八尾八尾。調べたいことがあるが、図書館、あいてないのツライ…orz 仕事にならんやないかああああ!!!
日本の精神疾患の患者数は400万人を超える。ストレスフルな日本社会の犠牲者といえる。しかも年々、増加している。
最近(去年、コロナ以降)のデータはわからないが、コロナ禍+補償なき自粛などでメンタルヘルスを崩す人は多そうだ。僕の周りにもそういう話が入ってくる。
メンタルをやられてしまうのは若い子らが多い。それなりに専門機関やセーフティネットはあるが、届かない。ちょっとした「キッカケ」がないと、自分から医者にかかろうとか相談しようといったアクションが起こせない。心が弱まるとはそういうこと。
だから、こちらから届けるしかない。ちょっとした「お節介」をせなあかんのです。ほんのわずかなメッセージでもいい。「最近、どない?」でいい。
僕の場合、それで少しやりとりしたら「なんか、むつさんの方が大変そうですね…」と逆に慰められたりする。
まぢか。おれ、そんなひどいのか…。
全国504名のまわしよみムーファンのみなさま、こんにちは。本日、ムー、発売です!2021年6月号。本屋にダッシュして購入して5/21に備えましょう!
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僕みたいにすぐ「もうあかん!」と弱音吐く奴はええですがそれすらいえない人は多い。若い子に多い。弱音を吐く練習がいりま。repeat after me.mouakan!
泉北ニュータウンまち歩き。泉ヶ丘北を歩く。竹城台、宮山台界隈。
ニュータウンとかいって、近代近代してますが、ちょっと入り込んだら、もう、いきなり、古代が顔を出してくる。
ニュータウンのB面というか、知られざる幻のオールドタウンというか。
僕の母方(綿野家)は古くから堺・旧市街地にいた商家ですが、祖父は熊野尋常小学校(現在の熊野小学校)を出ている。熊野と書いて「ゆや」と読む。
かつて界隈に「湯屋(風呂屋)」が沢山あり、湯屋といえば和歌山の「熊野」。これは熊野・湯の峰温泉の小栗判官伝説などの影響でしょうな。それで「熊野」と書いて「湯屋(ゆや)」と読んだそうで。堺の人でないと絶対に読めないw
堺には他にも「塩風呂町」があったし、紀貫之の『土佐日記』にも「しほゆあみ」(塩湯浴み)の場所として堺は記録されている。
堺はだから塩の名産地でもあった。湊塩などは天下一の称号を貰っているし、堺の開口神社のご祭神は塩土老翁神で、塩の爺さん。塩の神様。塩は身を清める。死、ケガレの不浄すら清めることができる。堺は「キヨメ」の人たちがたくさんいただろうし、特殊技能民のまちですな。
堺生まれの行基菩薩も「閼伽井(あかい)」という井戸水を沸かし、病者を治したという。堺(さかい)という地名の由来は「あかい」から来ている説もある。この「閼伽井」も、おそらく塩水ではないか?とも思われる。塩水を沸かすと、血行を促進する効果が凄い。とんでもない。
じつは堺には現役で、塩湯の風呂屋がある。湊潮湯さん。
http://www.eonet.ne.jp/~minatoshioyu/
僕は昔、堺の伝統の塩湯を体験してみたいと思って、わざわざ入りにいったことがある。僕も風呂好きではあるが、血行が良くなりすぎる。あっというまに、のぼせた。その効果に、心底、驚いた経験がある。「行基、恐ろしい子…!(白目)」となった。
お茶を飲むのも、湯上りに飲むのがうまい。バサラ大名の佐々木道誉が闘茶(茶の銘柄を当てる。ギャンブル)に興じていた絵図が残っているが、それは茶亭の真ん中に風呂がある。風呂に入り、汗を流し、そして茶を飲んだ。
茶がうまいのは風呂上り。堺は茶のまちで有名だが、じつは「風呂のまち」で有名だった。このへん、もうちょっと、着目されてもいい。堺は茶で、風呂で、まちおこしをすればいい。だから、もっと堺は、歌垣風呂をやるべきw
風呂に入ることは、湯に入ることは、医療行為であり、宗教行為であり、救済だった。文字通り、極楽ですからな。『温室経』というお経まである。正式には『仏説温室洗浴衆僧経』。
風呂のまち・堺では死者供養として「施浴」が行われていた。記録では昭和52年(1977)頃にも実施されていたという。死者を供養するために、お世話にあった方々に、近所の風呂屋を借りて、風呂を施す。近隣の人も入りにきていいという。死者を知らない人でも、無関係の人でも、他者でも、ぜひ風呂に入ってくださいと案内されたという。
素晴らしい。コモンズですな。無縁大慈悲。
大阪はすでにピークアウト(公開データ上では4月頭でした。もしかしたら検査数で誤魔化してる可能性もなきにしもあらずですが…)を迎えて、ゆっくりとだが新規感染者数は下降している。
緊急事態宣言(4/25発令)の前から大阪は、すでに下降傾向にあり、どれほど今回の緊急事態宣言は感染症減少に効果があるのか?あったのか?ちゃんと検証してほしいものです。
そうでないと経済的困窮による自死・自殺者だけが増えかねない。吉村知事はすでに緊急事態宣言の延長要請を検討しているそうですが。
要するに「下がり方」が、この緩やかな傾向のままなら緊急事態宣言はあまり意味がないことになる。今のところ、劇的な下がり方は認められない。効果が出るにもタイムラグがあるから、来週ぐらいか?
そもそも大阪人、緊急事態宣言でも、ほぼ、行動変容してまへん。元々、お上のいうことをあんまり聞かん人種です。大阪、神戸、京都などは遊び場所がないから奈良に行く人が増えたとか。ま、そうなりますわな。
時短協力金が入る飲食店は閉めている。そんな支援金が入らない、働かんと生活できない人たちは当然、働くし、話すし、飲むし(←社交。飲ミュニケーション。これも仕事の延長線上な人は多い)動く。
僕も当然、働くし、話すし、動く。飲みはしないが。そうせな、生活でけへんねんから。経済困窮で死んでまうわ。殺す気か。
「補償なき自粛要請」だから、経済的困窮者が増えて自死・自殺に追い込みかねない。コロナ感染者、コロナ死亡者を減らすために、自死・自殺が増加する政策。人の命を選抜している。無茶苦茶や。
大阪の医療現場では、命の選別を医者に迫る医療崩壊、トリアージな状況になってるそうですが、すでに日本の政策が「トリアージな政策」になってしまっている。日本政府の失政。いや悪政といえる。
緊急事態宣言と同時に、ちゃんと補償があれば、なんの問題もないんです。「コロナ感染者・死亡者は減らす→自粛要請する→経済的困窮者が出る→補償する」なら問題ないが、「コロナ感染者・死亡者は減らす→自粛要請する→経済的困窮者が出る→補償はしない(もしくは遅い)→経済困窮による自死自殺が増える」では、一体、何がしたいのか?サッパリわからない。
Twitterのタグではないが「補償と自粛」はセット。それが1年経ってもできない。やる気がない。国民への補償ではなく、業界団体の利権争い、補助金の奪い合いになっている。
日本、スゴイ。
僕の母方(綿野家)は古くから堺・旧市街地にいた商家ですが、祖父は熊野尋常小学校(現在の熊野小学校)を出ている。熊野と書いて「ゆや」と読む。
かつて界隈に「湯屋(風呂屋)」が沢山あり、湯屋といえば昔の人は和歌山の「熊野」を思い出したそうで。これは熊野・湯の峰温泉の小栗判官伝説などの影響でしょうな。それで「熊野」と書いて、なんと「湯屋(ゆや)」と読んだ。堺の人でないと、なかなか読めないw
堺には他にも江戸時代には「塩風呂町」があったし、古くは紀貫之の『土佐日記』にも「しほゆあみ」(塩湯浴み)の場所として堺が登場してくる。
堺はだから塩の名産地でもあった。江戸時代、湊壺焼塩などは宮家から「天下一」の称号を貰っているし、堺の開口神社のご祭神は塩土老翁神で、塩の爺さん、塩の神様。塩は身を清める。死、ケガレの不浄すら清めることができる。堺は「キヨメ」の人たちがたくさんいただろうし、特殊技能民のまちですな。
堺生まれの行基菩薩も「閼伽井(あかい)」という井戸水を沸かし、入浴させ、病者を治したという。堺(さかい)という地名の由来は「あかい」から来ている説もある。この「閼伽井」も、おそらく塩水ではないか?と思われる。塩水を沸かすと、血行を促進する効果が凄い。とんでもない。
じつは堺には現役で、塩湯の風呂屋がある。湊潮湯さん。
http://www.eonet.ne.jp/~minatoshioyu/
僕は昔、堺の伝統の塩湯を体験してみたいと思って、わざわざ入りにいったことがあります。僕も風呂好きではあるが、血行が良くなりすぎる。あっというまに、のぼせた。その効果に、心底、驚いた経験がある。「行基、恐ろしい子…!(白目)」となった。
お茶を飲むのも、湯上りに飲むのがうまい。バサラ大名の佐々木道誉が闘茶(茶の銘柄を当てる。ギャンブル)に興じていた絵図が残っているが、それは茶亭の真ん中に風呂がある。風呂に入り、汗を流し、そして茶を飲んだ。
茶がうまいのは風呂上り。堺は茶のまちで有名だが、じつは「風呂のまち」で有名だった。このへん、もうちょっと、着目されてもいい。堺は茶で、風呂で、まちおこしをすればいい。だから、もっと堺は、歌垣風呂をやるべきw
風呂に入ることは、湯に入ることは、医療行為であり、宗教行為であり、救済だった。入浴の快楽は、まさに、極楽ですからな。『温室経』というお経まである。正式には『仏説温室洗浴衆僧経』。
風呂のまち・堺では死者供養として「追善供養」「施浴」が行われていた。記録では昭和52年(1977)頃にも実施されていたという。死者を供養するために、お世話になった方々に、近所の風呂屋を借りて、風呂を施す。近隣の人も入りにきていいという。死者を知らない人でも、無関係の人でも、他者でも、ぜひ風呂に入ってくださいと案内された。
素晴らしい。コモンズですな。無縁大慈悲。