大阪市東住吉区在住のグラフィックデザイナー、イラストレーター、漫画家のかみじょーひろさんの大阪グルメ取材に協力をしたら、『激盛!本当にあったマル生まるごと県民性SP (まんがタイムマイパルコミックス) 』という本の中で、ちょっとだけ、ぼくが漫画のキャラクターとして登場してます(10ページ目)。漫画のキャラになったのは生まれて初めての経験です(笑)へんな感じですなあ。
日本全国のご当地ネタを、ご当地の漫画家が書いてます。コンビニで売ってるとか。どっかで見かけたら買うてみてください。
災害で失われたまちを、新しく再建する。どんなまちを作るべきか?
地震、火山、津波、洪水の多発地域の日本において、完全な防災都市など、不可能だろうとぼくは考えます。だから、ぼくの希望をいえば、できるだけ、「元通り」に戻して欲しい。
巨大な道路。巨大な橋。スーパー堤防。区画整理された人工都市。そうではなくて。そんなものではなくて。生き残った人々の、「まちの記憶」を、忠実に、再現してほしい。記憶の中の、あの素晴らしい「ふるさと」を、なぞってほしい。
それは勇気のいることです。また、もう一度、災害にあえば、もろくも、崩れてしまう。
しかし、巨大なコストをかけて無味乾燥の、コンクリートの塊のまちを作っても、それで、果たして、本当に、住民たちが幸せになるでしょうか?そんなまちを作ることで、結果、生まれるのは「ふるさと」の喪失です。哀しき故郷難民、故郷流民、都市難民、都市流民です。
津波で橋や、道路や、家が流されても人間の心の中から、「ふるさと」というのは、なくなりません。しかし、新しく再建するときに、なんの歴史も、文化も、物語もないまちを作ってしまうと「ふるさと」は断絶して、それこそ、この地上から本当に消えてしまう。
そのことのほうが、はるかに、問題なんです。それは、自分の存在の、拠り所をなくしてしまうということです。アイデンティティを喪失してしまう。魂をロストしてしまう。
元通りにもどす。そんなまちは、また災害にあえば、すぐ潰れます。しかし逆説的にいえば、「すぐ元通りに戻せる」ということなんです。こういう「柔らかい都市構造」が結局、「ふるさと」を継承していき、歴史や文化や物語を伝えていけるんです。
伊勢神宮は、わずか20年で遷宮します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE
建物は、20年もてばいいんです。しかし、同じ形を作り続けることで、伝統を、歴史を、文化を、守っていく。アイデンティティを守っていく。これが智恵です。伊勢神宮は、この「柔らかい構造」によって、1500年以上の命脈を保ちました。日本人は、そうやって、数多くの自然災害、天災を克服してきました。「日本式防災都市」です。
新しいまちを、どういうまちにするのか?それを決めるのは、まちの人たちです。でも、まちがった方向には進まないで欲しい。
ただただ、祈るばかりです。
お好み焼きは「お好みで何をいれてもええ」から「お好み焼き」というのであって「うどんや焼きそばをいれたら広島焼きや!」という人は残念ながら何もわかっていません。それすら「お好み焼き」の範疇です。
「チーズ」だろうが「山芋」だろうが「カレー粉」だろうが「納豆」だろうが、好きなものを入れれば入れるほど、それは、まさしく「お好み焼き」になります。
あしからず。
米英仏軍、リビア爆撃開始。カダフィ大佐は国営TVで徹底抗戦呼びかけ
中世はイスラム文明の時代でした。イスラムこそは偉大なる大文明で重商主義と個人主義、契約主義(具体的には複式簿記、航海術、天文学など)が西欧(スペイン、ポルトガル)に伝播して、その後、プロテスタントが産まれましたから。産業革命はイスラム文明を経由しなければ絶対に誕生しなかった。
イスラムの偉大さを知れば「西欧は度しがたい」とするイスラム主義の主張も理解できます。悲しむべきは、その偉大なるイスラムが、西欧生まれの軍産複合体と連結して屈折したフセインやビンラディン、カダフィなどを産んでしまったこと。これはしかし罪は西欧にあります。彼等はイスラム主義者ではあっても西欧文明の鬼子ですから。
元々はイスラムは税金さえ払えばどんな人種、民族でもOK!という大文明でした。それが変質するのは十字軍遠征で傷めつけられてから。西欧の侵略によってイスラムは武装化を覚えました。この頃から、すでに西欧文明は度しがたいんですな。
西欧文明が上から目線で勘違いの啓蒙を続け、自分たちの先輩であるイスラム文明に対する理解と尊敬がなければ、いつまで経っても、イスラム文明と西欧文明の不幸の連鎖は終わりそうにないです。
大阪市+大阪府=大阪都構想には、それほど興味がありません。あんまよう知らんのですわ(笑)ただ現状の行政区分もなんだかなぁと思ってます。大阪市内で24区はさすがに多いでしょう。東京ですら23区なんですから。また大阪府内で43市町村も多いと思ってます。東京都では39市町村ですから。東京都と大阪府の人口差を考えれば、この行政体の数の多さ(行政コスト)は、やはり問題です。もっとスリムに、コンパクトになれるはず。
また行政区分を決めるさい、いままでは歴史性や文化性、地域性を全く無視してきました。ある日いきなり行政の人間がやってきて「こっから東は○○エリア。西は○○エリア」なんてことを平気でやってました。行政の勝手な都合で、コミュニティをズタズタに裁断していった。これを庶民は「村切り(ムラギリ)」と呼んで忌み嫌ったそうです。
例えば、仮に今後、大阪市の区役所を再編する場合は、かつての船場・島之内・天満の「大阪三郷」を中心軸にする。また大阪府の市町村を再編するとしても、摂津・河内・和泉の「摂河泉三国」で包括する・・・以上はあくまでも「例えば」の話ですが、こういう歴史的、文化的な見地から行政区分を決定する論議をしてほしい。そうでないと大阪のまちづくりが生きてきませんから。「30万人単位で1つの行政体を作る」なんて基準は、あまりにも横暴です。大阪のコミュニティが、大阪文化が、大阪のまちが、抹殺されてしまいます。
要するに大阪の「風土」を尊重してほしい。「地脈」を読んで欲しい。「村切り」は悪政です。それは絶対に成功しません。風土のある、地脈が繋がる、知性ある行政区分を。切実に願います。
大正12年の関東大震災のあと、大阪が東京を抜いて日本最大の都市になりました。俗に言う「大大阪」の時代(大正14年~昭和6年)。
その後、世界恐慌にも見舞われ、復興に焦った東京政府は、国家統制を強めようと昭和13年に国家総動員法を発令。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%B7%8F%E5%8B%95%E5%93%A1%E6%B3%95
あらゆる資源、物資、経済を東京に強制的に集めるという法律で、経済都市・大阪を破壊して、首都機能を肥大化。あまりにも強力的な国家統制は歯止めが利かず、なし崩し的に戦争に突入して、結局、日本全土をボロボロにしました。
関東大震災後、本当は権力を集中するのではなく、地方に分散してリスクを回避するという知恵が必要でした。しかし官僚機構はまったく逆のことをやってしまった。
今回の地震で、また愚かしい国家統制の時代に突入しない事を、ぼくは心の底から懸念しています。1度目は悲劇ですが、2度目は喜劇。もしくは道化ですから・・・。
Googleはほんとに早いですな。いずれ日本でも導入してほしい・・・。
http://techwave.jp/archives/51637630.html
米Googleが、米国内の非営利団体向けのGoogleサービスの無料パッケージの提供を始めた。アドワーズと呼ばれる広告を一定量まで無料で掲載できるほか、Google Checkoutと呼ばれるクレジットカード決済の仕組みも手数料無料で利用できるようになるという。ぜひ日本のGoogleでも同様のパッケージの提供を始めてもらいたいものだ。
発表によると、非営利団体と認可されれば、1月に1万ドル相当のアドワーズ広告を配信できるほか、非営利団体向けに無料もしくは割引価格でサービスを提供する業者を検索できるGoogle for Nonprofit Marketplaceや、Google Apps, Google Checkout、YouTubeなどのサービスの非営利団体向けプログラムを利用できるようになる。
これまでもそれぞれのGoogleサービスごとに非営利団体向けの特別プログラムが用意されていたが、今回からそれらのプログラムが統合され、一度審査で認可されれば、すべてのサービスを利用できるようになるという。
いまから6年前、平成17年(2005)の石橋克彦教授(神戸大)の提言と警鐘。さすがですね。
今回の地震で東京一極集中の弊害が如実に出ました。地方分権、分散化することで、リスクを回避しないと。日本のグランドデザインを変えるときです。
http://www.stop-hamaoka.com/koe/ishibashi050223.html
「地震と共存する文化を」
そもそも日本列島に居る限り、地震と共存する文化というものを確立しなければならない。つまり、従来は自然と対決する文明で、それに対して最新技術でもってバックアップしようという考え方でしたけれども、自然の摂理に逆らわない文明というものを我々は作っていかなければならないと思います。
…
要するに開発の論理、あるいは効率、集積、利便性の論理、それから東京一極集中、都市集中の論理、そういう物をやはり見直してですね、保全とか小規模、多極分散、安全と落ち着き、地方自立、国土の自然力と農村漁村の回復、といったようなことをキーワードにして、根本的な変革が必要であると、まあその地震災害を考えると、私は強く思います。
ぼくは観光の仕事に携わってます。そこで日々、思うことは、観光は第3次産業、サービス業に分類されてますが、本当は違うということ。観光はじつは「第0次産業」なんです。
いまは東北地方全体が大変なときですが、この危機を乗り越えたとき、宮城や岩手や福島を復興させる第一の手は、じつは第0次産業としての観光です。
なにもないまち。なくなったまち。残骸だらけのまち。
そんなものは見せたくないかもしれません。しかし、本当は見ないといけない。見せないといけない。そんなまちを歩くことが、とても大切なことになります。どうしようもない、恐ろしい「現実」を見てもらって、そこから、新しいまちづくりが始まりますから。
挫折したもの。失敗したもの。敗北したもの。それを見ることが必要なんです。素晴らしい世界遺産や綺麗な寺社仏閣もいいでしょう。しかし、人間のリアルな営みを見ないと、その営みは決して、よくならない。向上しない。また同じ失敗をしてしまいます。もしくは「臭いものには蓋」で放置、無視されてしまう。遊園地やリゾート地に遊びにいっても、自分のまちはよくなりません。それは単なる娯楽であって、観光ではないんです。
人間の営みは、すべてのはじまりは、じつは観光からスタートするんです。農業でも、工業でもない。「光を観る」(反語をいえば、それは「闇を認識すること」でもあります)ことから、すべてが、はじまる。瓦礫の山、残骸だらけとなったまちから見出される光とは、「希望」です。
いずれ福島、宮城、岩手でも、コミュニティ・ツーリズム(まち歩き)をやるべきだと思ってます。ガイドがいて、自分のまちを案内する。語る。それだけでいいんですから。なにもいりません(=だから第0次産業です)。ありのままをしゃべればいい。ここでなにがあったのか?そのとき、自分はどうしたのか?・・・それがもっとも有効的で、効果的で、前向きな、復興への道です。ぼくも、自分の仕事の合間に、いきますよ。東北のまちを見に行きます。歩きにいきます。お金を落としにいきます。
被災地で活動する、まちづくり、観光、ツーリズム、NPO、すべての人々に。いまはまだ大変でしょうが。この危機を乗り越えたあとに。新しい、素晴らしい、まちを再建してほしい。