ベジタリアンカフェ MINTO 実人で開催された『暮らしから考える日本列島―フォークロア入門』にいってきました。
日本列島は、朝鮮半島や大陸に開かれていただけでなく、南は奄美・沖縄、台湾、そして東南アジアへ、北はサハリン、さらにはシベリアなどにもつながっていた。…そして、そのような周辺地域との相互交渉・交流、移動などをとおして、私たちが暮らす日本では実に多様な地域文化が展開した。フォークロア(人々の知恵)とは、そうした地域に根ざした文化であり、現在なお私たちの暮らしのなか生き続けている。こうした観点から、日本文化とは何かを考えたい。第一回では、この勉強会でとりあげてみたい本を何冊かもっていきます。フォークロア、人類学で日本文化をあつかったものが中心になると思います。それらの本を紹介しながら、2回目以降この会をどうすすめるか考えたい。
■講師:岡本マサヒロ
自称・闘う人類学者。アフリカ、南アジアでの滞在を経て、昨年よりNPOこえとことばとこころの部屋(ココルーム)に流れつく。共編著『釜ヶ崎 暮らしと居場所』(ココルーム実験双書1)。
これは、ええ企画でした。次回も楽しみにしてます。
ほんじつは大阪あそ歩のまち遊びプログラムの宮下名誉園長さんとの天王寺動物園散歩。
http://www.osaka-asobo.jp/course76.html
去年にぼくが企画して、行政的な諸問題でプログラムを作るのに色々と苦労したんですが、宮下名誉園長の全面協力を得ることが出来て成立。いざ実施したら超絶人気で毎回、満員御礼です。よかったよかった。
ぼくも毎回、サポートで入りますが、楽しみにしてます(笑)
大阪あそ歩の予約率が90パーセントを越えたとか。大震災。原発。大不況。そんなご時世でも予約率がまったく落ちずに90パーセント越えというのは、さすがに衝撃です。あいかわらずのバケモノ企画ですね・・・。参りました。
これも大阪あそ歩ガイドさんたちの熱意の賜物です。頭が下がる思い。ただただ感謝です。
世界的な文化人類学者、民俗学者の岡正雄氏(1898年・明治31年~1982年・昭和57年 長野県松本市生まれ)の研究によると、先史時代の日本列島には少なくとも5つの種族文化が伝播したとか。大まかな括りで、後代の研究によって加筆修正されている部分も多々あるそうですが、岡正雄氏が提唱する「種族文化複合」の考え方そのものは先ず間違いないでしょう。「日本は単一民族!」なんてことを声高に叫ぶ人は、もう少し岡正雄を勉強した方がええかも知れません。
以下は、岡正雄氏による日本列島に伝播した種族文化の箇条書き。
①母系的・秘密結社的・芋栽培=狩猟民文化(メラネシア方面)
縄文中期はじめ頃日本に流入
メラネシア原住民の文化と著しく一致
(乳棒状石斧・棍棒用石環・石皿・土器形態と文様・土偶・土面・集団構造)
男性秘密結社の祭り(ナマハゲ)・タロ芋の一種であるサトイモを祭事の折の食物にする
②母系的・陸稲栽培=狩猟民文化(東南アジア方面)
縄文末期に日本に流入
狩猟生活とともに山地丘陵の斜面の焼畑において陸稲を栽培した
(太陽神アマテラスの崇拝・家族的・村落共同的シャーマニズム・司祭的女性支配者)
③父系的・「ハラ」氏族的・畑作=狩猟民文化(北東アジア・ツングース方面)
弥生初期に満州、朝鮮方面からツングース系統のある種族によって日本に流入
粟や黍を焼畑で栽培しながらも狩猟も行った
アルタイ語系の言語を最初に日本に持ち込んだのはこの種族
(櫛目文土器・穀物の穂摘み用半月系石器)
日本語のウカラ、ヤカラ、ハラカラなど同属集団を意味する言葉ハラ=カラは
ツングース諸語において外婚的父系同属集団を呼んだ語ハラ(Hala)に系統を引く。
④男性的・年齢階梯制的・水稲栽培=漁撈民文化(中国江南地方)
紀元前4~5世紀頃、揚子江の夏口地方よりも南の沿岸地域から
呉・越両国滅亡に伴う民族移動の余波として日本に渡来したもの。
弥生文化における南方的と言われる諸要素を日本列島にもたらした
アウストロネシア系の種族文化。(水稲耕作・進んだ漁撈技術・板張り船)
若者宿、娘宿、寝宿、産屋、月経小屋、喪屋など
機能に応じて独立の小屋を建てる慣習も
年齢階梯制(年齢や世代の区分で社会を階層づける社会組織)によるもの。
⑤父権的・「ウジ」氏族的=支配者文化(アルタイ・朝鮮半島)
支配者王侯文化・国家的支配体制を持ち込んだ天皇氏族を中心とする部族の文化。
④の文化と同系同質の種族が、西から来たアルタイ系騎馬遊牧民によって征服され
国家に組織されることによって、満州南部に置いて成立したが
1世紀前から南下し始め朝鮮半島南部に暫く留まり3~4世紀頃に日本列島に渡来。
大家族・「ウジ」族・種族のタテの三段に構成される種族構造。
「ウジ」父系的氏族、軍隊体制、王朝制、氏族長会議、奴隷制、氏族職階製、
各種の職業集団、鍛冶職集団などを所有。
氏族や種族を五つの部分に区画する「五組織」的な社会及び軍事の構造もこの文化。
天神崇拝、父系的祖先崇拝、職業的シャーマニズムなどの宗教要素もこの文化。
ユーラシア・ステップ地域の騎馬遊牧民の文化と本質的に完全一致する。
ちなみに、岡正雄氏は、ウィーン大学へ提出した博士論文で、日本の基層文化を論じて、5巻1452ページに及ぶという畢生の大著『古日本の文化層』があるのですが、これは現在に至るまでも邦訳が無く、未刊のままやそうです。岡正雄氏の偉業を、ちゃんと翻訳して発表しないというのは、日本の学会の怠慢やないでしょうか?こういう学問をしても儲からないということなのかも知れませんが・・・良識ある出版社と知性のある学者の仕事を期待したいです。
神功皇后が三韓征伐のさいに長門国から植女を住吉に召しました。五穀豊穣の神に奉仕する植女は、その職業柄、やがて遊女ともなり、堺の乳守に定住。中世には、堺の乳守遊郭は日本でも有数の遊郭として知られ(平安貴族はもちろん。あの一休さんも堺の遊女・地獄太夫とのラブロマンスが伝わってます)、江戸時代に、江戸最大の吉原遊郭が開発されたさいには、その歴史と格式の高さから、堺の乳守の遊女をわざわざ召抱えて、何も知らない遊女たちに、遊郭の作法やしきたりを教えたといいます。実際、そうした由縁で吉原遊郭には「堺町」というエリアまでできました。
住吉大社では毎年6月14日に神田にて御田植神事(国指定重要無形文化財)を執り行いますが、これは乳守の遊女たちの神事を継承しています。また、その奉納神事のうちのひとつが御稔女(みとしめ)による「神田代舞」(みとしろまい)。かつてはこれも堺の乳守の遊女が御奉仕していたのでしょうが、明治に入ってからは当時、大阪最大の花町だった新町遊郭の芸妓が奉仕する定めとなりました。いまは、その新町もなくなったので、日本舞踊(西川流)の家元が継承しています。
住吉大社御鎮座1800年記念大祭ということで、第一本宮の拝殿にて神田代舞を堪能できました。眼福です。
住吉大社神館にて。樂焼茶碗の逸品。
千利休の究極の理想が黒い茶碗でした。というのも利休時代の抹茶はいまより色が白く、白と黒のコントラストが、虚飾を捨て去ったモノクローム、水墨画のような世界感が利休好みだった。
現在の抹茶は色が強く、その粋はなかなか伝わりませんが。
昨夜は堂山のシングルズにいって終電なくなってタクシーで南船場の事務所へ。さてマンションのオートロックを開けようとした時点で・・・え?あれ?カギがあらへん。あ。おれ、夕方にマンション出たときにカギ持って出るの忘れとるわ・・・。
深夜2時。マンションの玄関口。目の前はオートロックの扉。猫の鳴き声。へんな虫が飛んできて、うわああ!!!
しばらくボーゼンとして、30分ぐらいして、冷静に自分の状況を把握。裏から入られへんやろか?とか、友人に携帯でメールしてみても無反応(またこういうときは誰も起きてない!)、ああ。あかん。もうカラオケいって朝まで泣きながらひとりで尾崎豊でも熱唱するしかない・・・なんてことを考えていると、結局、深夜2時50分ごろに、奇跡のようにマンション住人が帰ってきまして。なにくわぬ顔で住民がオートロックをあけた瞬間に、ぼくも一緒に入って、なんとかなりました。
深夜に、こういうの、妙に疲れましたわ。ふう。
2畳大学の学長・梅山くんのお誘いで「ノリさん日替わりマスターのバーSINGLESでマスター@梅田」に遊びにいきました。ノリさんというのは廣水乃生(ひろみずのりお)さんのニックネームです。
廣水乃生(ひろみずのりお)
1968年生まれ。東京芸術大学大学院教育学研究科終了後、7年間にわたって教師を務める。教育を通して人と人のコミュニケーションに興味を持ち、教諭を退職。米国プロセスワーク研究所にて葛藤解決・組織改革ファシリテーション・マスターコースを修了する。その後ファシリテーションスキルを日常生活に活かすための講座や人々が社会的な立場を超えて交流する場「オープンフォーラム」を企画するなど様々な活動を企画実施している。水戸教育フォーラム共同代表、コミュニティファシリテーション研究所代表、茨城・教師を支える会代表。
仕事で来阪してはったんですが、色々とありまして、ぼくがガイドとして大阪のまちを案内。道頓堀、法善寺、千日前、日本橋、新世界、太子、山王、飛田、釜ヶ崎などを一緒に巡りました。その後日、梅田・堂山のSINGLESでマスターをするとのことやったので、お伺いしたというわけです。
大阪のまちネタ、雑談ばっかりして、結局、ファシリテーションスキルに関しては、あんまり話をせずで、ようわかりませんでした(笑)次はそのへんのお話をぜひともお聞きしたいです。
淀屋橋odonaのアイ・スポットで実施された『月刊島民』の第1回淀屋橋編集会議『タウン誌のつくり方』に参加しました。
月刊島民編集部による新たなメディアがスタート。
参加者の方々とコミュニケーションしながら、街の楽しみ方、
街ネタの伝え方などを考えていきます。
いわば読者参加型の公開編集会議のようなノリ。
第1回は「タウン誌のつくりかた」。
月刊島民ファンだけでなく、いろいろな形で
情報発信に関わる方々、お集まりください。
毎回登場するゲストにも乞うご期待!
なんとなく参加したのですが、想像以上に面白かったです。中之島に限らず、大阪のまちは、どこも個性が強いです。大阪あそ歩は大阪市内だけで、150ものまち歩きコースを作りました。これは大阪のまちの、潜在的な、驚異的な、ポテンシャルの賜物。もっともっと、あっちこっちに、地域密着のタウン誌があってええと思ってるんですが・・・。
住吉大社御鎮座1800年記念大祭で境内をぶらぶらしていたら、K権禰宜のご好意で、国指定重要文化財の神館を見せていただきました。お茶席を頂き、さらに樂焼茶碗の逸品が展示されていました。
堺が産んだ茶聖・千利休の究極の理想が、この黒茶碗でした。というのも利休時代の抹茶は現在の抹茶よりも色が白かった。白と黒のコントラストが、虚飾を捨て去ったモノクローム、水墨画のような世界感と美が「利休好み」やったんですな。
現在の抹茶は、あまりに色が強く、その粋はなかなか伝わりませんが。