■1/17(金)19時より「大学堂薬房」(東大阪市小若江1-6-2。近畿大学近く)で「まわしよみ新聞ワークショップ」を実施します!
http://www.facebook.com/events/195342727321929/
釜ヶ崎の名物酔いどれオヤジのキタさんからのご依頼で「大学堂薬房」さんで「まわしよみ新聞ワークショップ」を実施することになりました!ぜひともご参加してください!お客さんが来ないとキタさんが凹みます!w
■集合日時:2014年1月17日(金)19時~
■集合場所:大学堂薬房(東大阪市小若江1-6-2)
http://goo.gl/maps/tPtZV
※近鉄大阪駅「長瀬駅」から徒歩約3分
■参加費:500円(ドリンクつき!)+まわしよみたい新聞
※五大新聞でも地方新聞でも業界新聞でもスポーツ新聞でもOKです!
■定員:10名
■編集長(ファシリテーター):むつさとし(まわしよみ新聞オーナー)
いつもお世話になっております、の大蓮寺、應典院の秋田住職が本を書きはりました。『今日は泣いて、明日は笑いなさい』。
秋田住職と会っていなければ、ぼくは「まわしよみ新聞」も「葬食」も「直観讀みブックマーカー」も「大阪モダン寺巡礼」も、おそらく、やっていません。そういう意味でいえば、大蓮寺、應典院との出逢いは、まさしく、ぼくの人生を変える出来事でした。
新著はそんな大蓮寺、應典院にまつわる46の物語が綴られているとか。じつはぼくの「葬食」プロジェクトについても少しだけ書かれています。ご興味ある方はぜひとも。もちろんぼくは買いますw
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(以下は秋田住職のFB記事より)
開かれたお寺とか、お寺の公共性とか、そんなことをよく講演でしゃべっていながら、じつは小さな違和感も抱えている。場所を開くとか、市民参加が担保されるとか、お寺はNPOとは違うので、それ自体が目的ではない。開くとは閉じない、排除しないということ。公共性とはそこに営利や競争原理を持ち込まないこと。その上で、お寺という場所だけにうまれる固有の物語に、私は深い関心と共感を抱いてきた。
今日発売になった新著「今日は泣いて、明日は笑いなさい」(メディアファクトリー)は、そういう「新・お寺物語」を書き綴ったものだ。「新」とつけたのは、大蓮寺、應典院という寺の特異性に依る。ちょっとよそのお寺にはあり得ないような話もあるが、でもお寺だから起きる話がある。共通しているのは、「かなしみ」というセンチメントだ。
こういう前書き。
…この本にはふたつのお寺で私が寄り添ってきた人々の、あるいは立ち会ってきたいろいろな出来事を綴っています。心から共感したり、うーんと唸ったり、しみじみと切なかったり、お寺を巡るそんな心の情景を一つひとつ拾い上げました。大乗仏教では、他者の苦しみを救いたいと願う「悲」の心を「大悲」といってたいせつにしています。大悲。好きな言葉です。悲しむだけ悲しめばいい。よく悲しむことによって、慈悲の心は深まっていくからです。その行方に、ほんとうのよろこびがある。そう信じたいと思います…
4頁読み切りで46のストーリー。グリーフのこと、お葬式やお墓、終活、生きることと死ぬこと…すべて私の体験であり、お寺で出会った人たちの声もたくさん詰まっている。俗界のまっただ中で呼吸している「まち寺」の矜持を書いたつもりだ。どれだけの人の手にふれるか、わからない。「○分間法話」みたいな本は書けないし、これを仏教書というには軽すぎる。出版社は50代女性がターゲットというが、もっと若い人にも読んでほしい。むむ。かけた時間に比して、本の寿命はあまりに短い。
ぜひ本屋さんで手にとってみてください。面白かったら、ツイッターやFBで紹介してくださるとうれしいです。
■今日は泣いて、明日は笑いなさい
http://mediafactory.jp/Form/Product/ProductDetail.aspx?shop=0&pid=9784040661803
「神戸デザインの日」で実施された神戸デザイン・ツーリズムによる「見立て遊びツアー」。参加者と一緒に魅力的な神戸下町の隠れ空間を見立て遊びしましたが、その見立て遊びの看板がついに出来上がりました!そこで看板を設置すると同時に1/12(日)10時より「ドキッ!愛と感動の見立て遊び看板設置ツアー2014~神戸・新開地死闘編~」を実施します!
http://www.facebook.com/events/1377447535840870/
まちの隠れ空間を見立て遊び看板によって可視化しながら、ツアーで巡って神戸下町を楽しみます!ついでに下町の美味グルメもこれでもか!と食べまくり。この面白さ美味しさはまさにホンマモン。決して「看板倒れ」やないでっせ!(オヤジギャグ)ぜひともご参加を~!
※ちなみに前日の1/11(土)にも「ドキッ!愛と感動の見立て遊び看板設置ツアー2014~神戸・和田岬激闘編~」を実施してます!こちらもよろしゅうたのんます!m(_ _)m
http://www.facebook.com/events/550068341753413/
■集合日時:1/12(日)10時~
■集合場所:神戸高速鉄道新開地駅西口改札前
■参加費:2000円
■定員:20名
■主催:神戸デザイン・ツーリズム実行委員会
「神戸デザインの日」で実施された神戸デザイン・ツーリズムによる「見立て遊びツアー」。参加者と一緒に魅力的な神戸下町の隠れ空間を見立て遊びしましたが、その見立て遊びの看板がついに出来上がりました!そこで看板を設置すると同時に1/11(土)10時より「ドキッ!愛と感動の見立て遊び看板設置ツアー2014~神戸・和田岬激闘編~」を実施します!
http://www.facebook.com/events/550068341753413/
まちの隠れ空間を見立て遊び看板によって可視化しながら、ツアーで巡って神戸下町を楽しみます!ついでに下町の美味グルメもこれでもか!と食べまくり。この面白さ美味しさはまさにホンマモン。決して「看板倒れ」やないでっせ!(オヤジギャグ)ぜひともご参加を~!
※ちなみに翌日の1/12(日)にも「ドキッ!愛と感動の見立て遊び看板設置ツアー2014~神戸・新開地死闘編~」も実施します!こちらもよろしゅうたのんます!
http://www.facebook.com/events/1377447535840870/
■集合日時:1/11(土)10時
■集合場所:神戸市営地下鉄和田岬駅改札前集合
■参加費:2000円
■定員:11名(下町グルメ店の予約の関係で11名限定です!)
■主催:神戸デザイン・ツーリズム実行委員会
昨日実施した大阪モダン寺巡礼。今回は應典院さん、稱念寺さん、源聖寺さん、心光寺さん、良運院さんと、5つのお寺さんを巡りました。すべて浄土宗の寺院で、下寺町にあります。
とくに素晴らしかったのが、稱念寺の葭間弘淳住職のお言葉。「その時代その時代の最先端の建築技術で建てられたのが仏教寺院ですから。現在の寺院も、現在の最先端の技術で建てた方がいいと思って、それで鉄筋コンクリート建築です」というもの。
仏教は社会や時代の流れにあわせて生生流転していく。建築様式だって当然、変容していく。それが「生きている宗教」ということに他ならない・・・ということなんでしょう。とても頷かされるものがあり、感動しました。
木造だけが寺ではありません。モダン寺は生きている寺です。それがよくわかった巡礼でした。次回は1月13日に應典院コモンズフェスタ2014企画として実施します。よろしければぜひともご参加してみてくださいm(_ _)m
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■1/13(月祝)10時から應典院コモンズフェスタ2014企画「大阪モダン寺巡礼ツアー~上町台地編~」
http://www.facebook.com/events/582193338521080/
非木造の仏教寺院建築をどれだけ知っているだろうか。上町台地、寺町界隈のモダン寺(コンクリート寺、ビル寺、マンション寺、イエ寺など)を巡るツアーに参加して「お寺」の既成概念を変えていく。
○日 時 1/13(月・祝)10:00~12:00
○会 場 研修室B、天王寺区界隈
○参加費 500円
○主 催 むつさとし(大阪モダン寺巡礼講元)
○申込み http://bit.ly/c_modantera
■大阪モダン寺巡礼facebookページ
http://www.facebook.com/osakamodandera
昨日は、神戸ビエンナーレをさらに盛り上げるために「100人のアーティスト」が集まる会でした。会への出席者、会の趣旨への賛同者を集めると、その数は111人。神戸を愛する、アートを愛するひとが、ほんまに100人以上も集まりました。まず、このこと自体が驚異的なことですし、すごいことではないか?と思っております。
現場では、ほんまに、いろんな意見が出ました。神戸ビエンナーレをいっぺん休んでみだら?やめてみたら?といったようなシビアで過激なご意見もあれば、もっとエンターテイメント色を強めよう、観光業者と連携して一泊二泊のアートツアーを組んだみたら?もっとホスピタリティ向上に努めよう、神戸市内のギャラリーや劇場などでも何かできないだろうか?といったような建設的な意見まで。参加者もバラエティに富んでいて、神戸の現代アートの大御所の方々から(緊張しましたw)新進気鋭の若手アーティスト、学者、研究者、批評家、メディア関係者、神戸ビエンナーレのディレクター、市民ボランティア、学生さん、近くは大阪や奈良の方、遠くは九州・福岡県の芸術文化財団関係者などもいらっしゃいました。
今回の集まりは、神戸ビエンナーレに対してアンチを叫ぶ反対決起集会ではないですし、しかし、両手を上げて賛成万歳するような集会でもありません。神戸ビエンナーレ、神戸のアートシーンを、さらに盛り上げるためには一体どうすればいいのか?そのために「まず、みんなで集まって、神戸ビエンナーレ、神戸のアートシーンについて、思うところを可視化して、対話をしませんか?」という会でした。この会の趣旨を、皆様にはちゃんと解っていただいてのご意見であり、ご参加だったと思います。ご出席いただいた皆様、そして残念ながらご出席は適いませんでしたがウェブやメールなどで熱いご意見やアンケートをいただいた皆様には、本当に深く感謝しております。ありがとうございました。
さて、今回の皆様の意見を集計して整理して、それを可視化できるようにすると同時に、神戸ビエンナーレ事務局とも会の参加者・賛同者の思いを伝えて、対話を始めたいと思っております。どういう結果になるか?は不明で未知数な部分もありますが、逐一、フェイスブックやウェブ、メールなどでご報告をさせていただきますので。今後とも何卒、宜しくお願いいたします。
世の中、ゾンビブーム。なんやこの意味不明なブームは?と思ってますが、これも自分が生きているかどうかよくわからない時代の象徴かと。まるでゾンビのようになっている自分自身の投影であり、生存の不安感から発生しているんやないか?と。要するにゾンビに襲われたり、または自分がゾンビになりきることで、自分はゾンビ(生ける屍)ではなくて、人間であり、ちゃんと生きていることを確認しようとする。
死(死者)と戯れることで、生を確認し、生者であることを確認しようとする。じつは非常に重要な民俗的行為で、そういう風習や宗教は世界中どこにでもあります(大阪七墓巡りもそのうちのひとつでしょう)。そういう意味ではゾンビになるというのもアリなのかも知れませんが、ぼくが非常に気になっているのが、日本は西欧と違って大部分の人が火葬(地域によっては土葬もありますが)でゾンビなんか生まれる環境にないということ。ゾンビという死者の発想は、土葬の風習の民族にしか本来はありません。
なのにゾンビという発想がここまで日本人に浸透しているのは、ゲームやアニメの影響もあるんでしょうが、そもそも死者に対する概念が、非常に薄くなったことが背景にあるんでしょう。核家族化して、死亡率も下がって、現実に死者と出逢うことが非常に少なくなった。死者が火葬されて骨になって・・・という葬式の現実を見ることもない。死者に対する概念が希薄で、どうもリアリティがない。だからゾンビというような死者の在り様を、なんとなく許容できる。あっさりと許容してしまう。
自分が生きているかどうかを確認しようとして死や死者と戯れようとする風習は世界中にあると先ほどいいましたが、この死者というものの概念が、地に足がついていないとなると、これは一体どういうことになるのか?こういう「リアリティのない死者」(変な言葉ですがw)と戯れたって、ぼくはまったく「生者のリアリティ」を確認、証明するなんてことはできないだろうと思うんですな。死者も生者も、どうも、薄らぼんやりとしてしまう。これは非常に恐ろしいことではないか?と。
また「ゾンビを撃ち殺す」というゲームが流行っていることもぼくはどうなんだろうか?という気がしてまして。怨霊や恨み辛みを残してなくなった死者や敗北者に対して浄化や聖化しようとするコンパッションの宗教的精神はわかりますが、それを「撃ち殺す」というのは、ちょっとスゴイ発想やなと。「死者に鞭打つ」どころか「死者を撃ち殺す」。「薄っぺらい死者」(ゾンビ)を、さらに無慈悲に撃ち殺すことで、「二重の死」によって、ようやく死者を確認する。こうして考えると日本のゾンビブームというのは、かなり歪んだ死生観の現れといえそうです。これもまた、人間存在を数値化(資本化)して、それのみでしか存在価値を認めず、「あなたなんて単なる資本主義社会の歯車で、いくらでも代替可能なんだ」という近代文明の病理が生んだ生存不安現象・・・とかいうと大袈裟かも知れませんがw
火葬の風習を持つ民族は、土葬の風習を持つ民族と違って、本来、死者を日常的に、身近に感じます。どちらかというと、人間存在の本質を「肉体」(魄)ではなくて、「精神」(魂)に重きを置くからです。「肉体は消えてなくなっても、姿形は見えなくても、ずっと、あなたのそばに死者(の魂)はいるよ。見守ってくれるんだよ」というのが日本人の素晴らしい死生観ではなかったか。
死者を常に心のそばに置いておくことです。それが自分が生きていることの安心感に繋がる。ゾンビではムリやし、もうちょっとゾンビとはなにか?について考えた方が良い。死が見えない時代。生がわからなくなる時代。だから、もっと死者について、ちゃんと考えないといけない。
秘密保護法。もし12月8日(真珠湾攻撃、太平洋戦争開始)に採決されたら、まさに「歴史の皮肉」というやつなんですが…。
以上はブラックジョーク。いつだって「笑い」は忘れたくないものです。大阪人の矜恃として。わっはっはっは。
神戸を愛する人、アートを愛する人すべてに。
■『神戸ビエンナーレをさらに盛り上げるために「100人のアーティスト」が集まる会』呼びかけ文
神戸ビエンナーレは2007年から今年で第4回目を数えましたが、ここ数年のうちに、日本全国各地の都市で芸術祭、アート・フェスティバル、ビエンナーレ、トリエンナーレなどが数多く実施されるようになっています。こうしたアートの祭典が増えることは基本的には喜ばしいことですが、それぞれの都市の特性(歴史、物語、文化、風土、人)を活かした、その都市でしか実現できないアートの祭典が、より強く求められていくだろうと我々は考えています。
また2007年から比べても色々と日本の社会状況は変化し、アートを取り巻く環境なども劇的に変わってきています。新・自由主義やグローバル資本主義が押し寄せて、地方都市経済や地元密着の商店街などを疲弊させ、無縁社会、孤独死、ひきこもり、ネット依存、ヘイト・スピーチといった社会問題は、より深刻化しています。「失われた10年」は、いつのまにか「失われた20年」と呼ばれ、ますます混迷の度合いを深めています。なによりも2011年3月11日の東日本大震災や福島原発事故は、「我々は本当にこのままでいいのだろうか?」という「大いなる問い」を日本社会全体に突き付け、資本最優先の近代文明の在り様を根底から揺さぶりました。いまもその揺さぶりは続いています。
こうした緊張的で末期的な近代文明状況を反映してか、アウトサイダー・アートやアール・ブリュット(生の芸術)、芸術テロといった非常に興味深いアートの動きも急加速しています。これらは他者性を認める、または(より能動的に、攻撃的にでも)認めさせるためのアートの動きといえます。また「神戸ビエンナーレ2013」とほぼ同時期に開催された「あいちトリエンナーレ2013」は「揺れる大地-われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」をテーマに掲げましたが、まさに日本社会が直面している諸問題に真っ向から取り込んだアートの祭典といえるでしょう。こうしたテーマを掲げることは、各界に是々非々の「対話」を生みましたが、しかし、政治や教育ではできない「気づき」や「問い」を与えることが、アートの重要な性質のひとつであると考えますし、こうした「対話」が起こったこと自体が素晴らしいことであると思います。むしろ神戸市民、神戸のアーティストが懸念すべきは、なぜ「あいちトリエンナーレ2013」でこうした「対話」が巻き起こり、「神戸ビエンナーレ2013」ではそれが起こりなかったのか?という部分です。阪神淡路大震災を経た神戸という都市だからでこそのビエンナーレがあっただろうし、こうした「対話」があって然りだったのでは?という思いがあります。
いずれにせよ、アートだけの動きに限らず、政治でも経済でも文化でも教育でも、2011年以降は「総点検する時代」に入ったのだと考えています。震災、原発事故を経て、日本人はいろんなことに気づきました。過去、良かったもの、素晴らしかったものでも、本当にそれでいいのか?現在も通用するものかどうか?を考えないといけない。さらに現在だけが良いのではなく、未来に向けて発信するべきものかどうかを深く考えないといけない。「神戸ビエンナーレ」について、神戸市民が集まり、いろいろと「対話」をしようといった動きを促すのも、こうした「総点検する時代」の動きのひとつです。神戸を愛するすべての市民、アーティストは是非ともご参加下さい。神戸ビエンナーレについて思うところ、忌憚のないご意見を下さい。そして、みんなで「対話」をしましょう。神戸の未来のために。
■12/7(土)14時から神戸ビエンナーレをさらに盛り上げるために「100人のアーティスト」が集まる会
http://www.facebook.com/events/639453319431912/
■神戸ビエンナーレについてご意見をお願いします
https://docs.google.com/forms/d/1mkNZ0–KSgfF0s-Ims-s3wZKZUEb546OzKnzbeCEaUk/viewform
12月7日の~神戸ビエンナーレをさらに盛り上げるために「100人のアーティスト」が集まる会~にて、フォームに書き込んでいただいたご意見を発表させていただく予定です。※時間の関係上全ては発表できませんのでご容赦ください。
大阪市鶴見区の広報紙『こうほうつるみ』(平成25年12月号)で「現場で学ぶ、チカツキョウ広報」で実施された「まわしよみ新聞ワークショップ」の記事が掲載されました!
企画主催してくれた地活協運営委員会さん、ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました~!^^
ちなみに「まわしよみ新聞」は「いつでも、どこでも、だれでもできるコモンズ・デザイン」で、自由にやっていいオープンフリー&オープンソースのワークショップ・メソッドです。参加費をとって有料イベントとして開催していただいてもかまいません(大体、みなさん500円から1000円ぐらいの参加費をとっておられます^^)。ぜひまた色んなところでやってみてください!m(_ _)m
■まわしよみ新聞の作り方
http://www.mawashiyomishinbun.info/manual/
「作り方」と「コツ」はこちらをご参照くださいm(_ _)m
■こうほうつるみ 平成25年12月号
http://www.city.osaka.lg.jp/tsurumi/cmsfiles/contents/0000244/244768/8.pdf