『SFマガジン』500号の記念号で発表された「日本SFオールタイムベスト」で見事1位に輝いた『果しなき流れの果に』・・・言わずと知れた小松左京の傑作SF小説です。
大阪南部、葛城山麓の古墳から見つかったもの。それは決して砂が増えもせず、減りもしないという摩訶不思議な砂時計だった・・・。
大阪の古墳を舞台にした小説といえば、この『果しなき流れの果に』と、五木寛之の『風の王国』が鉄板でしょうか。たまには、こういうエンターテイメントも、おもろいもんです。
大阪市福島区にある地上16階建てのオフィスビルです。明治初期から当地で薪炭業などを営んでいた地権者がいて、社屋老朽化で改築しようとしました。ところが都市計画で高速道路が通ることになっていたために建築許可が下りなかったそうです。「んなアホなことあるかい!」と地権者と阪神高速道路公団(当時)とが約5年間にわたって交渉して、結局、ビルの中に高速道路を通す・・・という前代未聞の解決方法で決着したとか。
よく見ると高速道路と建物は接触せずで、お互いに独立してます。仮に建物を解体することがあっても高速道路が崩れることもないですし、貫通部分は防音シェルターで覆われているそうで、建物内部に騒音や振動なども一切ありません。じつによく計算されている。
得てして高速道路の用地買収というのは日本全国の都市で問題になりますが、こういう解決の仕方があるのか・・・と目から鱗です。すごい発想。智恵。ほんま、えらいもん建てますな、大阪は(笑)
●コミュニティとはなにか?
マス(大衆)⇔コミュニティ(市民)
大衆社会と市民社会
オルテガ『大衆の反逆』(1929)
大量生産 大量消費
マスメディア イベント化社会
モータリゼーション
人工都市ブラジリアの建設(1960)
ル・コルビュジエ『輝く都市』(1930)
ジェイン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』(1961)
1.混用地域の必要性(ゾーニング非難)
2.小規模ブロックの必要性(路地の重要性)
3.古い建物の必要性(連続する都市イメージ)
4.集中の必要性(多様なる人種、年代の混在)
低コスト、ヒューマンスケールによる
「人間のための都市計画」・・・クリチバ・マスター・プラン(1964)
都市の乱開発を予防
市中心部の繁華街における自動車量抑制
旧市街の歴史的建造物の保全
手頃な公共輸送システム(大型バス)の構築
人間都市クリチバ
「世界一革新的な都市」として顕彰(1996)
【大阪(日本)の場合】
明治維新 大久保利通による官僚主義の導入
(イギリス式市場主義VSドイツ式エリート主義)
1930年代 戦時体制への移行(東京一極集中化)
1945年 敗戦
1950年代 新たなる東京一極集中化政策
高度経済成長
「人類の進歩と調和」 大阪万博(1970)
1975 ビル・ゲイツ マイクロソフト創業
1976 スティーブ・ジョブズ アップル創業
1980年代 バブル経済
1990年代 バブル経済崩壊
2000年代 失われた10年
2006年 長崎さるく博
2008年 大阪あそ歩
2011年 『大阪あそ歩まち歩きマップ集』発売
●ツーリズムとはなにか?
観光という言葉の由来
『易経』より「国の光を観る。用て王に賓たるに利し」
高度経済成長時代の産物「マスツーリズム」の弊害
1.自然環境の破壊
2.文化の侵害(ショー化、見世物化)
3.収益構造(東京一極集中化)
コミュニティ・ツーリズムの勃興
【大阪あそ歩の事例紹介】
正史へのアンチテーゼ 稗史(はいし) 野史
「ものがたり」の豊かさ
●コミュニティ・ツーリズムの可能性
血縁 地縁 社縁の崩壊
無縁社会へのアンチテーゼ・・・好縁社会
真の市民主義
「大阪はそもそも市民主義のまちだった」
「ほんまもんの大阪」への回帰
サスティナブルなまちづくり
新しい「まつりごと」(政)
阪神電車は、文字通り大阪と神戸を結ぶ電車です。都市と都市とを結ぶ、当たり前の、当然の、大衆の需要にお答えした電車です。現実的で堅実でリアル。足。交通機関。
対する阪急は元は「箕面有馬鉄道」。箕面の滝と有馬温泉を結ぶ電車からスタートしました。滝も温泉も風光明媚な景勝地。人間なんて住んでません。猿しかいなかった。これ、ほんまです。そんなところに鉄道を通して電車を走らせた。
やったのは阪急創業者の小林一三。当時の鉄道経営のセオリーから言えば常識外れ。横紙破りです。しかし小林一三はやった。田舎に鉄道を走らせ、同時に駅周辺の土地を買い漁り(なんせ田舎だから安い)そこに新興住宅を開発して「サラリーマンでも月賦払いでマイホームが持てまっせ!」とやった。これが当たったんですな。俗に言う郊外都市構想。または田園都市構想。住むとこ(職場)と働くとこ(住居)を分けた。職住分離のはじまり。
さらに小林一三は、何もない新興土地では面白くないと、エンターテイメント施設を人工的に作り上げることを思いつきます。そこではじめたのが宝塚少女歌劇団。これは大阪ミナミ、宗右衛門町の芸妓学校がヒントでした。これまた大ヒットして、やがて東京宝塚→東宝が出来て映画興行の世界にも進出していきます。
小林一三曰く「乗客は電車が創造する」。乗客がいるとこに電車を走らせるのではなく、まず電車を走らせ、その後、そこに乗客を載せるために、あの手この手のまちづくりに着手する。逆転の発想ですな。
阪急電車はだから、良いようにいえば夢があります。憧れがあります。新興住宅。マイホーム。週末には家族団欒で明るく楽しい宝塚歌劇へ。東宝映画へ。しかし悪いようにいえば地に足がついてないんですな。生活がない。フワフワしてる。リアルじゃない。妙な浮遊感に包まれている。それが阪急電車の特徴です。
神戸ってまちは、そんな性格差、思想差のある阪神電車と阪急電車が東西を併走している。その面白さがあります。落差。ギャップ。これは大阪や京都、東京、他都市には、なかなか見受けられません。
ケインズを読んでいたら彼は「公共事業か、もしくは減税による需要喚起」の有効性をちゃんと述べていました。しかし、もはや大型公共事業なんて時代でもなく。そうするとほんとは減税しかない。ところが官僚は決して減税手段を取りません。
ちゃんとケインズ理論を踏襲すれば、国家の管理統制経済も、それほど酷いものでもないのかも知れませんが、そういう知性ある、品格ある国家が出てこない。官僚は自分たちの都合のいいようにケインズを利用するだけ。
結局、ケインズは、官僚機構の構造的欠陥によって、敗北する。
釈迦は経典も文字も偶像も、なにも残しませんでした。弟子や教団がいたことになっていますが、釈迦の生きざまの清浄さを思えば、それらは勝手に釈迦に感化されて付いていっただけで、釈迦自身は弟子を作ろうとか、教団を残そうという気なんて毛頭なかったように思います。おそらくは釈迦の没後に勝手に「私は釈迦の弟子であった」と自称する人物が何名か出てきたのでしょう。
実際に、仏教最初の経典も釈迦の死後100年ほど経って、ようやく登場してきますが、これらはすべて「如是我聞」(私はこう聞いた)から始まってます。又聞きで、発言責任を明らかにしようとしないところに、自称弟子たちの心苦しい背景を感じます。
キリストは自身では経典を残しませんでしたが、『旧約聖書』を説いた気配があります。また弟子や教団も残しました。釈迦と比肩すると、キリストは随分と社会的な性格だったといえます。これは要するにキリストは「救済」を目指して、釈迦は「解脱」を目指したからといえます。そして釈迦が目指した解脱とは、偉大な古代インド数学が発見した「ゼロ(0)」という概念の哲学化、実践化に近いと考えています。
生老病死、輪廻転生、因果応報からの解脱。仏教用語でいうところの「空」。なにもかもから解き放たれてゼロになる宗教。しかしゼロという概念は、あまりに取り留めがありません。抽象的すぎるし凡人にはよくわからない。これでは宗教としてなかなか成立しえません。そこでなんとかしようと「自称・釈迦の弟子たち」が、各人各様で解釈していきました。ゼロはまた凡ゆる思想、哲学、イデオロギーを内包します。それは「無限大(∞)」に等しい。だからでこそ、各人各様の解釈が成立しえたわけです。
つまり、ある男は「釈迦の本然とは慈悲(大日如来)だ」と云い、またある男は「いや。智慧(文殊菩薩)である」と云い、またまたある男は「いやいや。浄土(阿弥陀如来)なのだ」といったわけです。「西の海に沈む太陽を拝めば良い」といった男もいたし、「南の海に向かって補陀落渡海することだ」といった男もいた。各人各様が勝手に「釈迦のゼロ」を抽出、分析、演繹して、それが小乗や大乗、顕教や密教といったバリエーションに発展していった。これが仏教の面白いところです。
とくにユーラシア大陸のほぼ真ん中のインド大陸で勃興した仏教が、果てしなくトンデモになるのは極東の日本だと感じています。日本仏教はバリエーション具合が半端ないです。じつにユニーク。なにせ日本仏教には妻帯肉食OKなんてのありますから。中国や韓国仏教では考えられないことのようです。また過去には僧兵といって武装化したり、南無阿弥陀仏といって突撃したら浄土に行けるという殉教テロリスト、現在でも選挙になると○○党へ!と電話しまくる仏教徒もいます。釈迦がみたら驚くでしょうな。卒倒するかもしれません(笑)
以上、釈迦の入滅の日に。断想。
昭和3年(1928)、昭和天皇即位を記念した大礼記念京都博覧会のさいに、大阪毎日新聞が出品した東洋で初めてのロボット「學天則(学天則)」の復元です。大阪市立科学館にあります。
巨大な机に人形が座っていて、高さは約3.5メートル、幅約3メートル。上部に「告暁鳥」なる機械仕掛けの鳥がいて、この鳥が鳴くと學天則は瞑想を行い、その後、左手にもった「霊感灯」(インスピレーション・ライト)が光を放って、右手にもった鏑矢型のペンで、ひらめきを文字に起こしたそうです。ゴムチューブによる空気圧の変化が動力源で、それで腕を動かしたり、表情を変えたりしたとか。
制作者は大阪毎日新聞の論説顧問で、阿寒湖のマリモの保護に尽力した生物学者・西村真琴。「生物学者がロボットを作った」というところがSF好きにはたまりませんな。また、學天則という名前は「天則(自然)に学ぶ」という意味やそうで、じつに生物学者らしい命名といえます。
ちなみに西村真琴の次男は、水戸黄門役で有名な俳優・西村晃です。黄門さまの父親が作ったロボット・・・そういう風に考えると、なんや、よう、わかりませんな(笑)
キリストは十字架に架けられて復活した。空海は20年間の唐留学の予定が密教の奥義をわずか2年で習得したので帰国。源頼朝は伊豆で平家打倒のために挙兵。モーツァルトは傑作『クラリネット五重奏曲』を作曲。ゲーテはワイマールのフラウエンプランで大蔵長官となって政治に専心。信長は美濃を制圧して岐阜城に入り「天下布武」の朱印を用いる。モネは『印象・日の出』を発表して、これが印象派画壇の誕生に。ノーベルはダイナマイトを発明。漱石は英国留学してノイローゼに。ゴーギャンは株式仲買人だったが絵を描くためにドロップアウト。オダサクは急死して「ロマンを発見した」の遺言を残す。黒澤明は助監督の腕を高く評価されて異例の速さで昇進して『姿三四郎』で監督デビュー。
本日、ぼくも33歳になりました。感謝。
大阪あそ歩ガイドの足代健二郎さんからの御案内です。このたび『ニッポン猪飼野ものがたり』(監修:上田正昭京都大学名誉教授 編集:猪飼野の歴史と文化を考える会)という面白そうな本が出るようです。発刊記念講演会もあるとか。ご興味のある方はぜひともご参加してみてください。
『ニッポン猪飼野ものがたり』発刊記念講演会
日時:平成23年2月26日(土)14:00~16:30
■ 摂津と河内 二つの百済(京嶋 覚氏) 14:00~
■ ポストコロニアルと在日文学(元 秀一氏) 15:10~
河内の郷土文化サークルセンター加盟の「猪飼野探訪会」編集『ニッポン猪飼野ものがたり』(批評社)の発刊の記念も兼ね、お二人の執筆者に古代と近代の生野区のコリアンの世界について語っていただきます。百済滅亡後に渡来した人々の活躍について、在日の濃厚な文学の今日について考えます。
【講師プロフィール】
京嶋 覚(きょうしま・さとる)
1956年生まれ。(財)大阪市博物館協会 大阪文化財研究所職員。立命館大学で博物館学を教える。古墳時代から古代の社会史を研究。論文多数。 『大阪遺跡』(創元社)の編集を担当。
元 秀一 (ウォン・スイル)
作家 在日コリアン二世 1950年猪飼野生まれ。大阪市在住。主な作品に短編小説集「猪飼野物語」 長編小説「AV・オデッセイ」など。在日の人間模様を描いている。
会場:大阪商業大学ユニバーシティホール蒼天
参加費:500円(資料代)
問合わせ先:河内の郷土文化サークルセンター事務局(大阪商業大学 谷岡記念館内)
〒577-8505 東大阪市御厨栄町4-1-10
TEL 06-6785-6139
FAX 06-6785-6237
主催 河内の郷土文化サークルセンター
江戸時代の大坂には「喧嘩屋」という妙な商売がありました。
例えば、2人の遊び人のあいだに不和が起こるとします。しかし、その場では喧嘩をせずに、遊び人は、それぞれ馴染みの喧嘩屋に相談にいくんですな。依頼を受けた喧嘩屋は、大坂三郷から派手派手しく、仲間を集めてきます。人数が5人、10人、30人と増えていき、それは、相手方の喧嘩屋にも解るようになってます。
ある程度の人数になると、単なる喧嘩が、大喧嘩になります。こうなると市中も大いに乱れるではないか、ということで、大物の仲裁者が現れて、結局、なにも起こらずに丸く収めるわけです。喧嘩屋に頼めば、まあ、滅多なことでは喧嘩が起こらなかった。要するに「喧嘩しない喧嘩屋」です(笑)
いまでいえば強力な破壊力を持つ核ミサイルが戦争制止力になるのと、同じ理屈です。高度な政治的判断。これも大坂の町衆の知恵ですな。