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‘雑感’ カテゴリーのアーカイブ

レクイエムのライトダウンを

2011 年 12 月 25 日 Comments off

ええっと、こういうこというと、あれですけども、ぼくは基本的にはライトアップイベントとやらにはアンチな男ですww むしろ都市は全消灯せよ!冬の夜空の、銀色に輝く月や、満開の星のほうが、はるかに美しい。電気こそが科学文明の象徴でした。それを盲目に礼賛する時代は2011年3月11日で終わりました。時代は変わりつつある。レクイエムのライトダウンを。もう、そろそろ、ぼくらは、そういう知性を働かせてもいいはず。


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実質主義が大阪人の特質

2011 年 12 月 23 日 Comments off

江戸時代の大坂は町衆が何事も話し合いで決定した自治都市。「浪華八百八橋」といわれるほど橋が多い都市でしたが、そのうち公儀橋(幕府が作った橋)はわずか12で、町民が私財で橋や堀、道路を作り、町衆のものとしてシェアしたわけです。それが大坂商人の成功の証明であり、誇りであり、生きざまでした。天皇、将軍、お上、上様といった政治的権威・権力は通用せずに「王様は裸だ」と言い切るプラグマティズム、実質主義が大阪人の特質です。人間主義で見栄がないから「武士は食わねど高楊枝」的な痩せ我慢はなく、自分の中に明確な価値判断基準があって「美味しいもの」「楽しいもの」「面白いもの」「素晴らしいもの」を徹底的に追求する。人生の遊びを知っている。日本有数の芸能文化や食道楽を生んだのも、こうしたメンタリティが土壌にあります。

また驚くほどにロマンチストで恋愛至上主義者の一面があって、例えば江戸の武家社会では男女の心中沙汰は御法度でしたが、大坂では近松門左衛門の『曽根崎心中』『心中天の網島』など「心中もの」の文楽が大流行して、あちらこちらで情死事件が起きた。『冥途の飛脚』の忠平衛は、愛する梅川を身請けするために、天下の公金の封印を切った。世間、世俗、死をも超えて愛を貫く男の姿に、大坂の町衆は拍手喝采した。自分の価値を尊重してなにものにも縛られないだけに、いざ恋愛!となるとアホほど一直線になるのが大阪人的な恋愛像です。パブリックイメージでは「口が達者やから女口説くのうまい」とか「浮気もん」とか思われがちですが、ちゃいます。ほんまでっせww


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高野山

2011 年 12 月 20 日 Comments off

9世紀、空海は留学生として入唐して密教の経典を入手、それをごっそりと日本にもってきました。密教はルーツを辿ればバラモン教で、仏教以前のインド土俗の宗教です。バラモン教には釈迦は登場しません。「宇宙とはいかなるものであるか?」という生命の根源的なものを問う宗教で、「曼荼羅(マンダラ)」(元はバラモン教のもので、ようわからん幾何学模様でしたが、仏教に取り入れられると、仏などが描かれるようになりました)は、そのシンボリックであり、図案化です。

宗教は先発のものは素朴で大雑把で大袈裟でテキトーで、後発はそのアンチテーゼとして登場するので理論武装してロジックが優先します。バラモン教も仏教、儒教よりもスケールは大きかったようですが、それだけ整合性はなく、カオスで、破綻していました。

そんなバラモン教が中国に渡ったときも、中国人は、あまり興味を覚えなかったようです。中国人は良くも悪くも現世的で合理主義者ですから、目に見える山川草木花鳥風月はこよなく愛しますが、「宇宙」なんてものを説く宗教には大して感心をもたなかった。体質に合わなかったんでしょう。一部の好事家が、趣味的に「これはなかなか面白い」なんて手慰みにしていただけで、空海の時代には完全に廃れていた。ところが、そのバラモン教を唐で発見した空海は「これはすごい!」とひとりで大興奮して、本当であれば20年間の唐留学の予定だったのを、わずか2年で切り上げて、日本に持ち帰りました。

空海の天才はここからで、空海はバラモン教を勉強しながら、その聡明すぎる頭脳で、見事に自分流に再構築して、完全完璧な宗教「真言密教」として完成させました。空海の真言密教には、一切、破綻がなく、隙間がありません。大雑把なバラモン教を圧縮、凝縮して、宝石のような結晶体(=真言密教)にしてしまった。宇宙を説くマクロのバラモン教から、一輪の蓮花のようなミクロの真言密教へ・・・それが空海のライフワーク、仕事でした。

また、空海は真言密教を日本全国の庶民に齎すなんてことには、さほど熱心ではありませんでした。宗教は分布しようと思うと、信者を獲得していこうとすると、どんどんと方便(ウソ)が必要になっていき、教義もダラダラしたものになっていきます。親鸞上人は信者を獲得していくために「結婚しても魚食べても悪人でもOKでっせ!」なんてことをいって庶民を教化していきましたが、空海はそういうスタイルは取りませんでした。あくまでも純粋さにこだわった。

その代わりに空海は、紀州の山奥にある、蓮の花が開いたような山上盆地に、自分の理想の、見事な壇上伽藍を作り上げた。それが高度1000メートル以上の雲の上に、空中浮遊の、天空に漂うような、宗教都市「高野山」です。じっさいに高野山は、比叡山焼き討ちのように権力者に焼かれたことがなく(秀吉は焼き討ちしようとしましたが木食応其上人との話し合いで簡単に決着しました)、米軍の空襲にも遭いませんでした。どこか世界から超越した、隔絶した宗教といえます。

要するに、真言密教は、選ばれた者だけの、天才の宗教といえます。普通の庶民には真言密教はようわかりません(笑)しかし「小規模でもいいから、完全無欠の世界を作り上げよう」という空海のベクトルは、じつは非常に日本的だと思っています。利休の茶室や龍安寺の枯山水にも通じる日本的なベクトル。

キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、大抵の世界の宗教は、マクロに拡大していきます。それがゆえに衝突する。しかし空海の真言密教はミクロに展開していった。こういうベクトルの宗教があることは、世界にとって、ひとつの救済になりうるのでは?と思ってます。ま、ひとことでいうと大乗仏教ではなくて「小乗仏教の可能性」と、そういうことなのかもしれませんが(笑)

なんとなく高野山にいきたい。そんな夜。


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福沢諭吉『福翁自伝』より

2011 年 12 月 20 日 Comments off

「大阪はまるで町人の世界で、何も武家というものはない。従って砲術をやろうという者もなければ原書を取り調べようという者もありはせぬ。それゆえ緒方の書生が幾年勉強して何ほどエライ学者になっても、頓と実際の仕事に縁がない」

「自分の身の行末のみを考えて、どうしたらば立身ができるだろうか、どうしたらば金が手に入るだろうか、立派な家に住むことができるだろうか、どうすればうまいものを食い、いい着物を着られるだろうかというようなことにばかり心を引かれて、あくせく勉強するということでは、けっして真の勉強はできないだろうと思う」

「一歩進めて当時の書生のこころの底を叩いてみれば、自ずからなる楽しみがある。これを一言すれば、西洋の日進の者を読むことは日本国中の人にできないことだ、自分たちの仲間に限ってこのようなことができる」

福沢諭吉『福翁自伝』より

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大阪は確かに商業都市でしたが、だからといって大阪人が拝金主義者か?というと、それは明確に違います。というのも、お金というのは抽象的に思えて、じつは非常にわかりやすい。数字ですから。100万円よりも1000万円のほうが良い。しかし、では、お金があればいいのか?お金で人生すべてが割り切れるか?というとそうではないわけです。生きるということはもっと複雑怪奇で、金というロジックで割り切れない物事が往々にしてある。大阪は商業が発達しましたが、金の世界にまみれているからでこそ、誰よりも早く「資本の限界性」にも気づくわけです。

「大豪商の淀屋、住友、鴻池でもままならぬことが人生にはある」「人生の本当の価値、醍醐味は、金銭に絡んだ世界にはない」 そう考えて、むしろ一銭の金にもならないことに、人生を費やす人が数多く出てきてもおかしくない。むしろ大部分の大阪人は、金儲けよりも、遊び、享楽、趣味、道楽などに夢中になりました。実際に木村蒹葭堂は石ころ集めに夢中になり、山片蟠桃は無神論『夢の代』を書きました。これ、一銭の金にもなっとりません。

当時の侍は儒教を学びました。これは侍階級の規律、道徳のためで、立身出世の狙いもありました。じつは侍のほうが、功利的なんですな。ところが大阪の商人階級のあいだで流行ったのは、例えば「天文学」と「蘭学」です。星を見ても、まるでご飯の種にならない。また「国際社会の中で英語を習う」のではないです。「鎖国状態なのにオランダ語を学んだ」から凄い。オランダ語の習得に、何の意義も意味もない。ただただ、文字や言葉の響きが面白かっただけ。

大阪の町衆が寄付を募って作った私塾「懐徳堂」は、世間からは「鵺学」と呼ばれました。鵺は伝説上の怪獣で頭は猿、足は虎、尾は蛇。要するに「意味不明な学問」をやる場所として有名だったわけです。それが喜ばれた。尊ばれた。成立した。学問するということが、遊びで、趣味で、道楽だったわけです。

大阪人が拝金主義者というのは大間違いで、それは元禄バブルの時代で終わりました(象徴的事件が淀屋の闕所事件です)。それを通り越したところに、大阪文化の「粋」(すい)があったわけで、それを読み取らないと、大阪という都市の懐の深さ、凄さはわかりません。冒頭の福沢諭吉の自伝『福翁自伝』は、緒方洪庵の適塾時代を回想したものですが、これが「粋」の文化の真髄ではないか、とぼくは思ってます。目的なしの勉強。ナンセンス。そこに賭ける、意味不明なまでの情熱。


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酔狂

2011 年 12 月 20 日 Comments off

浪花が産んだ「粋」(すい)という都市文化は、その根底にナンセンスというか、無常というか、虚無というか、ブラックホールが横たわってますから、その情熱は、とどまるところを知りません。いきつくさきは「酔狂」(すいきょう)です。最期は狂うしかない。男と女はみんな恋愛に狂って「心中」する。恐ろしい世界。

江戸は「粋」(いき)という都市文化を産みましたが、「粋狂」(いききょう)という言葉はありません。ちゃんと納めるんですな。粋(いき)という文化は。破れない。綻ばない。狂わない。要するに「切腹」こそが、ぼくは粋(いき)の文化の最たるものだと思ってます。

あ。あと「粋」(すい)に憧れたのが太宰治で、「粋」(いき)に憧れたのが三島由紀夫やないかと、ふと思ったり。近代人にはムリなんですよ。心中も。切腹も。その証明が、このふたりの死なんでしょう。


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横山光輝

2011 年 12 月 19 日 Comments off

『鉄人28号』にはこんなシーンがあります。敵がミサイルを撃つんですが、鉄人28号にきかない。そうすると敵のボスが叫ぶんですな。「鉄人を狙うな!鉄人周辺のビルを撃って壊せ!」

どういうことか?というと、鉄人はリモコンで動くわけですが、主人公・正太郎は鉄人の近くのビルから鉄人を操っている。そのビルを破壊して、正太郎を木っ端微塵にしてしまえば、鉄人など、ただの鉄クズ!というわけです。これは「敵のボスながら、なんて頭がいいのだろう・・・」と、子供の頃に『鉄人28号』を読んで衝撃を覚えたシーンです。世間の少年漫画の敵というのは、もっと愚かで、頭が悪いですから。こういう「工夫」「計略」「戦術」がない。

『バビル2世』では、主人公・浩一と、悪の帝王のヨミは、じつは宇宙人バビルの子孫で、ともにバビルの塔の後継者なんですな。ヨミは超能力を使えるし、じつは3つの僕(しもべ。ロプロス、ポセイドン、ロデム)を自由自在に操ることもできる。浩一と、ヨミが、お互いに3つの僕に命令して操って・・・ヨミが操るロデムが浩一を襲うと、それをポセイドンが助けて、またロプロスがポセイドンに襲い掛かると、ロデムがそれを救うといった白熱のバトルを展開!・・・というのは、これはもう、少年漫画史上に残る超能力バトルの名シーンでした。敵と味方が入り乱れて、手に汗にぎるほど面白い。

横山光輝御大の作品は、サスペンスというか、ひねりというか、一癖あるというか、ありきたりの熱血少年格闘漫画ではなくて、じつに高度で、知的で、「大人」なマンガでした。のちに横山光輝御大が歴史マンガの金字塔、権謀術数の宝庫である『三国志』を描き、それが大ベストセラーになるのも、むべなるかな。


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大阪あそ歩のおもしろさ

2011 年 12 月 18 日 Comments off

大阪あそ歩のおもしろさのひとつは「まちの多様性」にある。まず大阪はまちの歴史が長い。日本最初の大寺・四天王寺(593)は現存し、難波宮(645年)といった遺跡も見つかっている。難波宮は平城京(710年)や平安京(794年)よりも古く、大阪が京都や奈良を凌駕する1500年近い歴史を有する歴史都市であることは意外にも知られていない。

歴史は長いのに京都の天皇や江戸の将軍といった権威・権力が長く根付かなかったことも、大阪のまちをおもしろいものにしている。まちの主役は自由闊達な町衆で、自分たちの好きなように、市場や花街、芝居町、夜見世といった商いと遊興のまちをデザインしていった。このまちの歴史や多彩さを反映したものが大阪あそ歩の「150コース」という驚異的なまち歩きのコース数だろう。日本の都市の中で、これほどのまち歩きを成立しうる都市はそう多くはない。まちには無数の物語やドラマが錯綜し、まるで万華鏡のように、訪れる人を魅了する。

もうひとつ、大阪あそ歩のおもしろさとして挙げたいのが「ひとの優しさ、暖かさ」だ。大阪は公家や武家といった官吏が作ったまちではなく、町衆が作り上げたまちで「わがまち」意識が非常に高い。大阪あそ歩のガイドはその町衆の遺伝子を受け継いでいるが、まちの人々・・・商店主や名物おばちゃんなども、わがまちを誇りに思い、愛している。それゆえにまち歩きの参加者を、まち全体で喜んで歓待してくれる。普段は決して見られないような仕事の現場を開放したり、とっておきの物語やエピソードを聞かせてくれる。自然と参加者がまちのファンになって、何度も何度もまちを再訪する・・・といったことも、まるで珍しくない。

いま日本の主要都市は経済効率を最優先して、高速道路やコンビニやファミレスやファーストフードなどで均一化、非人間化していく一方だが、大阪のまちは、まだまだ多種多様なまちがあり、ヒューマニズムを濃厚に残している。大阪あそ歩に参加するおもしろさ、醍醐味は、こうした「まちの多様性」と「ひとの優しさ、暖かさ」にふれることに他ならない。


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柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君

2011 年 12 月 18 日 Comments off

大阪・住之江の祐貞寺に住んでいた与謝野寛は漢学塾に通い、堺の覚応寺の子・河野通該と出会いました。2人は文学的才能を認め合い、大和川を挟んで北に住む寛は「鉄幹」と名乗り、南に住む通該は「鉄南」と名乗りました。

この鉄南の詩の弟子として覚応寺に通っていた、ひとりの女流歌人がいます。鳳晶子といって、晶子は鉄南のことを「兄」と呼んで慕い、詩の手紙を何度も送りましたが、その文面は明らかに恋する女性のそれでした。しかし住職の跡取り息子の鉄南は晶子に対してあくまでも師匠としての立場を崩そうとしません。そのうち鉄南は大阪にやってきた鉄幹に晶子を紹介して、すると晶子は途端に鉄幹に夢中になり、2人は大恋愛の末に結ばれました。

「柔肌の 熱き血潮に 触れもみで 寂しからずや 道を説く君」

与謝野晶子の有名なアパッショナータな恋歌ですが、これ、しかし、誰に対して歌っているのか?謎です。与謝野鉄幹やないんですな。だって与謝野鉄幹は妻子がいるのに晶子の柔肌に手を出してますからww

というわけで、この「君」とは河野鉄南ではないか?という説があります。さらに、ぼくは、じつは与謝野晶子はやっぱり鉄南のことが好きで好きでたまらなくて、それでも振り向いてくれない鉄南へのアテツケで、大親友の鉄幹に身をまかせたのではないか?・・・と推測してます。そう考えると面白いし、与謝野晶子ならやりかねないですし。

この歌ひとつに、男と女のドラマが込められている。昼ドラですけどww


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東京タワーを作った男は「大阪の新聞王」こと前田久吉です

2011 年 12 月 16 日 Comments off

東京タワーを作った男は「大阪の新聞王」こと前田久吉です。

明治26年(1893)に大阪今宮村(現・西成区)の貧農に生まれ、大正2年(1913)に天下茶屋で新聞販売店を開業して大正11年(1922)には「南大阪新聞」を創刊。これが戦前戦後を通じて、さまざまな新聞を吸収合併しながら、現在の「産経新聞」に繋がっています。戦後は電波メディア時代の到来を予見して、日本電波塔構想が持ち上がると「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない!」と、エッフェル塔を越える世界最高の自立式鉄塔を計画し、昭和33年(1958)に東京タワーを設立。その後もラジオ大阪、関西テレビを開局して、それぞれの初代社長に就任。昭和40年(1965)に勲一等瑞宝章を受章して、昭和61年(1986)に93歳で死去しました。

大阪・西成の偉人なんですけどね。もうちょっと、西成の、地域の誇りになってもいい。


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儒家百家

2011 年 12 月 15 日 Comments off

春秋戦国時代の中国は面白い。司馬遷の『史記』を読めば、古代でありながら、現代と変わらないぐらいに、人間の描写が生き生きとしている。人間が多彩多種多様であった証拠に、「諸子百家」といわれるぐらい、イデオロギーや学問体系が乱立した時代でもありました。

ところが、その諸子百家を粉砕したのが、史上初めて中国を統一した始皇帝。彼は諸子百家の中から「法家」を取り上げて、独裁君主、郡県制による中央集権、非情なる厳罰主義でもって秦帝国を作り上げました。その他の百家は文字通り「焚書坑儒」した。

その後、秦が乱れて、漢が興ります。漢の武帝は秦のような法家思想では国が治まらないと、今度は秦時代に弾圧されていた儒家を採用します。これが中国人の性向に合い(なぜ合ったのか?はここでは述べません。書いてたら長すぎるww)見事に成功。儒家思想を用いて、国家思想として統一を図ったことで、ようやく中国は国家としての纏まりを持ちます。

あれだけの広大な土地を治めようと思えば、強烈なイデオロギーを強固に推し進めるしかなかったんでしょうな。しかし、国家がただひとつの思想体系を支持するというのは、恐ろしい反作用効果を齎します。まず諸子百家の煌くような思想の大海が儒家一本に絞られ、分流となり、支流となり、やがて枯渇してしまった。多様性こそが文化の豊潤さのバロメーターであるのに。

また儒家というのは、すでに神話化、伝説化していた堯、舜、文武、周公といった太古の「君子政治」を理想として、それを復活させようという歴史の回帰運動の思想でした。これは言ってみれば人間の進化を否定するイデオロギーで、それが国教とされた。だから諸子百家の古代中国の方が現近代的であり、漢以降の中国は、どんどんと人間が古代化していく。「歴史に遡上していく歴史国家」という複雑怪奇なパラドックスが中国の正体です。

ただ、儒家も2000年続くと、儒家でありながら、あらゆる百家を包括した儒家となるようでして。つまり「儒家百家」という奇妙奇天烈な状況となる。「孔子平和賞」もそのうちのひとつでしょう。まさかノーベル(ノーベル平和賞かて政治利用されてます)に対抗して孔子を持ち出すとは。これは新しい儒家の政治利用。愚かしくもあり、面白くもあり。


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