三河メディフェス2014でまわしよみ新聞!ですが、なにこのサイバー空間ww
5/10(土)の富田林の「じないまち古書散歩」の「トークイベント‘本と町’のお話」にスタンダードブックストアの中川さんが登壇しはるんですが、ぼくも急遽、中川さんに誘われて参加することになりました!
http://jinaimachi-book.seesaa.net/article/392093246.html
おそらく「直観讀みブックマーカー」をやることになると思います^^; ご興味ある方はぜひともご参加してください~!^^
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■古書散歩トークイベント「スタンダードブックストア代表中川氏に聞く‘本と町’のお話」
http://jinaimachi-book.seesaa.net/article/392093246.html
■日時:5月10日(土)午後5時~6時45分(開場4時30分)
■場所:富田林寺内町・南会所町
「旧万里春(バンリノハル)の酒蔵」
http://goo.gl/maps/snWNy
■ゲスト:スタンダードブックストア代表 中川和彦氏
トークイベントへのご参加は、予約優先となっております。空席がある場合のみ、当日入場を受付けます。≪入場無料≫ **たくさんのお申し込み、ありがとうございます。席数に限りがありますので、参加ご希望の方はお急ぎください!
[ご予約方法]4月5日(土)より、ご予約受付開始
メールにて、予約受け付けをしております。件名を「古書散歩トークイベント」として下記アドレスまで、お名前・ご連絡先・人数をお知らせください。トークイベント予約先→koshosanpo★gmail.com(★を@に変更して送信してください)
受付メールでもお知らせをいたしますがご参加の方に「私の一冊」的な本の持参を呼び掛けております。みなさんにお持ちいただいた本を、一箱古本市でも使用した、りんご箱を本棚に見立てて、並べてゆきます。参加者さん全員で作ってゆく、本棚です。
■「スタンダードブックストア」について
「ベストセラーを置いていない」書店で有名なカフェを併設する本と雑貨のお店。購入前の本をカフェに持ち込める。現在、心斎橋店、茶屋町店、あべの店の3店舗を展開。著者を迎えての トークショーなど、イベント開催も多い。
まわしよみ新聞はコミュニティ・デザインではないんですな。というと誤解をあたえますが、コミュニティ・デザイン的な使い方ももちろんして頂いて結構です。ただ「コミュニティ」というよりも、「他者性」というものをぼくは強く意識して、まわしよみ新聞を設計しました。だからわざわざ聞き慣れないですが「コモンズ・デザイン」と銘打ったりもしてます。
では、コミュニティ・デザインとコモンズ・デザインでは、なにがちがうのか?
みんなで集まって、新聞をまわしよんで、記事を切り取り、対話を積み重ねて、また新しく新聞を作る。ここまではコミュニティ・デザインの範囲といえます。ところが、まわしよみ新聞は、最後に「みんなで作った新聞を掲示しよう」とやったところが新しかったんですな。カフェや商店街や居酒屋でみんなで作った「まわしよみ新聞」を貼っておくと、まだ会ったこともない見知らぬ他者が「なんやこれ?」と足を止めて興味・関心を持つかもしれない。想像もしない「他者との出逢い」が発生するかも知れない。
要するにコミュニティへのアプローチだけではなくて、その外周にいる「他者へのアプローチ」までを意識してデザインされている。ぼくは「コミュニティ+他者」「みんな+だれか」を、まわしよみ新聞で包括しようとしたわけです。
だから、まわしよみ新聞を作ったら、そこで掲示して欲しいし、実施する場所も掲示がOKの場所でやった方が、まわしよみ新聞の持ち味が生きてくるんですな。新聞、メディアというのは「読者」(他者)に届いてこそ、新聞ですから。「他者に読んでほしい!これはおもろい!とまわしよんで欲しい!」という新聞を作るのが、まわしよみ新聞です。
もちろん、みんなで仲良くまわしよみ新聞を作って、おもろい!で完結してもええんですが、「他者」を意識してまわしよみ新聞を作ると、まったく違った世界が開けてきます。
コミュニティは限界があります。世界はむしろ他者性に満ち満ちている。
※コミュニティ・デザインがあかんというてるわけやのうて、とても大事なことやと思ってます。ただ、そこから零れ落ちるものがある。ぼくはそこが気になってしょうがなかった(それはぼく自身がコミュニティに馴染めないアウトサイダーであるからなんですが)。それで現代社会にはコミュニティ・デザインとコモンズ・デザインってのが必要なんちゃうか?と思って、しかしコミュニティ・デザインはみんなやってますから、ぼくはあえてコモンズ・デザインをやろうと孤軍奮闘してるわけです。蟷螂の斧を振り回してますかね…。
※ちなみに「究極の他者」とはなにか?というと、これは「無縁仏さん」になるんやないか?と思ってます。無縁仏さんへのアプローチが「大阪七墓巡り」で。他者性にどうアプローチするか?という立脚点から「まわしよみ新聞」と「大阪七墓巡り復活プロジェクト」が結びつきます。要するに、ぼくのやってることは、あんまり変わらない。「アホのひとつ覚え」みたいなもんですわw
先だっての大坪くん、吉村さんの立命館大学キャンパスでの「青空まわしよみ新聞」(大学のキャンパスで学生が自主的に新聞を読んでディスカッションして新聞作りを楽しむ。じつに高高度に知的です。ありえない光景です)も感動しましたが、九州まわしよみ新聞のみなさんの「居酒屋まわしのみ新聞」も笑いました。
コモンズ・デザイン、オープンソースだから、ひとやまちや場や風土や偶然によって「まわしよみ新聞」はどんどんと変容していく。まさに集団的知性であり、集合知の可能性。今後「まわしよみ新聞」がどうなるのか?どうなっていくのか?発案したぼくにすら、まったくわかりません。わかりませんが、それが、だから、おもしろい。わからないことがおもしろい。
画像は立命館大学の「青空まわしよみ新聞」と「居酒屋おおたけ」(大分県佐伯市)さんでの「居酒屋まわしのみ新聞」をあえて合体w なんやこの光景は?ですなww 素晴らしい。
なんと居酒屋でまわしよみ新聞!!新聞をまわし、酒をまわし、場をまわす!これは大ヒットの予感ww
『まわしのみ新聞』の作り方
①みんなで新聞をまわしよんで記事を切り取る。飲みながら。
②記事を紹介してみんなで楽しく対話する。飲みながら。
③記事を再編集してみんなで和気藹々と新聞を作る。飲みながら。
もう「まわしよみ新聞」ならぬ「まわしのみ新聞」になってもええやないかとw
「まわしよみ新聞」は色んな効果があります。教育とかメディアとか市民活動とかキャリアビジネスとかでも使えますが、本質としては「新聞を使った大喜利」みたいなもんで、要するに「遊び」やとぼくは思っていて。こういう使い方はほんまに大歓迎です。みなさんもぜひとも!「まわしのみまわしよみ新聞」やりましょう!ww
なんと居酒屋でまわしよみ新聞!!新聞をまわし、酒をまわし、場をまわす!これは大ヒットの予感ww
『まわしのみ新聞』の作り方
①みんなで新聞をまわしよんで記事を切り取る。飲みながら。
②記事を紹介してみんなで楽しく対話する。飲みながら。
③記事を再編集してみんなで和気藹々と新聞を作る。飲みながら。
もう「まわしよみ新聞」ならぬ「まわしのみ新聞」になってもええやないかとw
「まわしよみ新聞」は色んな効果があります。教育とかメディアとか市民活動とかキャリアビジネスとかでも使えますが、本質としては「新聞を使った大喜利」みたいなもんで、要するに「遊び」やとぼくは思っていて。こういう使い方はほんまに大歓迎です。みなさんもぜひとも!「まわしのみまわしよみ新聞」やりましょう!ww
先だっての大坪くん、吉村さんの立命館大学キャンパスでの「青空まわしよみ新聞」(大学のキャンパスで学生が自主的に新聞を読んでディスカッションして新聞作りを楽しむ。じつに高高度に知的です。ありえない光景です)も感動しましたが、九州まわしよみ新聞のみなさんの「居酒屋まわしのみ新聞」も笑いました。
コモンズ・デザイン、オープンソースだから、ひとやまちや場や風土や偶然によって「まわしよみ新聞」はどんどんと変容していく。まさに集団的知性であり、集合知の可能性。今後「まわしよみ新聞」がどうなるのか?どうなっていくのか?発案したぼくにすら、まったくわかりません。わかりませんが、それが、だから、おもしろい。わからないことがおもしろい。
画像は立命館大学の「青空まわしよみ新聞」と「居酒屋おおたけ」(大分県佐伯市)さんでの「居酒屋まわしのみ新聞」をあえて合体w なんやこの光景は?ですなww 素晴らしい。
まわしよみ新聞はコミュニティ・デザインではないんですな。というと誤解をあたえますが、コミュニティ・デザイン的な使い方ももちろんして頂いて結構です。ただ「コミュニティ」というよりも、「他者性」というものをぼくは強く意識して、まわしよみ新聞を設計しました。だからわざわざ聞き慣れないですが「コモンズ・デザイン」と銘打ったりもしてます。
では、コミュニティ・デザインとコモンズ・デザインでは、なにがちがうのか?
みんなで集まって、新聞をまわしよんで、記事を切り取り、対話を積み重ねて、また新しく新聞を作る。ここまではコミュニティ・デザインの範囲といえます。ところが、まわしよみ新聞は、最後に「みんなで作った新聞を掲示しよう」とやったところが新しかったんですな。カフェや商店街や居酒屋でみんなで作った「まわしよみ新聞」を貼っておくと、まだ会ったこともない見知らぬ他者が「なんやこれ?」と足を止めて興味・関心を持つかもしれない。想像もしない「他者との出逢い」が発生するかも知れない。
要するにコミュニティへのアプローチだけではなくて、その外周にいる「他者へのアプローチ」までを意識してデザインされている。ぼくは「コミュニティ+他者」「みんな+だれか」を、まわしよみ新聞で包括しようとしたわけです。
だから、まわしよみ新聞を作ったら、そこで掲示して欲しいし、実施する場所も掲示がOKの場所でやった方が、まわしよみ新聞の持ち味が生きてくるんですな。新聞、メディアというのは「読者」(他者)に届いてこそ、新聞ですから。「他者に読んでほしい!これはおもろい!とまわしよんで欲しい!」という新聞を作るのが、まわしよみ新聞です。
もちろん、みんなで仲良くまわしよみ新聞を作って、おもろい!で完結してもええんですが、「他者」を意識してまわしよみ新聞を作ると、まったく違った世界が開けてきます。
コミュニティは限界があります。世界はむしろ他者性に満ち満ちている。
※コミュニティ・デザインがあかんというてるわけやのうて、とても大事なことやと思ってます。ただ、そこから零れ落ちるものがある。ぼくはそこが気になってしょうがなかった(それはぼく自身がコミュニティに馴染めないアウトサイダーであるからなんですが)。それで現代社会にはコミュニティ・デザインとコモンズ・デザインってのが必要なんちゃうか?と思って、しかしコミュニティ・デザインはみんなやってますから、ぼくはあえてコモンズ・デザインをやろうと孤軍奮闘してるわけです。蟷螂の斧を振り回してますかね…。
※ちなみに「究極の他者」とはなにか?というと、これは「無縁仏さん」になるんやないか?と思ってます。無縁仏さんへのアプローチが「大阪七墓巡り」で。他者性にどうアプローチするか?という立脚点から「まわしよみ新聞」と「大阪七墓巡り復活プロジェクト」が結びつきます。要するに、ぼくのやってることは、あんまり変わらない。「アホのひとつ覚え」みたいなもんですわw