住吉大社を舞台にした物語で、有名なのが源氏物語の「澪標」の帖。
左遷されて須磨、明石に流された光源氏が恋に落ちたのが明石の君。 しかし光源氏が政界に復帰すると、二人は泣く泣く別れてしまう。後日、明石の君が、住吉大社に参詣に向かうと、ひょんなことに光源氏も住吉大社に参詣に来ていた。ところが明石の君は、太政大臣・光源氏の晴れ姿を見て「もう自分とは遠い世界の人になったのだ」と何もいわずにひっそりと去る。そのあとに「明石の君が来ていましたよ」と教えられて光源氏が送ったのが以下の歌です。
「みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも 巡り逢いける 縁は深しな」
大阪は住吉を舞台にした恋の物語。住吉、なかなか情緒と風情があって、ええとこでしょ?ぼくはそういうまちで生まれました(笑)
http://www.akifukaki.com/
http://www.akifukaki.com/theaters.html
見に行こうと思ったら大阪ミナミで映画上映やってないんですな。梅田か堺か八尾しかやってません。「映画みたあとに千日前、黒門市場へ!」なんてコースを考えてたんですが、それが出来ない。オダサクの映画なのになぁ・・・。
どれだけ立派な巨大ダムやスーパー堤防を造っても、100年に1度の大洪水、300年に1度の大大洪水、1000年に1度の大大大洪水には決壊します。そんな超大型公共事業に何百兆円という天文学的なお金をつぎ込んできたのが、戦後日本でした。良いようにいえば天災を事前に防ぐ「攻めのリスクマネージメント」。しかし正直いえば「○○○年に1度の天災の恐怖」を煽って業者や官僚、政治家などが癒着している事例も数多くありました。
あえて暴言を吐きます。「諦めることも肝心です」。いつか天災は来るんです。必要なのは、天災に襲われた時の、助け合いの精神です。常日頃から住民たちは「向こう三軒両隣」という関係性を形成することです。人間は弱い存在なんだから、天災に襲われた時は、一緒に苦しみ、泣き、笑い、助け合わないといけないという共有認識。「受けのリスクマネージメント」です。
こちらはそれほどお金はかかりません。そして、実際に天災時に役立つのは「攻めのリスクマネージメント」ではなくて「受けのリスクマネージメント」だったりします。ダムや堤防といった「ハードウェアのリスクマネージメント」ではなく、住民自治、コミュニティによる「ヒューマンウェアのリスクマネージメント」ともいえます。
謙虚に。我々は、とても哀れで、弱い存在です。だから、強くなれるはず。
2008年11月13日。「大阪あそ歩’08秋」の企画で、高麗橋にある本吉兆にいってきました。
http://www.kitcho.com/osaka-hon/
1979年、1986年、1993年と、過去3度の東京サミットで、先進諸国首脳をおもてなししたのが、大阪が世界に誇る日本料理の最高峰「高麗橋吉兆」(本吉兆)です。創業者の湯木貞一氏は、日本文化の「一期一会」の美学を追求して、紫綬褒章、文化功労者にも選ばれた伝説の料理人。その本吉兆の料理を味わおうというのが今回の企画で、本来は紹介制で一見さんお断りのお店なのですが、「大阪のまちの文化を見つめ直そう」ということで、本吉兆さんにご協力頂いて、今回の企画が実現しました。
伝統的な数寄屋作りの吉兆に入ると、千成瓢箪の暖簾が飾られた風情な玄関口で、最初は「澪標(みをつくし)の間」へと案内されました。本来はここもお座敷だそうですが、今回は待合室として利用されました。大阪都心のど真ん中にこんな静寂な空間があるなんて…と、その美しい静謐な佇まいだけでも一見の価値があります。
次に案内されたのが「蔀(しとみ)の間」で座席につくと本吉兆の湯木潤治社長からお献立の説明。お献立のはじめは「絵ノ具皿八寸」で、菊柚子三種、柿なます、しめじ茸とんぶり和え、烏賊キャビア添え、前菜色とりどり。次は「お椀」で、海老糝薯と焼き餅。「造里」は鯛、烏賊、子鮪。「お凌ぎ」に秋草吹寄せで、「焼きもの」は杉板焼 鰆、松茸、白葱……と、まるで極上のアート作品のような料理が次から次へと出てきて、もうなんと形容していいのやらの絶品の美味しさ。
吉兆の料理を味わって考えさせられたのは本吉兆の料理というのは決して奇をてらったようなものが出てくるのではなくて、非常に正統的でマジメな料理だということです。湯木貞一氏が吉兆の料理を完成させたときは、これは従来の日本料理にはなかった革命的なものだったと思いますが、その革命性ゆえに、もはや日本料理の「常識」になったんでしょう。極めてオーソドックス、オーセンティックな料理であって、「日本料理のスタンダードを作った」ということが、本吉兆のすごさといえます。
今回の本吉兆は、大阪くいだおれシリーズ第1弾ということで、「大阪のほんまもんの食文化を見直そうやないか」という主旨で企画されました。「くいだおれ」と聞くと、お好み焼やたこ焼きといったイメージが先行しがちですが、そういう庶民的なグルメだけではなくて、本吉兆のような日本料理を代表する世界に冠たる高級料亭文化というのも、れっきとして存在しています。このバリエーションの振幅が大阪の食文化の深さなのでしょう。大阪のほんまもんの「くいだおれ」を満喫しました。
観光経済新聞社に「大阪あそ歩’08秋」のことが掲載されました。
http://www.kankoukeizai-shinbun.co.jp/backnumber/08/11_01/chiiki_kanko.html
大阪市と大阪商工会議所、大阪観光コンベンション協会、水都大阪2009実行委員会はこのほど、「大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会」を発足した。市民自らがガイドとなり来訪者と交流しながらまちを紹介する「まちあるき」の取り組みを支援するほか、地域に密着したさまざまな観光資源や魅力の情報を広く発信していく。
会長は大阪観光コンベンション協会理事の長藤一博氏。総合プロデューサーとして大阪府立大特別教授で、建築史、都市文化論を専攻し大阪の都市計画やまちづくりにも深く関わる橋爪紳也氏、チーフプロデューサーにフリーのイベントプロデューサー茶谷幸治氏、アシスタントプロデューサーにフリーライターの陸奥賢氏を迎えた。
発足記念事業として「大阪あそ歩(ぼ)08′秋」を開催。11月11日には大阪物語りシリーズとして「心中天網島〜紙治と小春のこの日」、13日は大阪食い倒れ料亭、料理店を楽しむシリーズとして「高麗橋吉兆(本吉兆)」での食事会などを実施する。今後、春と秋の2回程度「大阪あそ歩キャンペーン」を展開。
協議会では市民と来訪者の交流を拡大することで、地域の人々の地元に対する認識と愛着を深めるとともに、観光振興に寄与し、地域経済の活性化につなげる。具体的には、市民ガイドボランティアグループと連携し、旅行業者への売り込みや協賛の確保などの対外的な交渉、インターネットやチラシを使った情報発信などを行う方針だ。
堺市、大阪狭山市、河内長野市の3市の共同プロジェクトで、来年春頃に「西高野街道」(堺~大阪狭山~河内長野~和歌山県橋本~高野山)をテーマにしたガイドブックを発行します。今年の春から西高野街道について、あれやこれやと文献を調べたり、実際に街道を歩いて、現地調査などを行い、いま校正段階まで来ているのですが、この西高野街道が深いといいますか、じつに面白いんですわ。
大阪というのは古くから街道が発達した都市で、例えば竹内街道(堺~松原~羽曳野~太子~竹内峠~奈良・飛鳥)というのは、推古21年(西暦613年)に作られた「日本最古の国道」といわれています。「国道」「官道」であるだけに、歩いてみると道が「まっすぐ」であることに気づかされます。港(堺)と都(飛鳥)を結ぶ官製道路なんで、合理的で直線的なんですな。
西高野街道は、いつ頃できたのかは定かではないのですが、くねくねと曲がっていますし、細道、坂道、脇道、鉤字、三叉路、分岐点などが非常に多い。高野山という山岳宗教があって、それに向かって周辺の人々が散り散りに歩き出した道ですので、お決まりのコースというのは実はないんです(そのおかげで地図作りが大変なんですが)。民衆が作り上げた道というのが歩いてみれば、よくわかります。
また面白いのが、高野山への道だから真言密教の道というわけではなく、いろんな宗教が入り乱れて混在としています。聖徳太子、行基菩薩ゆかりの地や、「太神宮」という現地在住の方のみに信仰されている神さま、安倍清明の辻、北斗七星を信仰する妙見さん、無数のお地蔵さんやお稲荷さんなど、弘法大師以前のお寺や神社が無数に存在していて、何がなにやらさっぱりわからない。はては人魚のミイラなんて奇怪なご神体にも出会いました。
http://mutsu-satoshi.com/2008/10/30/
この西光寺というのは、和歌山県橋本市の山間にあります。山間から見渡せば、遠くに紀ノ川が見えますが、人魚なんてどこにもいるように思えません。摩訶不思議な寺院ですが、ここで「ほんまもんの人魚かどうか?」なんてことを訪ねるのは無粋というもので、こういう人魚のミイラを信仰した民衆の存在はまぎれもなく「ほんまもん」ですから。高野街道の魅力というのは、そういう寓話性、物語性にあります。民衆の「想い」「祈り」「救い」がたくさん残っている。そういう意味では、高野街道には「ほんまもん」がたくさん詰まっています。どうです?素晴らしい街道や思いませんか?
ガイドマップが完成すれば(2009年春頃予定)、堺市、大阪狭山市、河内長野市の役所、駅などで配られます。数も少なく、なかなか入手は難しいかもしれませんが、ぜひ手にとって、高野街道を歩いてみてください。
苅萱堂(西光寺)にて拝見させていただきました。
http://www.hashimoto-kanko.com/detail/index.php?%B4%A3%B3%FE%C6%B2
昔、佐賀県伊万里の松浦一酒造さんで「河童のミイラ」を見たことがあるんですわ。
http://www2.saganet.ne.jp/kappa/miira.htm
あんときも驚きましたが「まぁ、佐賀県伊万里なら、そういうのがあってもおかしないかなあ」なんて思っておりました。しかしぼくの地元を通る西高野街道(堺~高野山までの巡礼街道)にこんなもんがあったとは・・・。驚きましたよ。
西高野街道は深いです。色んな民衆宗教が混在していて、とてつもなく奥が深い。ウォーキングガイドブック(来年春に発行予定)作成の仕事で取材したのですが…良い経験させてもうてます。
高野街道の本を作る仕事があって、堺市内の図書館で「高野街道」と名前がつく本や資料はかたっぱしから借りているんですが、それらを片手に街道を歩くと、あまりにも記述にマチガイが多いことに気づきました。
地方新聞や地域の郷土研究家の本はさすがに素晴らしい情報量なんですわ。事細かに調べております。若干、マニアックともいえますが(笑)逆に世間では名前が通ってる某巨大新聞の「高野街道をたずねて」なんてコラム記事がめちゃくちゃ取材がいい加減です。石碑の場所はまちがえてるし、地名はまちがえてるし、寺の開基の年号もまちがえてるし・・・あまりにもずさんな取材で驚きました。
そもそも地方には「地方新聞」というのがあって、ちゃんとしたメディアの地位を確立しています。たとえば愛知では中日新聞(275万部)、北海道では北海道新聞(121万部)、広島なら中國新聞(72万部)、神戸なら神戸新聞(56万部)、京都なら京都新聞(51万部)、新潟の新潟日報(50万部)、山陽の山陽新聞(48万部)などなど……東京にすら東京新聞(59万部)なんて地方新聞があります。
ところが大阪には、そういう「地方メディア」として影響力を持つ新聞が乏しいんです。「大阪日日新聞」(ぼくは愛読してますが!)という素晴らしい媒体はあるんですが、いかんせん発行部数は7750部ほど。良い新聞なのに、大阪府民は880万人もいるのに、1万部に満たないのは、忸怩たる思いがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%97%A5%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E
なぜ大阪だけ、こんな状況になっているのか?というと、昔は大阪にもちゃんと地方新聞があったんですが、これがだんだんと巨大化して「朝日新聞」(元は大阪朝日新聞)や「毎日新聞」(大阪毎日新聞社が東京の日報社を買収して毎日新聞に)、「産経新聞」(夕刊大阪新聞社から「日本工業新聞」として創刊)になってしまったんですわ。大阪の地方新聞だったのに東京の四大新聞になってしまい、おかげで大阪に立脚した、大阪を代表する地方新聞というのがなくなってしまったわけです。
明治以降の中央集権国家構造が閉塞して「地方の時代」に突入しようと舵取りしつつあるときに、大阪の情報を誠実かつ良心的に発信する媒体が大阪には欠けているんです。これは地方都市・大阪として非常にリスキーな状況で、大阪の悲劇でもあります。実際に京都新聞なんか凄いですよ。京都のことを調べようと思ったら、ぼくはまず、とにかく京都新聞をリサーチします。四大新聞が束になっても適わないネットワークを持っていて、事細かな京都情報を掲載していますから。大阪にもそういう新聞を作る(育てる)必要性があります。とくに僕はライターでメディアに携わる人間ですから、「大阪メディアの空洞化」には多大な危機意識をもってます。
別段、新聞という媒体でなくてもいいと思いますが、地方メディア=大阪メディアの確立は急須でしょう。いつまでたっても大阪がYTT(吉本・たこ焼き・タイガース)といった一元的なイメージから逃れられないのも、このあたりに起因があると見てます。
人類の過去2000年間の経済成長率というのは、平均すると「年率実質0.2パーセント」とか。とくに西暦1世紀から17世紀ごろまで(産業革命以前)は、ほとんど横ばい状態。
産業革命以前に生まれ、仮に50年の生涯とすると、生まれてから死ぬまでで、ようやく10パーセントほどの経済成長ということになります。これでは、ほとんど自分の暮らしの向上に対して無関心で、なんの変化も感じなかったでしょう。 それほど、ゆっくりと、じっくりと、人類は歩んできた。
要するに現代日本の年率1パーセントの経済成長でも人類の歴史の中では異常な事態だということです。中国のような年率10パーセントの経済成長などは、もはや天変地異、青天の霹靂のレベルです。過去の人類の営みを大きく逸脱している。そんな猛スピードで経済成長する社会は、それ相応のリスクが発生しています。例えばエネルギーの枯渇であったり、自然環境の破壊であったり、コミュニティの崩壊であったり、なにかしらの人類社会を脅かす弊害、危機が巻き起こっている。
いまのぼくらに必要なのは、市場規模を抑制する智恵と勇気です。極論をいえば、ぼくは全世界の市場の成長率は「年率0.2パーセント」でいいと思ってます。それが人類の長年のスタンダードなんですから。なにを急いでいるのか。焦っているのか。
ゆるやかに、たおやかに、しかし、健康的に。歩みは遅くても、健全な人類社会の成長度合いがあるはず。それを尊重したいと思ってます。
来月10月2日に、南大阪を楽しむための地域情報サイト「キットプレス」さんから「南大阪のおいしいお店」(定価980円)というグルメムック本が販売されます。
※南大阪を楽しむための地域情報サイト「キットプレス」
http://www.kit-press.com/index.html
※南大阪のおいしいお店
http://www.kit-press.com/mook/minamiosaka/index.html
じつはこのムック本で、ぼくが取材ライターとして制作に携わりました。もしどこかの書店でお見かけしたらぜひとも買ってください。立ち読みはあきまへんで(笑)
ライターなんて稼業をやっているとグルメ取材が多く、世間一般の人よりは色々なところで美味しいものを食べている自負はあります。そんなぼくが驚いたのが南大阪、泉州グルメのレベルの高さ!これが半端やなくて、ほんまに美味しいんですわ。大阪市内にも素晴らしいお店はありますが、泉州地域のほうが総体的な、平均的なレベルは高いのでは?と、認識を改めました。
なぜレベルが高いか?といいますと、やはり南大阪は大阪市内に比べると、まだまだ都市化していないんです。自然が豊かで近郊農業が非常に盛ん。「地産地消」が生きてるんですわ。取材していてもレストランでは「貝塚の水ナスを使ってます」、ケーキ屋さんでは「泉州地鶏の卵を使用しています」と自慢げにおっしゃるお店が多い。これが大阪市内だと残念ながら「北海道産のジャガイモ」とか「宮崎県の地鶏」になってしまう。フードマイレージといいますが、やはり鮮度が違いますから。食材の良さという点で南大阪・泉州に地の利があるようです。
また関西新空港ができてから、泉州地域は急速に多国籍化しました。欧州の田舎料理のお店やらアジアの本格エスニック料理店やらと、いろんなお店が意外なところに出来ています。バラエティ感に富んでいて、じつに面白い。大阪の観光といえば大阪市内ばかりがクローズアップされがちですが、市内以外にも面白い土地柄や、美味しいグルメがいっぱいあります。ぜひ「南大阪のおいしいお店」を買って要チェックしてください。