足がまったく動かなくなった病人の足に手をかざして「あなたの罪は許された」なんてことをキリストがつぶやくと足が動くようになった。そういうエピソードが聖書の中にはようさん出てきます。奇跡ですな。お釈迦さんは奇跡はおこしませんが、こんなエピソードがあります。子供を亡くした若い女性が半狂乱になって釈迦のもとにやってきて、この苦しみをどうにかしてくださいと懇願する。釈迦は「では、あなたのいう苦しみというやつをここにもってきてください」。女性は釈迦のいわれたままにあちらこちらを探すが、苦しみは見つからない。やがて釈迦のもとにやってきて「わたしの苦しみはどこにもなかった」と報告する頃には、すでに女性は苦しみから開放されていた・・・。
前者は「治す」ということ。後者は「癒す」ということ。医療の世界はドンドンと進歩しています。かつては「不治の病」であったガンやエイズも、やがて治す方法が見つかるかもしれない。しかし、また新しい病気(鳥インフルエンザとかエボラとか)が登場してくるだけだろう。「不治の病」を無理やりにでも「治そう」とすることを繰り返してきたのが近代科学。しかし「不治」でも「癒す」ことはできます。不治の病に犯された人でも「癒す」ことで救済することはできる。
今後の医療は、「治す」ということよりも「癒す」ということが大事でしょう。ほんとうの健康とはなにか?人間の生き方とはなにか?医療器具につながれて、心臓だけは動くように設定されて、そういう状態の中から、人間の尊厳やライフを維持することは、そりゃムツカシイでっせ。治そうとするから、そうなってしまう。癒すことの大切さ。近代医療(治す)から現代医療(癒す)へ。こういう時代へリードする役割が、仏教にはあるとも思ってます。
聖徳太子は法隆寺を建立し、「日出づる処の天子」の書を隋に贈る。一休は師の華叟が没して一蓑一笠で説法行脚をはじめる。利休も師匠・武野紹鴎を亡くす。シェイクスピアは戯曲『恋の骨折損』を描いて初出版。モーツァルトは私費を投じてコンサートを開催するが不人気で大失敗。西鶴は妻を亡くして『誹諧独吟一日千句』を出版。芭蕉は江戸小石川の水道工事を監督。近松は初めて近松門左衛門をペンネームとして使用。チャイコフスキーはピアノ協奏曲第1番を作曲するが親友ニコライ・ルービンシュテインに「演奏不可能」と酷評される。山片蟠桃は天明の大飢饉に遭遇。緒方洪庵は適塾を開塾。福沢諭吉は明治維新を体験。芥川龍之介は神経衰弱と不眠に悩む。宮沢賢治は農学校を退職して羅須地人協会を設立、タイピング、エスペラント、オルガン、セロを習う。河口慧海はチベット潜入に成功。折口信夫は初めての沖縄・壱岐旅行へ。直木三十五は34歳になったのに直木三十三のペンネームを使用。坂口安吾はキリシタンに関する本を調べて歴史小説を構想。服部良一は太平洋戦争勃発でジャズ・ソングが書けなくなる。小松左京は「ベ平連」呼びかけ人に。桂枝雀は「2代目桂枝雀」を襲名。手塚治虫は虫プロダクションを設立。梅棹忠夫はアマチュア思想家宣言。
人生、いろいろあります。本日、34歳になりました。ありがとうございます。感謝。これからもよろしくお願いします。
コミュニティ・ツーリズム(まち歩き)のガイドは、コミュニティ(まち)そのものを事象として語るだけに留まるのではなく、コミュニティ(まち)へのコミットメントを語ることによって、自分自身のアイデンティティ、内的心象世界を告白している。そういう意味でいえば、コミュニティ・ツーリズム(まち歩き)とは自己の世界認識の提示であり、表現活動の一種といえる。大阪あそ歩のガイドさんの中からは、歌を唄う人や紙芝居をやる人、夕霧太夫の墓の前で、夕霧太夫になりきって手紙を読む演劇をする人まで現れた。ぼくはただただ「まちを歩こう!」といっていたら、まちの中から「語り手」や「アーティスト」や「パフォーマー」や「役者」が自然発生的に誕生してきた。こういう「いちびりガイド」は大阪人のメンタリティ、パーソナリティなのかも知れませんがww しかし、もっともっと、こういう表現者が、まちから誕生し、通りに溢れ出たら素晴らしい。きっと大阪のまちは楽しくなる。まちは金儲けするところではなく。語るところ、歌うところ、踊るところ、遊ぶところです。
ユングはヒトラーの登場を北欧神話のヴォータンの復活となぞらえた。ユングによれば、近代とは古代神話(共同体神話)をロストした時代であると規定され、それがゆえにヒトラーに熱狂する大衆現象が巻き起こったと説く。つまり古代から連綿と続くゲルマン神話の英雄=「元型」への根源的欲求が暴発したというわけですな。変な話なんですが神話がない近代だからでこそ、大衆煽動に古代神話(共同体神話は元型の宝庫ですから)を持ち出すと魔術的効果を発揮して歯止めがまったく効かず、じつに危険な現象が起こる。日本だって神武天皇東征の神話と太平洋戦争とを同一視したような時代がありましたから。こうした大衆を煽動しようとする権力の狡猾な陰謀に仮託しないためには、自分自身の神話、自分固有の神話を持つことでしか対抗できない。そして、その神話の獲得と証明は結局、個人的体感に由来するしかない。古代の山の民は山に入って、山の神を「見た」から山の神を畏れ敬った。神話はライフに直結していて、じつにリアルであった!しかし近代人の多くはこうしたリアルな神話をまるで体感したことがありません。ユングは問う。「では君の神話とは一体なにかね?」。この問いに答えられない人間(自分自身の神話を持たない人々)は権力や何者かに利用され、いつだって第二、第三のヒトラーに熱狂する危険性だって否定できない。だからぼくは、まちを歩くことで、逍遥することで、ぼく自身の神話を探そうとしている。まるでアボリジニのウォークアバウトのように。アボリジニは4万年もの長きに渡ってウォークアバウト(神話の舞台を巡る旅。聖地巡礼)することによって自分自身の神話(じつに幸せなことにアボリジニたちは共同体神話と自分自身の神話を重ねることが出来る)を獲得し、証明してきた。その知恵と行動の先に、微かながら新しい文明の胎動のようなものをぼくは感じている。人間は、我々はもっとウォークアバウトするべきです。旅をするべき。歩くべきです。共同体神話は滅びました。だから世界を逍遥することで、個人的体感、ライフの中から、自分自身の神話を発見しないといけない。大変な時代ですな。いや、まったく。
今日の堺東まちづくりワークショップのレジュメ。昨日の深夜に書いていたら止まらなくなり。これ、ちゃんとマジメにやろうと思うと半年はかかると思いますww これを50分で話しました。いや、正確には最初の「ハードウェア観光」「ソフトウェア観光」「ヒューマンウェア観光」の話だけで、50分終了したんですがww これに「純粋持続としての都市逍遙」「ナショナリズム観光とパトリオティズム観光」「ゲニウス・ロキ、風土、地霊へのコンタクト」「第0次産業としての観光」「モモの風景と時間どろぼうの風景」「アボリジニのウォークアバウトと大阪七墓巡り」の話なんかを含めて、そのうち、どっかで、ちゃんと観光についての話をやりたいですな。語りたいことは多過ぎる。
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まちあるき講座「まち歩きってなんだ?」レジュメ 2012/02/05 陸奥 賢
●観光の分類
1.ハードウェア観光
通天閣、大阪城、海遊館、USJ
2.ソフトウェア観光
大阪城観光ボランティアガイド
3.ヒューマンウェア観光
大阪あそ歩 まち歩き
●まちあるき=コミュニティ・ツーリズム
●コミュニティとはなにか?
マス(大衆)⇔コミュニティ(市民)
大衆社会と市民社会
オルテガ『大衆の反逆』(1929)
大量生産 大量消費 マスメディア イベント化社会 モータリゼーション
※ヒトラー政権(ファシズム)の誕生を予見
ル・コルビュジエ『輝く都市』(1930)
人工都市ブラジリアの建設(1960)・・・大失敗
ジェイン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』(1961)
1.混用地域の必要性(ゾーニング非難)
2.小規模ブロックの必要性(路地の重要性)
3.古い建物の必要性(連続する都市イメージ)
4.集中の必要性(多様なる人種、年代の混在)
低コスト、ヒューマンスケールによる 「人間のための都市計画」・・・クリチバ・マスター・プラン(1964)
都市の乱開発を予防
市中心部の繁華街における自動車量抑制
旧市街の歴史的建造物の保全
手頃な公共輸送システム(大型バス)の構築
人間都市クリチバ 「世界一革新的な都市」として顕彰(1996)
【大阪(日本)の場合】
明治維新 大久保利通による官僚主義の導入
(イギリス式市場主義VSドイツ式エリート主義)
1930年代 戦時体制への移行(東京一極集中化)
1945年 敗戦
1950年代 新たなる東京一極集中化政策
高度経済成長
「人類の進歩と調和」 大阪万博(1970)
1975 ビル・ゲイツ マイクロソフト創業
1976 スティーブ・ジョブズ アップル創業
1980年代 バブル経済
1990年代 バブル経済崩壊
2000年代 失われた10年(失われた20年になりつつある)
2006年 長崎さるく博
2008年 大阪あそ歩
2011年 『大阪あそ歩まち歩きマップ集』発売
●ツーリズムとはなにか?
観光という言葉の由来
『易経』より「国の光を観る。用て王に賓たるに利し」
高度経済成長時代の産物「マスツーリズム」の弊害
1.自然環境の破壊
2.文化の侵害(ショー化、見世物化)
3.収益構造(東京一極集中化)
コミュニティ・ツーリズムの勃興
正史へのアンチテーゼ 稗史(はいし) 野史
「ものがたり」の豊かさ
●コミュニティ・ツーリズムの可能性
血縁 地縁 社縁の崩壊 無縁社会へのアンチテーゼ・・・好縁社会
真の市民主義
「大阪はそもそも市民主義のまちだった」
「ほんまもんの大阪」への回帰
サスティナブルなまちづくり
新しい「まつりごと」(政、祭事)としての観光
ズボンが破れてまいました。あらら。ズボンって西洋人の格好というイメージですが、元々は、これ、紀元前からあって中央アジアの遊牧民の服装です。偉大なる発明で、馬に乗るのに着物(こちらは呉服ですな)では裾が絡げてえらいことになる。それでズボンのようなすっぽりと履く服が考案された。それがズリ落ちてくるので腹部で帯(ベルト)で留める。「胡服」といいます。胡というんは漢民族が遊牧民に対して用いた蔑称ですが、いろんな文化を産んで、それは日本にも到来してます。「胡麻」とか「胡瓜」とか「胡桃」とか。あと「胡坐」(あぐら)なんてのも遊牧民の座り方で、これはズボンだから可能だった。着物(呉服)だったらものが見えてまいますww 歴史的には胡服を発明したことで激しい馬の騎乗も可能となり、「騎兵」が産まれ、馬は群れて行動するので「集団戦法」という考え方も産まれ、これは世界の戦闘の歴史を変えました。まさに革命です。というわけでいまから心斎橋に胡服買いにいきますww
祖父は松尾橋梁。父は日本電機研究所。陸奥家の男は二代続けて理系エンジニア(ぼくだけ観光屋で文系ですww)やったんですが、祖父にしろ、父にしろ、土日となると電車にのって、ぼくを連れて行ったのが日本橋、新今宮、萩之茶屋界隈。要するに祖父も父も「ドロ市めぐり」が大好きで、子供の頃はドロ市こそがぼくの遊び場でした。ようわからん道具やパーツや機械があっちこっちに転がっていて、テキトーにあれやこれやいじるのが楽しかったですな。
そういえば、いっぺんドロ市の店先でネジを眺めていて(ネジにも大きいのやら小さいのやら長いのやら短いのやら、ようさんネジがあるんですわ)、あんまりにも熱心にネジを見ているので父親に「なんや?ネジほしいんか?こうたろ!」いうてネジを何本か買ってもらったことがありました。ネジだけ買ってどないすんねん?どないしようもない。しかし、ぼくは、ネジを眺めているだけでも楽しかった。あのネジ、どこにいったんやろか?いつのまにか、なくしてしもた。置いとけばよかったなぁ。
あのオモチャ箱をひっくり返したような輝かしいドロ市がなくなったのは、返す返すも残念。ぼくの中では、あれこそが「釜ヶ崎の光景」でした。汚いとか怖いとか、まるでない。むしろ、万華鏡のように、美しかった。
相撲の後援者のことを「タニマチ」といいますが、このタニマチは大阪の谷町筋の「谷町」のこと。谷町は寺町で文化度が高く、船場の旦那衆の別宅(愛人付きww)も多かった。相撲の力士だけに限らず歌舞伎、文楽といった芝居関係者、俳人、歌人、画家といった文人墨客を囲っていた。こういう「タニマチ気質」が大坂の百花繚乱の芸能文化を支えました。
それが無くなってしまったのが、明治維新以降の話で、近代日本に官僚統制システムが導入されてから。江戸時代、傘職人の橋本宗吉は才能が認められて江戸留学しましたが、その資金は大坂の町衆(タニマチ)が出しました。ところが明治時代になると、夏目漱石は英国留学しましたが、これは文部省が金を出しました。国家はタニマチから税金を搾取して疲弊させ、国家にとって、自分たちの都合のいい人材、アーティストにだけ、資本を注入する構造が出来上がった。これは終戦後の戦後体制でも同じで、それどころか、より強固に、徹底されたように見えます。もはや現代日本のアーティストで、官吏のヒモツキ(補助金、助成金)以外で生きているアーティストなんて、ほとんどいませんから(そういう毒にも薬にもならないアーティストは、正直、まったく、ぼくは面白くない)。
基本的にアートや文化を支えるのは、ぼくは官吏ではなくて、町衆であるべきだと思っています。というのも、官吏は税金という「他人の金」を預かっているだけなので、責任感がまったくないんですな。どれだけ税金を注入しようとも、ハンコを押した官吏は、まったく自分の懐具合が痛まない。さらに2年後、3年後、4年後には違う部署に移ってしまって、進行中のプロジェクトとは一切関係ナシ!となったりしますから、これまた無責任極まりないシステムです。しかし、町衆は自分たちの資本でタニマチをやるわけですから、後援するのも真剣に選択せざるを得ません。真剣だから、自然と自分たちの審美眼を磨きあげていく。大坂に西鶴や近松や上田秋成や蕪村といった、ほんまもんのアーティストが誕生してきたのは、ほんまもんのタニマチがいたからでこそ、です。
「おおさか創造千鳥財団」のような財団がもっと出来て、町衆が文化、芸術を担うという当然の風潮がもっと盛んになってほしい。ほんまもんのアートには、ほんまもんのタニマチが必要です。
■おおさか創造千島財団
http://www.chishimatochi.info/found/
ええっと、こういうこというと、あれですけども、ぼくは基本的にはライトアップイベントとやらにはアンチな男ですww むしろ都市は全消灯せよ!冬の夜空の、銀色に輝く月や、満開の星のほうが、はるかに美しい。電気こそが科学文明の象徴でした。それを盲目に礼賛する時代は2011年3月11日で終わりました。時代は変わりつつある。レクイエムのライトダウンを。もう、そろそろ、ぼくらは、そういう知性を働かせてもいいはず。