである。精神障害当事者の幻聴や幻覚は「治さないといけない病気」ではなくて「その人なりの自助」であると捉えるところに特徴がある。そして、それらを開示し、仲間や関係者と一緒に考えて、さらに「その人なりの生きやすい自助」のパターンを見つけようとする研究のことを指す。
もう少し具体的な研究の一例を挙げれば、べてるの家では精神障害当事者の若者Aが来て、幻聴に苦しんでいるとすると、その幻聴を「幻聴さん」と擬人化して客人のように扱う。そして幻聴が聞こえたとなると、その場にいる精神障害の当事者全員で、その場には見えない幻聴さんに向かって話かけていく。
若者A「最近、また幻聴さんがひどいんです」
当事者B「いま幻聴さん、何ていってるの?」
若者A「Kくんを殴れと幻聴さんはいってます」
当事者C「Kくんはなにも悪いことしてないよ」
当事者D「そんなことしたらダメだと幻聴さんにいってあげて」
若者A「幻聴さん、Kくんはなにも悪いことをしてません。だからぼくは殴れません」
このような幻聴さんとのやり取りが全員で続けられていく。そうすると、幻聴自身はなくならないが、いつのまにか幻聴さんの言葉の中身が変わってくるという不思議な現象が起きるという。つまり幻聴さんは来るが若者Aに対して「最近、がんばってるなぁ」「このあいだはよかったぞ」などと優しい幻聴さんになり、結果として若者は暴れなくなる。
これは幻聴という病状がなくなったわけではないので、医学的な「治療」ではない。依然として幻聴は聞こえ続ける。しかし、暴力的、自虐的な幻聴を、みんなで幻聴さんとして迎え入れると、なぜか優しい幻聴さんになってくる。べてるの家の独特の言葉で表現すると、これは「幻聴さんと友達になった」という状況を指す。こういった自分の病気やダメとされる部分…「弱さ」を治そうとするのではなくて、その「弱さ」を受け入れて抱えたまま、みんなで活かしていくことを当事者研究という。
当事者研究スゴロクは、この精神障害の現場で発生した当事者研究という考え方や思想に共感、インスパイアされて作られた人生スゴロクである。
【当事者研究スゴロク】
https://tk-sugoroku.jimdo.com/
※上記、サイトにてダウンロードが可能。
【当事者研究スゴロクの遊び方】
※用意するもの:当事者研究スゴロク、メモ、ペン、コマ、サイコロ
①基本は4名で1グループを作る。2名でも6名でも遊べるが推奨は4名。人数が多いときはチームをわけて実施する。
②自分の人生を振り返り、過去に経験した「失敗・挫折・苦労」のエピソードをメモに書いていく。ひとり何個でも構わない。「トラウマを泣きながら吐露する」といったものではないので、自分が冷静となって、書ける範囲、話せる範囲のエピソードで留めること。※ちなみに、このエピソードには「テーマ」を決めてもいい。例えば「恋愛(にまつわる苦労、失敗、挫折)」「就職」「家族」「上司」「お金」「介護」「DV」「LGBT」など。
③メモをお互いに見せあって、どんな苦労・失敗・挫折であったのか?詳しい内容を話し合う。
④メモ(エピソード)を一文にまとめて、四角い白枠に書きこんでいく。書きこむ白枠は全部で8枠あるので、4人1グループでやっているさいは、参加者ひとりにつき、2枠(2つのエピソード)を書きこむ。
⑤失敗・挫折・苦労のエピソードの「稀少レベル」を全員で6段階で評価する。よくある失敗、挫折、苦労のエピソードなどは「1コマ」となり、すごい衝撃(レアで稀な苦労、失敗、挫折)のエピソードなどは「6コマ」となる。聞いたことのない失敗、とんでもない挫折、想像を絶する苦労であればあるほど、高く評価される。コマ数を決めたら白枠の下にある「○コマすすむ」の中に数字を書きこむ。
⑥ようやく当事者研究スゴロクが完成。いよいよスゴロクで遊ぶ。4人分のコマをスタート地点に並べて、サイコロを振って、スゴロクをスタートする。
⑦最初の1コマから6コマは「自己病名」をつける。スゴロクの右欄にある「みんなの自己病名枠」に書きこむ。この自己病名とは医者がつける「統合失調症」や「双極性障害」といった医学的な病名ではなく、自分が現在、感じている苦労、失敗、挫折を織り込んだ自己流の病名のことである。※例:「問題先送り症候群」「なんちゃって優等生病」「すべてにおいて上の空シンドローム」など。
⑧「幻聴さんがやってきた!」のコマは「もしあなたに幻聴さんがやってきたら、いま、なんていっていますか?」という意味の問いであり、その答えを考えて「ふきだしの枠」の記載する。
⑨「今晩、イクメさんが来るよ」のコマは、あなたの言いたい本音が顔にイタズラ書きされるという幻視(イクメさんの仕業とべてるでは表現する)であり、自分にもイクメさんが来ると想像して、顔にかかれる「言葉」や「絵」をコマに記載する。
⑩「格言コマ」は読み上げる。この格言には当事者研究のエッセンスが込められている。
⑪全員のコマがゴールをすれば、終了。
※最初はなかなか「失敗、苦労、挫折のエピソードを書いて」といっても書きにくい。「初対面なので緊張する」という場合もあるし、「知り合いがいるので書きにくい」という場合もある。そのさいは失敗、苦労、挫折のエピソードを書くメモを匿名で書くとしても良い。そのさいは誰かひとりが進行役となって、メモを集めて、ひとつひとつ発表していく。いろんなエピソードを読みあげて、みんなで感想や意見を言い合う。このさいに「じつはそのエピソードは私です」と名乗り出たい人は、名乗りでてもいいとする。名乗り出た場合は、より詳細なエピソードが聞きだせる。匿名バージョンの当事者研究スゴロクの場合は、本人の自由意思を尊重して「このエピソードは誰ですか?」と詮索するのはやめましょう。
【当事者研究スゴロクの効果・ねらい】
①過去にあった人生スゴロクの大部分が「上昇していく生き方」を目指すが、当事者研究スゴロクは「下降していく生き方」こそが人生の醍醐味であると捉え、衝撃的な失敗、苦労、挫折の持ち主を「人生の偉大なる先達」「下降人生の達人」として褒め称える。
②失敗・挫折・苦労エピソードを話すが、その「稀少レベル」「衝撃レベル」をみんなで評価することで、自分の失敗、挫折、苦労を「大変だと思ってたけど3コマぐらいなんだ…(自分の失敗や苦労や挫折なんてまだまだである)」とか「6コマレベルですごいといわれた!(失敗のエピソードだが、人生の達人と褒められた。嬉しい)」といったように相対化できる。
③当事者研究スゴロクを体験すると、いざ人生の失敗、苦労、挫折が起きた時に「これで、いいスゴロクコマのネタができた…」と考えることもできる。失敗や苦労、挫折の経験を「スゴロクのコマ」というものに「外在化」して切り離すことに成功しているわけで、痛みやショックを和らげることができる。
④やればやるほど「6コマレベル」を目指したくなるので、どんどんとみんなが、より衝撃の失敗・挫折・苦労エピソードを語りだす。「弱さの情報公開」が進むわけだが、「Aくんはそういうところがある」「Bさんてそういう人間なんや」とその周知や理解が生きやすさに繋がっていく。
⑤医療の現場で誕生した、高度で専門的な「当事者研究」であるが、それを全く知らない人間でも気軽に楽しめる、アイスブレイク的なコミュニケーション・ツールである。
⑥大阪は商人のまちだが、商いは「自分はこれはできないが、これはできる」と「弱さの情報公開」をして、腹を割って話をしないと先に進まない。「できるというので、やらせてみたができませんでした。逃げました」といったように「武士は食わねど高楊枝」と自分の実力を大きくいう見栄っぱりな人間は嫌われる。しかし、自分の弱さを情報公開するのはなかなか難しい。そこで「笑い」によって、それを自然に成し遂げる。「大阪人の笑い」というのは基本的に「自分の失敗話」であり、Aくんが「最近、こんな失敗したんや」と話をすると、それをうけてBくんは「お前、アホやなぁ!おれは、このあいだこんなことあったわ」と話す内容は、Aくんよりもさらに酷い失敗話を繰り広げる。そうやって「笑い」でオブラートに包みながら、自分の弱さを徐々に情報公開しながら、相手の弱さの情報公開を聞き出して、「ぼくはこんなダメな人間ですが、よろしければお付き合いください」「いえいえ。ぼくこそ、こんなにダメな人間ですが、よろしくおつきあいください」と弱さを基軸に社交していく。当事者研究スゴロクをやっていると、自然と、こうした「大阪的笑いのコミュニケーション」が獲得できる。
⑦日本では「世間さま、他人さまに迷惑をかけてはいけない」といって育てられるが、インドでは「人間はカンペキな存在ではない。自分は絶対に他人に迷惑をかける。だから他人に迷惑をかけられても文句はいわないで助けてやれ」と育てられるという。人間は弱い生き物で、変でダメな存在だが、それは「お互いさま」であり、だから「許しあおう」「助け合おう」という思想が広まる。「迷惑をかけるな」という社会からは、寛容性がなくなっていき、その結果、どんどんと「生きづらい社会」になっていく。誰もが互いに弱さを認め合える社会こそが、多様な生き方を肯定できる社会につながっていくのではないか?当事者研究スゴロクには、そうした思想が込められている。