大阪まち歩き大学。本日は神戸に留学。水道筋を歩く。 「戦争と平和」にロシアン・ピロシキ。うむ。深い…。
大阪まち歩き大学。本日は神戸に留学。水道筋を歩く。
「戦争と平和」にロシアン・ピロシキ。うむ。深い…。
大阪まち歩き大学。本日は神戸に留学。水道筋を歩く。
「戦争と平和」にロシアン・ピロシキ。うむ。深い…。
大阪まち歩き大学ですが本日は神戸に留学。神戸文学館。
関西学院大学の発祥地。大学のチャペルがいまは神戸文学館に。落ち着いているし、素晴らしいミュージアムで大好きなんですが(なぜ大阪に文学館ができないのか…)今日は文豪アルケミストの展示になっておりました。
文豪アルケミスト。あんまりよく知らないが、こういうのを入口にして文学を読む若い子たちもいるだろうし、一概に否定はしないが、もうちょいフィクション感を出してほしいなあと。名前を一文字変えるだけで、ぜんぜんアリなんですが…。
要するに文豪が異世界に転生して特異なキャラになる。それはいい。でも「谷崎潤一郎」の名前のままで本人と似ても似つかないキャラにされると違和感を覚える。なんでやねん?と戸惑いしかない。
「谷崎純一郎」とか名前を一文字名前変えるだけでも安心できるんやけどなあ。「あ。異世界転生ものなんやな」と理解して自分の中の谷崎潤一郎は棚上げして作品世界を楽しむことができる。
なぜ実在の人物名のまま、まったく似ても似つかないキャラを作るのか?それで平然としていられる感性、世界観、歴史認識の諸々が、どうも不可解。驚異。僕は旧世代の人間ということか…。
教養のある人は字をみたらわかる。読みやすい。美しい。丁寧。字なんて読めたらええという人は汚い。ちなみに僕は字が汚い。字を見るたびに自分の無教養を自覚します。
神戸・水道筋まち歩きのあとは伊丹空港から新潟空港へ!阿賀町、さすがに遠い…(当たり前)
【北海道】北海道新聞さんのNIE記事より。まわしよみ新聞の出前授業が申し込めます。北海道のみなさん、ぜひとも~!^^
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■まわしよみ楽しもう/記者の仕事って?/情報への接し方は*道新の出前授業 テーマ5種類で
https://nie.hokkaido-np.co.jp/article/18244/
北海道新聞社では小中高校を対象に、社員が講師を務める「出前授業」を行っている。4月から5種類の授業テーマを用意。授業の概要を確認のうえ申し込みできるように、現在のウェブページをリニューアルする。出前授業のテーマと概要は次の通り。
・「新聞 読めばこんなに面白い」 記事に親しむことから始め、豊かな表現力を通じて「深い学び」につなげる。
・「『まわしよみ新聞』を楽しもう!」 共同作業で「新聞」を作ることで、多様な考え方を知り、コミュニケーション力を育む。
・「新聞記者の仕事~伝える責任と達成感~」 記者の苦労や喜びのほか、新聞制作の工程など紙面には現れないことも紹介する。
・「新聞と情報リテラシー」 新聞やインターネット上の情報を例に、何を手がかりに情報に接し、どう判断してゆけばよいか考える。
・「どうしん記事データベース『まなbell』を使ってみよう!」 さまざまなキーワードでニュースや情報を読み比べ、多様な考えを導く。
問い合わせは北海道新聞社NIE推進センター(電)011・210・5571へ。ウェブページ
(https://nie.hokkaido-np.co.jp/demae/)
は4月にリニューアルされる。(菊地由希)
【千葉県】読売新聞さんのNIEページより。千葉県の昭和学院秀英中学校にてSDGsまわしよみ新聞が発行されました!^^ ありがとうございます!
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■「SDGsまわし読み新聞」を作成(千葉・昭和学院秀英中学校)
https://kyoiku.yomiuri.co.jp/sdgs/school/contents/sdgs-119.php
新聞から「同世代に伝えたい」記事を選び、「SDGsまわし読み新聞」を作りました。
2年生は1年間、総合学習の時間を中心にSDGs学習に取り組んできました。1学期には読売新聞の記者の方を招いて、インタビュー術や記事のまとめ方を学びました。夏休みには少人数のグループごとに企業などに連絡を取って、それぞれの取り組みを学ぶ「夏チャレンジ」も行いました。その過程で、外国人と日本人が暮らすシェアハウス「ボーダレスハウス」の活動に興味を持ち、運営団体の方による講演会を開催した生徒たちもいました。
「SDGsまわし読み新聞」は、こうした活動の集大成です。5~6人のグループに分かれた生徒たちは、記者の方の指導を受けながら、まず、当日の新聞から、それぞれが興味を持った記事を選びました。次に「同世代に伝えたいSDGsのニュース」をテーマに、議論しながら3本の記事に絞り込みます。最後に、「3本の記事に共通するメッセージ」を「見出し」にまとめ、選んだ記事を思い思いのレイアウトで模造紙に貼り付けて、「世界に一つだけのSDGsまわし読み新聞」を完成させました。
■【オンライン配信企画】4/4(月):江尻浩二郎さんと歩く「大阪七墓巡り復活プロジェクト」
https://www.facebook.com/events/505080547841025/
2022年3月8日に福島県いわき市平のGuest House & Lounge FAROさんで「平のまちの話をしようじゃないか」というトークイベントをやり、そのさいに江尻浩二郎さんに来て頂きました。
久しぶりの再会でしたが江尻さんと、いわきの幻の巡礼「十十王申す」の話になり、「失われた巡礼について語る会をしたい」と熱烈オファーをしまして今回の企画が成立しました。
僕とゲストの江尻さんの二人で大阪七墓巡りを行い、それをオンラインで配信します。おっさん2人が七墓(ほとんど跡地)を巡って、あーだこーだいうてるだけのものですが、たぶん、それなりに面白いものになるだろうと思います。知らんけど。
ずっと配信を繋ぎっぱなしは疲れるので(江尻さんとここだけの話、内緒話もしたいw)七墓ゆかりの場所のポイント、ポイントで唐突にオンライン配信を始めます。録画はそのままfacebookページやYouTubeにアーカイブとしてアップしますので。ライブで見たい人は見てください。ライブで見れない人はアーカイブで見てください。
■日時:4/4(月)
午前中、昼ぐらいから始めて夕方ぐらいには終わると思います。
■カンパ募集
「大阪七墓巡り復活プロジェクト」、完全に手弁当でやっております。よろしければカンパしてください。江尻さんの交通費、ギャラになります。よろしくお願いします。PayPay(ID検索してお振込みください)か、銀行振込にてお支払い下さい。
●PayPay ID:mutsusatoshi
●銀行振込:池田泉州銀行 新金岡支店 普通0140848 ムツサトシ
■主催:大阪七墓巡り復活プロジェクト
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※補足の説明
■十十王申す
「十十王申す」はいわきの文人・大須賀筠軒の『磐城誌料歳時民俗記』に記載されているもので、じゃんがらの後に若い男性たちだけで夜通し(おそらく朝まで徹夜で)行われていた十王堂を10か所巡る…という謎の習俗です。
十王堂の場所も諸説あって不明で、江尻さんはいろいろと調査してますが、ちょっとその片鱗の話を聞いただけでも非常に興味深い。面白い。今回のオンライン配信では、そのへんの話も絡めながら巡れたらと思ってます。
■江尻浩二郎
江尻さんは活動が多岐に渡っていて、なんと説明すればいいのか…。ネットで検索して経歴を拾うと色々と出てきます。
「1970年小名浜の醤油醸造元に生まれる。居所を定めず、日本国内外で、演劇および異文化理解に関わる活動を行っていた。震災後1年で中央アジア・キルギス共和国より帰郷。現在は某ラジオ局に勤務し、いわき市内中山間地域および久之浜地区を担当。UDOK.メンバー。自宅(実家)からUDOK.まで徒歩3分。」
https://www.genron-alpha.com/author/ejiri/
「1970年福島県小名浜生まれ。東京大学法学部第3類政治コース卒。地域文化活動家。日本の全都道府県全市町村および定期航路のある全有人離島を踏破。シベリア鉄道四等車ぶらり途中下車敢行。中央アジアキルギスにて戒厳令下の文化交流事業を企画運営。震災後、地元のコミュニティFMで中山間地域担当。現在東日本国際大学留学生別科非常勤講師。『人魚まる裸みだ髪』で第7回もりげき戯曲賞受賞(審査委員長/別役実)。『 リミッターカット』で日本演出者協会若手演出家コンクール2006優秀賞。海と日本プロジェクト「磐城国海の風土記」連載(完結)。カオス*ラウンジ市街劇3部作リサーチャー、「しらみずアーツキャンプ」リサーチャー、「igoku」編集部。」
https://wotikoti.jimdosite.com/
「プロフィール:江尻浩二郎(えじり・こうじろう)
郷土史研究家。東日本国際大学 留学生別科 非常勤講師。をちこち人/案内人/演出家/劇作家/太鼓奏者/郷土史調査員/伝承芸能調査員/語学教師。UDOK.部員。「小名浜本町通り芸術祭」実行委員。いわき海洋調べ隊「うみラボ」研究員。「横川じゃんがら保存会」会員。「ラジオ下神白」事務局。「風とカルマのツーリズム」ディレクター。未来会議「浜通り合衆国」建国準備委員。「学歩」案内人。「カオス*ラウンジ新芸術祭」現地調整員。「廿三夜講復活プロジェクト」事務局。「日本太鼓道場」メンバー。「キルギス大江戸太鼓」メンバー。小名浜諏訪神社「宮元会」会員。」
http://iwaki-shiome.com/431/
色々他にもありそうですが、3つだけ。もう、とりあえず、なんかようわからんけど、とんでもなく、すごい人だというのは以上の経歴で感じてもらえると思います。しかし、ご本人と話をしていても、そんな風に感じないのが江尻さんの凄いところでもあります。孔子がいう「剛毅木訥、仁に近し」とはこういう人のことをいうのでは?と思わされる小名浜人です。
■【オンライン配信企画】4/4(月):江尻浩二郎さんと歩く「大阪七墓巡り復活プロジェクト」
https://www.facebook.com/events/505080547841025/
大阪まち歩き大学。大今里。八王子神社御旅所。
元々は西今里村の氏神の八剱神社があった。しかし明治22年(1889)に森・古屋敷地・中道・本庄・西今里・中浜の六ヶ村が合併して中本ができて八剱神社は合祀され、八王子神社の御旅所になった。八剱神社が六ヶ村の合併で八王子神社と、なんだかややこしい。
境内には大きな楠木があり、樹齢1300年という。楠は意外と成長が早く、某神社で樹齢1000年といわれている楠木も「実は400年か500年ぐらいではないか?」と、そこの神官さんからコッソリといわれたことがある。どこの神社かはいいませんw
樹齢に感じては正確なところはわからないと思われるが、なかなか大阪市内で、これほどの大楠は見られない。住宅地に囲まれていて路地を曲がると唐突に巨大な楠が現れるから初めて見た時は、その偉容さに度肝を抜かれた。
明治18年(1885)の淀川大洪水の時に東成区界隈も水浸しになったが、その時に西今里村の住民たち40名ほどが、この大樹に登って三日三晩を過ごして命からがら助かったという。今でも生存者の御子孫の方に厚く崇敬されている。村人の命を救った。まさに神樹です。
大阪まち歩き大学。肥後橋。江戸堀。荒光稲荷社。
江戸時代はこの辺りには摂津国有馬郡三田藩・九鬼氏の屋敷があったという。稲荷さんはその屋敷神だったのでは?という説があるがよくわからない。
江戸時代の大坂には120以上の蔵屋敷、藩屋敷が並んでいた。江戸時代は大体、日本全国に300藩あったといわれるので日本全国の藩の3分の1の蔵屋敷、藩屋敷が大坂にあったことになる(これもあっちこっちに石碑を建てるべきで、建てたら各地の県人会のみなさんがゾロゾロやってくるはずw)堀川が張り巡らされて水運が便利だった肥後橋、江戸堀界隈にも、そうした藩屋敷、蔵屋敷の痕跡がいくつか残っている。
このお稲荷さんは特に火災除けの稲荷さんとして知られている。小さい本殿だが見ると奉納絵が掲げられていて、これが面白い。おそらく戦前のエピソードだろうと思われるが近代(明治?大正?昭和?)の消防士がポンプ車にのって商家の火事に駆けつけているところで消火活動をしている最中に稲荷神(狐神)が現れて助けてくれる…というもの。「消防ポンプ車と稲荷神」というコントラストはなかなか他になく一見の価値はあるw
お稲荷さんへの信仰なんて近代以降は迷信扱いされてあっさり消滅したと思われがちだが戦前はあちらこちらで、この手の話があった。
大阪の中心市街地は近代都市化が早かったから、そういう話は少ないが、ちょっと郊外に出ると戦後にも狐や狸はそのへんの雑木林にいて「◯◯さんが騙された!」みたいな話はナンボでも出てくる。千里ニュータウン、泉北ニュータウンでも開発前は周辺は狐や狸の棲家であちらこちらでその手の話があった。騙されて池にハマったとか肥溜めに堕ちたというのは定番コースですw
お狐さん、お狸さんとの交流交信(?)というのは結構、最近まで日本社会には濃厚にあった。ここ30年、40年ぐらいやないか?と思いますな。そうした狐狸への畏れや稲荷神への信仰というのが薄れていってしまったのは。
いや。今もほんまは民間には濃厚に残っているのかも知れない。まちを歩いていたら稲荷神とか地蔵尊とかあっちこっちにあって、地域の人は拝んでいきますからな。僕も一応、なんとなく頭下げて拝んでおります。お賽銭はせんけどw
ちなみに、この荒光稲荷さんがいたおかげで付近は大阪大空襲でも焼けなかったとか。実際に荒光稲荷神社のすぐ南に位置するのが金光教玉水教会というのがあり、戦前の木造建築だが現存している。
大阪大空襲では周辺はほとんど焼け野原になってしまって、しかし、この金光教の玉水教会は四ツ橋・新町、大阪ミナミからでもよく見えたという。
大阪まち歩き大学。昨日は珍しく雨のまち歩き。江戸堀、靭を歩く。
靭界隈は江戸時代は靭海産市場があった。「靭」(うつぼ)とは珍しい地名。秀吉がこの辺りを通ったさいに魚市場から「安!」「安!」(魚が安いということ)と威勢のいい掛け声が聞こえてきた。それを聞いて秀吉が「ヤスということは靭ということか」と返して側近たちが大笑いした。それで靭という地名になったという。これだけ聞いても意味がわからないw
要するに魚市場の「安い!」という掛け声が秀吉には「矢巣」と聞こえた。「矢の巣」というのは弓矢の矢をいれる武具のことで、これを「靭」という。それで秀吉が「安(矢巣)ということは靭やな」と冗談をいったわけです。秀吉のオヤジギャグが地名になったということですな。
近代は都市化したが土地は大豪商の根津清太郎が所有していた。根津清太郎はとんでもない放蕩家でコレクターで芥川龍之介や谷崎潤一郎などのパトロンでもあった。その奥さんを松子という。
松子は元々、芥川龍之介のファンであったが夫の清太郎の紹介で芥川と会った時に、その場には谷崎潤一郎がいた。これが運命の出会いというやつで谷崎と松子は交流を深めていくと、お互い伴侶がいたがダブル不倫でゾッコンになってしまう。最終的に谷崎も妻(2番目の妻で古川丁未子という。キャリウーマンで、この女性もいろいろと面白い)と別れ、松子も夫・根津清太郎と別れて2人は一緒になった。この松子がじつは四姉妹で、この四姉妹をモデルにして谷崎が描いたのが傑作『細雪』。
根津清太郎は非常に興味深い人物で、あまりに遊び人で先祖伝来の財産を使い果たし、どんどんと没落して最後は東京の日劇ミュージックホールのヌード女優たちの使用人をしたり、宝塚歌劇の東京宿舎の管理人などをして56歳で脳出血で亡くなった。没落しまくったが昔の誼で小林一三などが仕事のお世話をしてくれたらしい。
なんというか絵にかいたような転落人生で、こういう人物、僕は大好きですw 大豪商の御曹司として生まれ、遊びまくったが死ぬ最後までヌード女優や宝塚の新人女優たちのお世話などで女性に囲まれていた(?)ようで、これはこれで粋狂を極めた人生ではないだろうか。もっと評価(?)されてもいいw
話がずれたw 靭界隈は戦時中は陸軍の飛行場となったが戦後はGHQが接収し、長く飛行場として使用された。その後、日本に返還され、そのまま公園になった。やたらと東西に長い公園で、それは飛行場の滑走路の名残といえる。
「陸軍、GHQの飛行場であった」ということを記録した記念碑などもない。いや、ひとつだけある。公園整備のことを書いた小さい石碑。そこに少しだけ、一文で、さりげなく「飛行場跡」とある。場所も公園のトイレの隣。ひどい。戦争遺跡なのだから、これも、もっと、ちゃんと継承すべきだろう。
靭飛行場はゼロ戦も飛んだらしい。戦争末期で日本の戦闘機はボロボロの機体でフラフラ飛ぶもんだから「こんなんでアメリカとの戦争に勝てるわけない…」と付近の住民は思ったらしい。