大阪あそ歩まち遊びプログラム「昭和の日に昭和町まち遊び~どっぷり昭和町を満喫!~」で立ち寄った、阿倍野の老舗ビリヤード場「保名倶楽部」にて。
昭和の日に昭和町まち遊び~どっぷり昭和町を満喫!~
まちおこし企画「どっぷり昭和町」の会場で昔懐かしい遊びを楽しみます。保名倶楽部では(南大阪で一番古いビリヤードのお店)、ここでは千代さんの長男でいらっしゃる放送作家の南川泰三さんからお話をうかがいます。名物せんべい屋さんでの試食、そして最後は国登録文化財の寺西家でしっとりと優雅な奧田真祐美さんのシャンソン。「昭和」を満喫できる盛りだくさんのまち遊びです。
この日は小説『玉撞き屋の千代さん』(ホーム社発行・集英社発売)の原作者で放送作家の南川泰三さんにもご登場いただいて、たっぷりと千代さんのお話や、昭和の思い出話などをお聞かせいただき、参加者のみなさんも大喜びでした。南川さん、本当に、ありがとうございました!
ナショナリズム(愛国主義)は危険です。なぜ危険であるか?というと、国家というコミュニティは大抵、軍隊という暴力装置を持っているからです。ただこの1点だけで、愛国主義は、狂気となりうる。その危険性を常にぼくらは認識しておかないといけない。
パトリオティズム(郷土愛)が救われているのは、ふるさとや都市というコミュニティは基本的に軍隊をもたないから。戦争という手段をもたないコミュニティであるから、どれだけ声高にパトリオティズムを叫ぼうとも、まぁ、酒場で酔っ払ったオッサンの自慢話みたいなもんで、微笑ましいもんです。
ぼくは、だから、パトリオティズムの錦の旗印を掲げる。安酒に串カツ食べて、さぁ、大いに、わがまち、郷土を語ろうではないか。
大阪市中央区今橋にある近代名建築大阪倶楽部です。大阪倶楽部、高麗橋野村ビル、大阪瓦斯ビルヂングは、大阪・船場地区を代表する近代名建築で、すべて建築家・安井武雄が絡んでます。
安井武雄は東大卒ですが変わり者で、卒論に和風建築を取り上げて、そんな慣例がなかった東大建築コミュニティからは干されてしまい、そこを「おもろいやっちゃ」と野村財閥の野村徳七が拾い上げました。
東京ではあかんくても、大阪では許された。大阪倶楽部、高麗橋野村ビル、大阪瓦斯ビルヂングは、そういう大阪人の懐の深さの証明で、誇りです。
かつて兵庫県は首都でした。1180年に平清盛が平安京から福原京に遷都。雪御所町はその名残です。じつに美しい町名。いまもまちの人の誇りです。
ちなみに平安京を「千年王都」とコピーするのは間違いで、あいだにわずか半年ですが福原京遷都の時代(福原時代。笑)がありますから、正確には「四百年王都」の前期平安京(794〜1180)と、「六百年王都」の後期平安京(1180〜1868)となります。
京都人は福原京をなかったことにしようとしてる。けしからん!
これ、ぼくがいうてるんちゃいますよ。福原の人らがそういうてます(笑)
大阪・堺旧港に転がっている旭橋の橋柱。この橋の袂に出来たのが旭館(朝陽館)で、そこで結成されたのが堺酒造。堺酒造が製造したのが「旭麦種」=現在の「アサヒビール」です。
つまり、ここは「アサヒビール発祥の聖地」なんですが、ご覧のありさまでして。まったく整備されずに放置状態。こういうとこが大阪なんですな。奈良や京都よりも古い、物凄い歴史都市なのに、それを全く顧みず、継承しようとしない。経済効率一辺倒でやってきた。
そういう実質主義の大阪気質は、それほど嫌いでもないのですが、これからの時代は経済効率ではなく、そういった日本古来の文化が武器になってきますから。早く大阪人は自分たちの物凄い武器に気づいて欲しいですな。
これ、面白かったです。コンセプトはようわからんかったですが。なんでもっと注目されへんかったかなあ。
奥にある建物は大林組。大阪城もヒルズ森タワーもスカイツリーも大林組。大阪が世界に誇るゼネコンですが、去年、とうとう東京いきました。
東京の企業の半分は元は大阪企業とか。例えば新聞でいうたら朝日、産経、毎日は元は大阪の新聞です。そりゃ東京一極集中でパンクしますわ。大阪企業は大阪に戻ればええんです。関空あるしネット社会やから今はどこでも仕事できます。はよ帰ってき。大阪人は気を長くして待ってまっせ(笑)
色々と統計によって差はありますが、東京の都市圏人口は約3600万人。これはダントツの世界1位で、2位がインドのデリー約2200万人。人類史上かつてない超超過密都市。異常を通り越して、もはや完全なる狂気です。
原発、地震が問題ではなく一極集中すぎて、もはや東京という都市は維持できないということ。いつ、なにをきっかけに東京が大爆発しても、まったくおかしくないという危機的状況です。
これは外からヤイヤイいうてもしょうがないのかも知れません。結局、中の人が、自分たちで気づいて、なんとかしないと・・・。
JR大阪駅が新しくなります。えらく大騒ぎですが、大阪駅は元は「梅田墓」(うめだばか)があった場所で、大阪でも非常に由緒ある、歴史ある墓地でした。そこはまた近松門左衛門『曽根崎心中』のお初と徳兵衛が道行した「梅田堤」の場所で、大阪の男と女の、究極の愛の形が示されたところです。
今後、大阪駅が新しくなって、日本全国各地から観光、見物客がくることでしょう。そういう人たちに対して「梅田墓」「梅田堤」といった「風土」を、ちゃんと話するべきだとぼくは思ってるんですが、誰もそういうことをいわないようです。
要するに、大阪駅は、ただたんに大阪とか東京といった空間的な繋ぎの場であるだけではなく、生者と死者とを時間的に繋ぐ神聖なる場なんです。願わくば「梅田墓」「梅田堤」(『曽根崎心中』 お初・徳兵衛の道行)の鎮魂のモニュメントを、ぜひとも駅構内に作って欲しいものですが。
そういうことをちゃんと語ることが(語ることは鎮魂です)、これからの大阪(日本)のまちづくりに、最も大切で重要なことだと思ってます。
ふと南船場の自分の会社の事務所から、堺の実家まで歩いたらどうなるか?と思いつきで歩き始めました。駅でいうと心斎橋駅から新金岡駅まで。夜9時出発で約3時間ぐらいでつきました。距離でいうと15キロ。昔の単位でいえば約4里です。
限定化された、均質的で、受動的な都市空間を逍遥しながらも、ぼくの意識はどこまでも純粋持続していく。自由意志の発露。ベルクソン的『時間と自由』の体感。「フラヌール」(都市遊歩者)こそが「エラン・ヴィタール」(生命の躍動)を知る。
おかげで、いま、両足のあちらこちらが筋肉痛ですが。あいたたた(笑)