西日本新聞社の安武さんが編集長&ファシリテーションで宗像市の某中学校で「まわしよみ新聞出前講座」が実施されました!高校や小学校での実施はあったのですが、じつは中学校での「まわしよみ新聞」の実施は初めてでした。テンションあがっていたそうです(笑)
「西日本新聞社 地域づくり事業部 ニュースカフェ事務局」(電話番号092-711-5506 担当:安武・吉田)では現在、無料で「まわしよみ新聞出前講座」を実施しております。ご興味ある方はぜひともお問い合わせください!^^
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【まわしよみ新聞 出前講座】
今日は、宗像市の中学校でまわしよみ新聞 出前講座をしてきました!まわしよみ新聞考案者の陸奥さんに問い合わせたところ、中学校の授業での実施は全国初だとか!!生徒さんたちに伝えたら、かなりテンションあがってました♪まわしよみ新聞 出前講座ですが、教育の場や、社員研修に活用したいなど様々な問い合わせを頂いております。うちでも活用してみたい!という方は、NEWSCafe事務局までお問い合わせください!!平日の朝活にも是非!
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【朝活!天神NEWS cafeまわしよみ新聞ワークショップ】
毎朝7:30~8:45@オアシス珈琲天神店での開催中!
※土日祝日を除く
http://asa-fight.jp/detail.html?id=54
【まわしよみ新聞とは】
http://www.mawashiyomishinbun.info/
【出前講座問い合わせ】
西日本新聞社 地域づくり事業部 ニュースカフェ事務局
092-711-5506(担当:安武・吉田)
「第5回まわしよみ新聞編集長養成講座」修了!静岡県の方や大阪市社会福祉協議会の方、さらに今回は大阪海洋博物館「なにわの海の時空館」の元・名誉館長の石浜紅子さんにもご参加いただきました!みなさん、ほんまに、ありがとうございました!ぜひ色んなところで「まわしよみ新聞」を作ってみてください!^^
■まわしよみ新聞
http://www.mawashiyomishinbun.info/
「福岡テンジン大学」さんの主催で警固神社でも「まわしよみ新聞」が実施されます!神社でもやりますか・・・九州の勢い、凄すぎですww ご興味ある方はぜひとも!
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■[天神朝キャンパス] 情報の編集力で伝える力を鍛えよ!
~まわしよみ新聞体験版~
http://tenjin-univ.net/class/8103/
[開催日時]2014年3月19日(水) 7:30~8:30
[教室]警固神社・社務殿
[先生]吉田卓人 (西日本新聞社地域づくり事業部NewsCafe事務局/まわしよみ新聞ファシリテーター)
あなたは情報とどう向き合い、どう使っていますか?
インターネットの普及により昔と比べ情報量が膨大になっている今、
大半の人は知りたい情報だけを検索して満足し終わってしまいます。
会社においても、家庭においても情報の使い方が重要になってきています。
キュレーションという言葉を知っていますか?
情報収集し、分類や繋ぎ合わせて新しい価値を生み出し、
共有することをキュレーションと言います。
つまり、編集力というスキルが重要になっています。
この編集力を鍛えることができる
新しいワークショップがここ福岡で広がっているのです。
新聞を通して話題が多方面に広がる楽しさがあり、
語り合うことで様々な切り口に触れることができるので、
コミュニケーション(伝える力)を鍛えられる「ツール」として注目されています。
その名も「まわしよみ新聞」
まわしよみ新聞とは、平日の毎朝、
天神のとあるカフェで開催されている新聞を使ったワークショップ。
様々な年代の人達や違う価値観の持ち主と出逢い、
新しい視点が発見でき、さらに伝える力も鍛えられるので
出勤前の社会人や学生達が参加しています。
この新しいワークショップの体験に、参加してみませんか?
直観讀みブックマーカーに参加してくれたナランチャさんの御感想。ありがとうございます!^^
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直観読みブックマーカーを初めてやって思ったのは、むつさんような(むつさんはミュージシャンじゃないけど(笑))、知的なのに軽やかでユーモアのある音楽をできるようになりたいということでした。
久しぶりに衝撃だった直観讀みブックマーカー。ぼくの悩みに対してのナランチャさんからのアドバイス。
「初代野球盤」
「ゲームのデザイン」という本から。ふ、深すぎるww 悩みがなくなるどころか、あまりにも謎すぎて「これは一体どういう意味なのか・・・?」と余計、悩みが増えましたww
■直観讀みブックマーカー
http://tyokkannyomibookmarker.info/
直観讀みブックマーカーに参加してくれた安江さんの御感想。安江さん、ありがとうございます~!^^
人類の文明の中で最も優れた発展形態の文明が遊牧文明。放牧は土地ありきの発想。牧草地があって、そこに馬や羊や山羊などを飼います。遊牧は違います。馬や羊を主体にして、彼らに合わせて人間が生活する。モンゴルなどでは馬が草を求めて、どこにいくかわからない。それに併せて移動していく。人間が馬の集団を引き連れるのではなく、馬の集団の中に人間が紛れ込んで、それで生活していく。馬と一緒に移動する生活だから、土地の所有という概念がありません。移動式住居(ゲル。中国式ではパオ)であるし、自然を汚すということがない。馬にまかせて草原にやってきて、馬にまかせて草原から去っていく。彼らが立ち去ったあとは、どこにも人がいたような痕跡がないそうで、そうやって中央アジア、ユーラシアを逍遙し続けた。
農耕文明も牧畜文明も科学文明も、基本、自然環境を人為的に破壊します。唯一、破壊しない文明が遊牧文明で。遊牧文明こそは、最も自然と寄り添う、人類の叡智に満ちた究極のエコロジカル文明といえます。その発祥は中央アジア高原のスキタイ民族(紀元前5世紀頃。歴史家ヘロドトスが「馬と一緒に生活している人間たちがいる」と驚きの眼で遊牧民族たちを記述している)とモンゴル高原の匈奴(こちらは前漢の歴史家・司馬遷が記録している)なんですが、その2つの遊牧民族のうち、スキタイ民族の本拠地こそが黒海北部・・・つまり現在のウクライナ。
ウクライナは人類史上最高の遊牧文明を産みながら、しかし長きに渡る権力闘争や民族紛争の結果、旧ソ連領土となり、共産主義、国家科学主義の果てに20世紀後半にはチェルノブイリ原発事故を引き起こし、まさに悲劇の地となりました。人類とはなにか?その素晴らしさと愚かさが並立している国家といえます。そこがいま旧ソ連を引き継ぐロシアの介入によって、戦火となろうとしている。もうちょっと、なんとか、ならんもんやろか?ウクライナは遊牧文明を産んだ人類以上でも輝かしい栄光の民のはず・・・遊牧に、中央アジアに、スキタイ民族に憧れる、極東の列島の民は呟く。
「まわしよみ新聞も直観讀みブックマーカーも、オープンソース&オープンフリーがモットーで、いつでも、どこでも、だれでもできるコモンズ・デザインです」とかいうてたら「コモンズってなんですか?」と聞かれたので説明のために書いた紙w
いまの世の中は「コミュニティ・デザイン全盛期」ですが、「コミュニティ」というのは「国家」とか「民族」とか「都市」とか「村」とか「会社」とか、ある種のルールやシステムで動く所属集団を指します。ルールやシステムから外れるようなことをしたら「村八分」にされたりする社会でもあります。コミュニティ(ルールやシステム)があることで人間は生きていけますが、しかし、その弊害として閉鎖的なんですな。またコミュニティはコミュニティと喧嘩したりする。A村とB村があって隣接していると、そこの境界ってのは、大体、イザコザがおきます。「この土地はA村のもんだ!」「いや、B村のもんだ!」という争いが必ず起きる。近代戦争ってのもコミュニティとコミュニティのいがみ合いであるわけです。コミュニティがあるがゆえに、こうした悲劇が起きる。
そこで昔の人は知恵をつけて、どっちにも所属しない「入会地」「入会山」というのを作ることにしたんですな。これが「コモンズ」です。この入会地、入会山は誰でも入れる。A村の人、B村の人はもちろん。どこの村にも所属しない旅商人や旅芸人といった外部の人なんかも自由に行き来できる。そこでタケノコがとれるとあれば基本的には、だれでもとっていいということになってます。但し、全部とってはいけない。シェアを大前提とする。全体で100個のタケノコあれば、A村は20個ぐらい。B村も20個ぐらい。旅商人、旅芸人も20個ぐらい。それぐらいで残しておく。全部所有しない。なぜならば入会地、入会山、コモンズだから。これをA村が100個とったとか、B村が100個とったとかしてしまうと=コミュニティ化すると結局、喧嘩、戦争になる・・・というわけです。
ぼく自身が「コミュニティ難民」(村八分にされた人間、村を追われた人間は、結局、コモンズ=入会地を渡り歩きながら、生きていくことになります)であることも理由のひとつですが、色んな意味でコミュニティにぼくは限界を感じているんですな。いま必要なのは閉じたコミュニティの活性ではなくて、開かれたコモンズの復活であろうと。コモンズに内在される「いつでも、どこでも、だれでもいい」というシェアやオープンフリーの知恵だろうと。なんでもかんでも線引きし、だれそれの所有と定めて権利を主張することを是としたのが近代です。おかげで世の中にコモンズがなくなってしまった。じつに窮屈で、ギスギスした世の中になってしまっている。ゆとりや遊びがない。それをなんとかしたい。それでコモンズを作ろうという意味で「コモンズ・デザイン」をやっていると。「まわしよみ新聞」や「直観讀みブックマーカー」はそういうぼくの思想を具現化したメディア遊び。燈籠の斧ですが、ぼくなりの革命です。
福岡県古賀市の「古賀すたいる」さんが西日本新聞社さんと連携して「まわしよみ新聞」を実施します!ご興味ある方はぜひともご参加してください!^^
■古賀すたいる
入門!西日本新聞の記者さんに学ぶ「世界が広がる!まわしよみ新聞」
http://koga-style.com/post-905/
日時:2014年3月28日(金) 13時~15時
場所:ギャラリーカフェ美葉(古賀市花見東7-14-1)
JR千鳥駅から7分。足に自信がある人は5分。
参加費:参加費無料ですが、1ドリンクはお願いします。
近松門左衛門の最高傑作『心中天の網島』。紙治の兄・粉屋孫右衛門が変装して武士にばけて小春を詮議し、弟の紙治を説教するのも紙治一家のため。紙治の恋敵の太兵衛も単に小春が好きなだけ。おさんの父・五左衛門が娘のおさんを実家に引き取るのも娘のため。おさんが夫・紙治と手を切ってくれと小春に手紙を送るのは子供たちのため。小春は「切るに切られぬお人なれど」といいながらも小春のために、「女の義理」で紙治と縁を切ろうとする。要するに誰も悪い人間などいない。あえていえば、女房もちの紙治が遊郭に通って小春と馴染みになったことが悪いが、当時は遊郭通いは商人のステータス。遊郭に通うことは当然の時代で、ただ、紙治は小春に本気で惚れてしまった。これは遊郭のルール違反だが、「本気で惚れてしまったこと」が悪いとすれば、これはもはや「人間として生まれてきたことが悪い」というのに等しい。惚れるということは、熱病のようなもので、もはや本人にもどうしようもないことであるから。不可抗力ではないか。
誰も彼もが精一杯、自分のできることをしようとし、動き回り、誰もまちがっていないのに、結局、破綻して、心中というカタストロフィを迎える。またこれは厳密にいえば心中ではない。紙治と小春は道行のすがら髪を切って出家する。さらに死に場所を変え、死に方まで変えた。小春は心中しようという紙治を拒否して、最期までおさんへの「女の義理」を突き通す。心中しようにも、じつは心中できなかった。男女の同時自殺(ダブルス―サイド)に過ぎない。しかしそれを近松は「心中天の網島」と書く。一体、誰と誰の心中なのか?これは要するに遊女・小春と妻・おさんの心中を指す。心中というのは死ぬことではなくて、心の中に誓いを立てて、それを全うすること(心中立て)をいう。おさんと小春は手紙のやり取りで確かに心中立てを行った。つまり「女の義理」の結果、小春は死んだ。勝手に紙治は、その小春に着いていったに過ぎない。紙治の悲哀はここに由来する。どうしても憎めない。
恐ろしいのは近松。心中の悲劇やら喜劇やらファルスやらを超えて、ついに人間の業を書ききった。その舞台が北の新地。いまも現役で男と女のまちであり続けている。しかしこのまちのほとんどの人が、近松や「心中天の網島」を知らない。それでいながら現代版の紙治と小春を再生産し続けている。大阪のこういう飄々としたところが、これまた恐ろしい。