特区
震災地域を特区にして消費税0%、法人税も10%にする。いろんな企業やNPO、市民が集まって活性化する。10年もあれば、すごい都市になってると思いますよ。そういう復興手段もあるはず。ぼくも会社移したくなりますww
震災地域を特区にして消費税0%、法人税も10%にする。いろんな企業やNPO、市民が集まって活性化する。10年もあれば、すごい都市になってると思いますよ。そういう復興手段もあるはず。ぼくも会社移したくなりますww
助成金や補助金制度は不良企業を抱え込むだけです。それよりも減税のほうが優良企業が伸びていく。ましてや昨今の国際市場はシンガポール、香港、韓国などが実質10%台の法人税で世界中の優良企業を誘致している。震災でムチャクチャ、さらに増税なんていうたら普通の企業なら逃げ出しますて。
震災犠牲者3万人弱。痛ましい話ですが日本の年間自殺者は3万人を超えます。毎年、震災に襲われてるぐらい日本の社会病理は深刻です。ちなみに1997年に消費税が5%に上がり、その翌年から自殺者が3万人を超すようになりました。消費税アップは確実に自殺者を増やします。
東日本大震災の犠牲者が3万人弱とか。痛ましい話ですが、じつは日本の年間の自殺者数は3万人を超えています。「毎年、マグニチュード9級の震災と津波に襲われてる」ぐらい、日本の社会病理は深刻だということです。
また諸外国と比べると、日本の自殺率はアメリカの約2倍。主要国G8諸国、OECD加盟国の中では堂々の1位とか。世界有数の自殺大国で、さらに自殺未遂者は10倍の30万人ぐらいいると言われてます。どう考えても異常な状況で、もしかしたら今度の震災や原発以上の問題かもしれません。
なぜこんなことになったのか?と諸説ありますが、よく言われているのが消費税と自殺者数の因果関係。1997年に消費税が3%から5%に上がり、その翌年から自殺者が一気に3万人を超すようになりました。消費税を値上げした橋本龍太郎首相は、後年、自分の友人を生活苦による自殺で亡くし、「消費税アップは間違いだった」と認めて謝罪するほどでした。
最近「震災復興のために消費税アップを」という声がありますが、消費税アップで消費が冷え込んで、さらに不景気となり、確実に自殺者を増やすのは間違いないでしょう。東北の復興のために日本全国に自殺者が増えるようでは、まるで意味がないです。
むしろ増税よりも減税による景気浮揚策に期待しています。たとえば震災地域を特区にして消費税0%、法人税も10%にする。いろんな企業やNPO、市民が集まって活性化する。10年もあれば、すごい都市になってると思いますよ。そういう復興手段もあるはずです。ぼくも会社移したなりますわ(笑)
また助成金や補助金制度は不良企業を抱え込む結果になりやすいです。それよりも減税のほうが優良企業が伸びていきますから。ましてや昨今の国際市場はシンガポール、香港、韓国などが実質10%台の法人税で、世界中の優良企業を誘致している状況です。震災や津波、原発事故でムチャクチャ、さらに増税・・・なんてことになったら普通の企業なら逃げ出します。
しかし今回の震災でひとつ救いを感じたのは、個人寄付、企業寄付の習慣が日本に生まれつつあるということ。なんとか、それを助長、定着させてほしいです。そういう意味でも、いまの日本に必要なのは復興増税ではなくて、寄付行為に対する税制控除の整備でしょう。
とくに復興支援で現場の第一線で、実質的に頑張っているNPOへの控除を是非とも整備して欲しいと思ってます。そうでないと、また日本のNPOは、行政の監督つき、紐付きの助成金・補助金以外では成立しなくなりますから。
1995年の阪神大震災によって、さまざまなボランティア団体が生まれ、「ボランティア元年」といわれ、NPO法も定まりました。今度の3.11はピンチですが、ピンチはチャンスでもあります。日本が変わるチャンスにしないと、と強く思っています。
江戸時代は諸国に300藩ありました。それぞれが藩独自の殖産興業に務めて多種多様な文化圏を作り上げました。実際に、現在でも日本の地方の特産物、名産物は大体、江戸時代に作られたものがほとんどです。ところが明治以降、東京に首都を起き、大阪から財界、京都から天皇家を持っていって中央集権国家になってから、近代日本は単一構造の、薄っぺらい、面白みのない国家になってしまいました。
例えば幕末の時代に「日本が危ない!」と立ち上がったのは坂本龍馬や木戸孝允や大久保利通や新撰組や松平容堂でした。土佐、長州、鹿児島、武蔵や越前の「地方の人間」なんですな。300藩が藩独自の教育を施して「他藩に負けてなるものか!」と一所懸命に人材育成に努めた結果、思いもよらぬ傑物が出てきたわけです。そのとき、江戸幕府(中央官僚)は体たらくで、まったく、なんの役にも立ちませんでした。幕臣でいえば時代の流れを読んでいたのは勝海舟ぐらいですか。その海舟自身が「幕府なんて、もう、まったくダメだ」と諦めてるほど、酷い組織腐敗の有様でした。
東京一極集中の、官僚統制の、中央集権国家は、もう終わらせないといけません。明治以降150年で制度疲労を起こしてますし、ムダにメタボ化して心臓発作、動脈硬化寸前です。江戸300藩の多様性と柔軟性、可能性・・・しなやかさ、したたかさが必要な時代なんでしょう。
今度の原発事故で、その思いを強く深めています。
色々と統計によって差はありますが、東京の都市圏人口は約3600万人。これはダントツの世界1位で、2位がインドのデリー約2200万人とか。人類史上かつてない超超過密都市。「異常」を通り越して、もはや完全なる「狂気」です。
原発、地震が問題ではなく一極集中しすぎて、もはや東京という都市は維持できないということ。いつ、なにをきっかけに東京が大爆発しても、まったくおかしくない・・・という危機的状況です。
これは外からヤイヤイいうてもしょうがないのかも知れません。結局、東京の、中の人が、自分たちで気づいて、なんとかしないと・・・。
毎日新聞の2011年4月16日地方版に大阪あそ歩の情報が掲載されました。感謝。
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110416ddlk27040382000c.html
6月5日(日)まで。大阪のまちを歩いて歴史や文化に触れ、大阪の魅力を発見するプログラム。歴史やまちの人々との出会いを楽しむ「まち歩き」72コース、伝統的な食や文化、芸能などを体験する「まち遊び」8プログラムに加え、今春より全150コースから希望の日時を選ぶ「オーダーあそ歩」も開始。詳細はホームページまたは市内の主要書店で販売中の「大阪あそ歩まち歩きマップ集その1~3」で紹介している。また阪急電鉄・阪神電鉄の「関西あそ歩」との連携により京都・神戸・西宮の15コースも楽しめる。問い合わせは大阪あそ歩事務局(06・6282・5930=平日10~17時、http://www.osaka-asobo.jp/)。
「心中」(心中立)というのは、江戸時代(元禄時代)の大阪が生んだ究極の都市文化(都市遊戯)です。江戸には心中はありませんでした。なぜ浪華の男女は心中して、江戸の男女は心中しなかったのか?
理由その1。遊女は遊郭に雇われている不自由な身分ですが、じつは江戸時代の「士農工商」の身分制度の中では、大阪の町民たちも最下級の人間扱いでした。つまり遊女と町民とは境遇が似ているんです。最下級の社会存在の遊女と町民が、柵だらけの「憂世」から逃げ出すには、死ぬしかなかった。対して江戸は町民ではなく武士社会ですので、遊女と武士は遊郭で出会っても、決して心中の対象にはなりません。あまりにもお互いの身分制度が違いすぎるわけです。武士には遊女に対する憐憫や哀れみはあっても運命をともにするような共感、共鳴はありませんでした。
理由その2。元禄時代に入ると、大阪は商品経済、貨幣経済が急速に発展し、人間存在の価値すら「資本化」する考え方が浸透していきました。この世は金次第という「浮世」です。つまり遊女は「一晩いくら」の存在ですが、町民だって「月に給料なんぼ」という存在です。そして、遊女も町民もちょっと計算してみれば、自分の「生涯賃金」が判明し、自分という存在の「商品価値」が手に取るようにわかるわけです。お金さえあれば遊郭から身請けできる。しかしそんなお金はどこにもありません。一生、馬車馬のように働いても自分の愛する女性を決して身請けできない。そういう冷酷・残酷な現実に直面します。そうなると「真実の恋愛」「自由意思」「人間らしい生き方」を手に入れるためには、もはや「死」(自分という存在価値のすべて)で支払う(償う)しかなかったわけです。
こういう、どうしようも逃れようのないガチガチの固定化した身分制度と、それに反比例するような卓越した商業主義の発達から、大坂に心中が流行ったわけです。「封建的な社会制度」(憂世、士農工商)と「近代的な経済観念」(浮世、元禄バブル、天下の台所)という、当時の大阪が置かれたアンバランスな社会的要因が深く作用した。江戸元禄だからでこそ生まれた、非常に稀有な時代の徒花、大阪文化の結晶。それが心中です。
対して武士という優越な社会的身分と、商業経済の概念に疎かった江戸には、心中という文化は生まれませんでした。それはつまり「武士」はいたが、「人間」がいなかったということです。また西欧にも「心中」という文化はないようです。「心中」は「double suicide」なんて呼ばれてます。言葉がないんですな。言葉がないということは、文化として成立していないということです。
井原西鶴や近松門左衛門の至高の芸術作品の数々は、その元禄の大阪の抱え込んだ社会矛盾の中から産まれてきた、大阪人の魂の苦悩の告発であり、レクイエム(鎮魂歌)です。江戸の封建社会(建前社会)に対して「人間らしく生きたくないのか?」という本音の問いであり、「大阪の反逆」が通奏低音のように流れている。それがゆえに、いまも激しく人の心を打ちます。
まちを歩くことは、まちの地霊、土霊を呼び起こします。神道では「あらればしり」(阿良礼走)というのですが。大地を歩いて、踏みしめて、ときには踊って、土地の霊を呼び起こして鎮魂する。だからまち歩きは「まち起し」でありますが、また「まち鎮め」でもあります。
「まち起し」をする人はようさんいますが「まち鎮め」の重要性は誰もいわない。ほんまは「まち起し」と「まち鎮め」がワンセットにならないと、「まちづくり」は成功しないんです。少なくとも、ぼくはそういう思いでまち歩きをやってます。
大阪市+大阪府=大阪都構想にはそれほど興味がなく。ただ現状の行政区分もなんだかなぁと思ってます。大阪市内24区ってどう考えても多すぎです。東京で23区ですから。また大阪府43市町村も多いと思ってます。東京都では39市町村ですから。行政体が多いだけ、それだけムダが多いのは間違いない事実でしょう。
仮に行政区分を改めるとするならば、大阪市でいえば船場・島之内・天満の大阪三郷を。大阪府でいえば摂津・河内・和泉の摂河泉三国で包括する。行政区分を決めるさいも、なるべく歴史的、文化的な見地から論議してほしいです。要するに、大阪の「風土」を尊重してほしい。「地脈」を読むといいますか、そうでないと、まちづくりがおかしなってまいますから。