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‘雑感’ カテゴリーのアーカイブ

秀吉の誕生日

2009 年 2 月 6 日 Comments off

「つゆと落ち つゆと消えにし 我が身かな なにわのことは 夢のまた夢」といえば関白太政大臣・豊臣秀吉公の辞世句。その秀吉の誕生日が、じつは2月6日です。

関西の祭や寺社仏閣を取材していると秀吉、豊臣家ゆかりのものがわんさかと出てきます。たとえば大阪天満宮の天神祭の太鼓は秀吉が奉納したものと伝えられるし、全国三大山車祭の滋賀県・長浜曳山祭も秀吉の子供の誕生を祝ったことが由縁とか。

また淀殿と秀頼は秀吉の冥福を祈るため、数多くの寺社仏閣を再興しました。列記しますと四天王寺、住吉大社、誉田八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、叡福寺、観心寺、聖神社、北野天満宮、醍醐寺、東寺、石清水八幡宮、鞍馬寺、相国寺、中山寺、西宮神社、薬師寺、法華寺、出雲大社、伊勢神宮宇治橋など。これは「豊臣家の勢力を削ごうと徳川家康が寄進をそそのかした」という歴史的背景があるんですが、ちょっとした名所巡りですわ。

大阪にとって秀吉は所縁の深い人物です。大阪城はもちろん、現在に繋がる商都・大阪の基礎(船場の整備)を作ったのが秀吉ですから。しかし、そのわりに「秀吉の誕生日を祝う祭」が大阪にはないようで、ちと寂しい限り。まさに「なにわのことは夢のまた夢」状態ですな。

ちなみに江戸は家康が整備したように思われがちですが、それはちょっと訂正がいります。というのも、駿河にいた家康に対して「関東に拠点を構えなさい」と移転を命じたのは秀吉ですが、当初は家康は北条家の旧領地だった小田原城(神奈川県)に入ろうとしていました。ところが秀吉は「小田原なんてやめて江戸にしなさい」と諌めるんですな。

当時の江戸は何もない原っぱで、こんなところに都市が作れるか!と当初、家康は秀吉の嫌がらせと認識したようですが、秀吉は「城攻めの名人」ですが、また「城作りの名人」「町作りの達人」なんです。天然の良港と広大無辺の武蔵野を持つ江戸(東京)の大都市発展への地理的優位性を、北条家や家康よりも、誰よりも真っ先に悟っていたんですな。家康も秀吉に言われて、しぶしぶ江戸に居を構えて町作りをすると、この土地の可能性は素晴らしいと認識を改めます。それと同時に秀吉の都市計画の才能にも舌をまいたことでしょう。

「大阪」「東京」という世界的大都市の土台を築いた秀吉の天才は、もうちょっと知られていいかも知れません。


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住吉大社 真弓常忠宮司 『住吉信仰-いのちの根源、海の神』

2009 年 2 月 4 日 Comments off



皇學館大学名誉教授、住吉大社の真弓常忠宮司から直々に御本を頂戴いたしました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4886021875
http://www.sumiyoshitaisha.net/outline/message.html

住吉の神はどこで誕生したのか。多様な祭りの意味するところは何か。住吉大社の宮司がその奥深い信仰の森にわけ入り、日本人の心の源流に触れる。住吉神の発祥、近世における住吉信仰、住吉大社の祭り、埴使の謎などで構成。

勉強させていただきます。


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織田作之助(オダサク) 『夫婦善哉 完全版』(雄松堂出版)

2009 年 1 月 29 日 Comments off



http://www.yushodo.co.jp/press/meotozenzai/index.html

読みました。「オダサクの幻の続編」ということですが、あの大阪人の心の名作『夫婦善哉』に、とってつけたような続編だったら凹むなぁ、と思って、本はずいぶん前に買ってはいたものの、なかなか読まなかったのですが、ついにとうとう読みました。

正編からちゃんと読んでみたら、じつは続編の別府行きは正編から複線が張られていて、最初から最後まで、オダサクの中では、ちゃんとプロットが練られていたことに気づかされました。驚きましたねぇ。正編で一端、筆をおいたわけですが、すでに別府行きの続編は最初から想定されていたんですな。優れた作家って、ここまで用意周到に物語を準備しておくんやなぁ、と感心しました。

続編も軽いタッチで終わってます。「午年同士で午が合う」なんて落語みたいなサゲです。しかし、正編のラストシーンの、蝶子と柳吉が夫婦善哉を食べて

「こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」蝶子は「一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ」ぽんと襟を突き上げると肩が大きく揺れた。蝶子はめっきり肥えて、そこの座蒲団が尻にかくれるくらいであった。

・・・これほどのオカシミ、軽妙洒脱には至っていません。続編は、正直、ちょっと重い。時代の空気のようなもんでしょうか。それはそれで興味深いんですが、オダサクが続編を書き上げておきながら、あえて公開しなかった理由も、よくわかります。

面白かったのが、別府人は、大阪人に非常に親近性を持っているとか。その昔、別府に湯治で遊びにくる人の半分以上が大阪人だったそうで、大阪・天保山から船で出て、一晩寝ると別府につく。別府人からすると大阪は隣町のようなイメージなんだとか。これは別府オンパクを体験したオダサク倶楽部の井村先生から聞かされた話です。なるほどなぁ。

この距離感は、例えば夏目漱石の『坊つちやん』の「東京育ちの清」と「松山に赴任する坊つちやん」の距離感とはずいぶんと違います。訳ありの、大阪の男と女の、定番の不倫旅行先、駆け落ち場所・・・大阪と別府は、そういう都市関係にあった。そういう雰囲気の中に、続編はあります。舞台設定の妙ですな。これはこれで、非常に味わい深いものでした。


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イベント学会 キンサロIN大阪

2009 年 1 月 27 日 Comments off

http://eventology.org/1/2008_12_25_archive.html

行ってきました。ぼくはイベント的発想やイベント的現象に懐疑的で、なんでもかんでもイベント化しつつある社会に危惧を感じます。イベント化とは端的にいえば一過性です。一過性はまた無責任と表裏一体です。

歴史や文化、文明は水平軸の存在です。連綿と続いて、連続して、持続発展していくサスティナブルなものであるのに、それを垂直型に唐突に割り込もうとするのがイベントです。一時的には、社会のある一面を極端に照射しますが、それが社会の土壌に根付くことは非常に難しい。イベントは常に一過性で終わる。だからでこそイベント(出来事)といいます。

例を出します。ぼくは民主主義を信じています。しかし民主主義を実現するための「選挙制度」には懐疑的です。選挙制度は何月何日に立候補者が公示されて、何日間か選挙演説を行って、投票日になると有権者が投票行為を行って、多数票を獲得したものが政治家という立場で民主政治を代行します。アメリカ大統領選挙のような長期間行われる選挙制度もありますが、基本的にはこれは一過性の現象でイベントといえます。

近代の議会制民主国家の多くは、選挙制度というイベントの結果で民主政治を実現しようとしてきました。しかし、それで果たして民主政治をどれだけ実現することができたのか?新聞の内閣支持率調査を鵜呑みにするわけではないですが、それでも支持率15パーセントの首相が存在するのはどこかシステム、制度として欠陥があるのでは?と思わざるをえません。

オバマ氏がアメリカ大統領に選ばれましたが(現在80パーセント近い支持率だそうですが)、大統領の任期期間は「4年間」で、この4年間が、じつは一過性です。また大統領選挙でも支持基盤向けに大げさなリップサービスや、明らかな利益誘導、大衆迎合のパフォーマンスが行われました。オバマ氏を攻撃するわけではないのですが「チェンジ!」は公約でもなんでもないです。なにもいっていないに等しい。これはただの選挙向けのパフォーマンスです。それに大衆が踊らされて雰囲気や勢いで大統領が決まる。一歩間違えれば恐ろしいことと思いませんか?

要するに「選挙制度」や「任期」というイベント的発想や手法が民主主義を歪めてしまっているんです。ぼくが基本的にノンポリであるのは、こうした政治システムに対する根底的な疑問があるからです。現在の政治はイベント的事象であって、ぼくらが生きる大地(社会、歴史、文化、文明、宗教、地域、家族、血縁、地縁)に根ざしたものではない、という思いがあるからです。ぼくらはぼくらのやり方で、民主主義社会を実現しないといけません。その方法論は選挙や任期といった政治システムの改良ではなくて、政治という範疇を凌駕する「まつりごと」だろうとぼくは思っているのですが、さて、では「まつりごと」とは一体なにか?…この話をすると滅茶苦茶長くなるので割愛します(笑)ただ、ぼくはいま真剣、必死になって「まつりごと」をやっていきたいと思ってます。まじめに。そして多少の遊び心をもって。

なんでもかんでもイベント化する現象は今後も続いていくようです。既存社会が閉塞的状況に陥っているので、それをイベント的手法で誤魔化そうとする人々があまりに多いからです。しかしイベント的手法で社会を変革することは不可能で、むしろ事態は悪化していく一方でしょう。自民党がダメだからと民主党に政権を任せても、おそらくあまり事態は変わらないです。イベント(選挙制度)に期待してはダメなんです。ぼくらのライフは、誠実に、一歩一歩、日々を積み重ねていくものだから。親から子に伝わるような、遺伝子のような、「まつりごと」を残さないと。

以上は、イベント学会に参加して、名だたるイベンター、イベント・プロデューサーの方々と話をして思ったことです。皆さんも同じような危機意識はお持ちのようでしたが。


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御食事処あさひ

2009 年 1 月 26 日 Comments off

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http://www.kare-tenpuraudon.com/

メニューは「カレー天ぷらうどん」「カレーうどん」のみ。 絶品でした。


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福田定一

2009 年 1 月 24 日 Comments off

福田定一。学徒出陣で陸軍に徴兵されて満州へ。訓練だと意味もなく平野を走らされ「こないなもん何の役にも立てへんわ!アホちゃうか!」と大阪弁で大声で喚きながら走ってた。同僚の東北の学徒は無言で黙々と走りながら「大阪の人間は得体が知れない」と戦々恐々としていた。

これが後の司馬遼太郎。


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織田作之助(オダサク) 善哉忌 「ロマンを発見した」

2009 年 1 月 19 日 Comments off

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「ロマンを発見した」とは「夫婦善哉」で有名な大阪が生んだ夭折の天才作家オダサク(織田作之助)の伝説的な遺言。先だって1月12日に楞厳寺(大阪市天王寺区)でオダサクを偲ぶ「善哉忌」が行われました。

※織田作之助
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BD%9C%E4%B9%8B%E5%8A%A9

「万葉以来、源氏でも西鶴でも近松でも秋成でも、文学は大阪のもんだ」 というのがオダサクの弁とか。
http://www.osaka-brand.jp/panel/books.pdf

オダサクの同級生の田尻玄龍ご住職から、オダサクの思い出話などをお聞きしたあとに献花をして、ご焼香を上げさせていただきました。寒かったですが、ええ青空でした。合掌。


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天天,有

2009 年 1 月 18 日 Comments off

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「天天有」といえば、京都・一乗寺ラーメンとして日本全国のラーメン通には有名ですが大阪・住之江にもあります。チェーン店ではなくて、じつは京都の「天天有」の親戚なんだとか。だから「天天,有」と「,」が入ってます。

京都店
http://gourmet.yahoo.co.jp/0006712096/

大阪店
http://gourmet.yahoo.co.jp/0002075968/

雑誌、テレビの常連で、フランチャイズ化して、コンビニでカップラーメンを販売しているのは京都の系列。大阪のほうは昔ながらの味を頑固に守り、地元の人に愛される名店です。たまに行きますが隠れた住之江名物。オススメです。


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地方議員の存在意義と、地方都市の再生

2009 年 1 月 10 日 Comments off

アメリカもイギリスもフランスもドイツも、地方の市議員はほぼボランティアだそうです。報酬なんてごくわずか。議員といえども他に仕事をもっているのが常識とか。また大抵、市議会は夜に開かれるそうで、サラリーマンでも参加が可能なシステムになっています。

要するにサラリーマンとか、主婦とか、酒屋のおっさんが、ボランティアとして市議会をやるわけです。名誉職のようなものですな。そして、自分の職業と関連するような議会には出られないようになってる。酒屋のおっさんは酒関連の条例を決める議会などには参加できない。つまり、自分たちの業種に都合がいいような、利権行為が、基本的にはできないようになってるわけです。

ボランティアでも議員をやろう!というぐらいの人たちですから、当然、都市、まちのことを真剣に考えてます。「普通にまちで生活してる、働いている一般市民」が議会に参加してこそ「市議会」だというわけですな。ぼくもこの考え方に基本的には賛成です。年間何千万円もの議員報酬をもらって、それだけで生活しているとなると、これは市民ではなくて、一種の政治屋ですから。市民不在の市議会。それでいいのだろうか?という疑問。

いま地方都市はお金がありません。どこも大赤字でデフォルト寸前。そのうち必要に駆られて、自然と、地方行政は変わっていくでしょう。議員のあり方、議会のあり方も変容せざるを得ない。その議論を経て、やがて、市民の、市民による、市民のための、市議会、市行政が、実現されんことを。

そうやって「ほんまもんの市議会」が成立した地方都市から、再生していくと思います。


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犇犇

2009 年 1 月 8 日 Comments off

あけましておめでとうございます。

年始から仕事仕事で、まったく正月という感じがしませんが・・・まぁ、時にはそういう正月もあっていいかな?と思います。 今年の抱負は色々と考えたのですが「犇犇と伝える」でいこうと思っています。牛年ですので牛に因んでみました(笑)

今年も何卒よろしくお願いいたします。


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